今朝の毎日新聞にて,厚生労働省が生活保護制度の見直しを柱とする「生活支援戦略」の素案を社会保障審議会の特別部会に示したことについての記事を見ました。
これによると,積極的に就職活動をしている人には保護費を加算する一方で働く意欲が低く保護を打ち切られた人には3回目の申請から審査を厳格化する とのことが書かれていました。
生活保護に対する風当たりが強くなっているのかなぁと考えながら職場につき一仕事終えてからお昼を食べにとなりの中華レストランへ行きました。レストランのそれぞれの席には読売新聞がおいてあったので(サービスのようです。)注文をした後,料理の出てくるまで読売新聞を手に取り読んでいました。
すると,今朝見た生活保護の話が出ていたので記事を読んでみました。
およよ・・・これ今朝見た記事と同じ事について書いてあるか・・・
読売新聞の社会面の見出しは『「相談しやすい」期待の声』とのことです。おおざっぱに説明すると就労支援するシステムの構築を素案していることを強調していました。
もちろん就労を支援するのと保護を打ち切るのはイコールではありませんが,両新聞の記事に矛盾点はありませんでした。
ただ,ビックリしたのは印象の違いです。
両新聞の特徴や思想イデオロギーなどは,少しは理解していましたが,出す情報と出さない情報で厚労省の素案ひとつの印象がこれだけ変わるのかと思いました。
なるほど,国民の意見が分れるわけです。
たとえば,厚労省の素案を一番正確に国民に伝える手段は素案をそのまま掲載することでしょうけど,これは専門知識などがない方がほとんどでしょうから素案についての解説が必要です。
その解説の部分で意図的に情報を出し入れすれば,内容の齟齬なく見る人の印象を恣意的に変えることができるわけです。
新聞社も人の集まりですからやはり記者の考え方によって記事が思想を帯びるのは仕方ない事だと思いますが,読んでいる新聞によりひとつの物事の見方が大きく変わるというのもどうかと思います。
例えば,今日の読売新聞の記事を読んだ人と毎日新聞を読んだ人とが,厚労省の素案について議論したら噛み合わないのではないのでしょうか。それは,素案について両社の強調している情報と引っ込めている情報がそれぞれ違うからです。
読売新聞を読んだ人は「生活保護の相談窓口を広げるすばらしい案だ」だといい毎日新聞を読んだ人は「働く意思はあっても理由あって働けない人を投げ出すとんでもない案だ」いったところから話し合いを始めても論点において同じ土俵に上がっていない気がします。
なんか,原発議論を彷彿とさせますね。あと,カツカレー議論
こういうのがあるから,新聞読まないでネットで情報を仕入れる若い人が増えているのかなぁと考えたりします。
ネット掲示板なら,ひとつのニュースについて色々な意見を持つ沢山の人からレスがつくので公正と感じるのでしょう。
若い世代が固執した意見にとらわれずに独自の考えを求めているのであれば,新聞社を始め報道機関は,イデオロギーの押しつけをほどほどにしてひとつの情報に関する多様性を小さい紙面や短い時間に集約する工夫が必要だと思います。