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2012-10-17

毎日何かしら起きるにぎやかな日々を送っております。

 

これまであの手この手を考え抜いて何とかやってきたけど今回ばかりは・・・

 

と,毎度のように感じながらなんとかやってきてます。

 

意外と何とかなるもんだというのが実感です。

 

でも,レンタル用品店にいったら猫の手を探してしまうかもしれない・・・

 

おかげさまで度胸はつきましたが,お休みの日に一旦安らぎを感じてしまうとこっちに戻ってくるのが少し怖くなるので,お休みの日もバタバタとあまり安らいではいません。

 

そんな感じで今まで続けてきましたからね。

 

そしていつものとおり「とにかくやってみよう!!」という感じです。

 

金曜日に北陸の方に出張に行ってきます。

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飛行機ですが台風が若干気になるところです。

 

いや〜たのし・・・じゃなくて大変だなぁ〜

2012-10-16

昨日の帰り道に突如漂うあま〜い香り

 

周りを見渡しますが,暗くて金木犀は見つからず・・・

 

そして,今朝方黄色い花をいっぱいに咲かせた金木犀を見つけました。

 

結構な広範囲に香りが漂わっていました。

 

この香りでなぜか,砂まみれになって汚れた自分の手を思い出します。

 

香りというのは不思議と記憶を呼び起こしますね。

 

ほかには柑橘系のある香水の香りで渡米したときのことを鮮明に思い出すことがあります。免税店のあの香りです。あと,ラーメン屋の裏側から出ている排気口からのにおいが,寒い冬にアルバイトでゴミ出しをしていたときのことを思い出します。

 

また,食べ物の香りに吸い寄せられることもしばしばです。私は,ここ数年都合がつかず行けていないのですが,三社祭が大好きでして特に露店から漂う醤油を焦がした香りに弱いのです。

 

人の五感の中で嗅覚はあまり生活実用的ではありませんが情緒とか記憶と密接に関わっているような気がします。

 

緊急事態のため今日はこの辺で。

12月9日にライブの予定が入りました。

 

趣味関係はいずれ掲載場所を移すことを考えています。

 

さて,初めて人と会うときにその人がどんな人なのかはとても気になるところです。

 

そして現在では,本人が開示している限りにおいてインターネット上で個人の情報が得られ易くなっています。

 

特に本人がプロフィールを掲載している場合は,趣味や職業などその人の人となりをイメージすることができます。同じ趣味を持っていれば親しみを感じるでしょう。逆にあまり好ましくないようなことが掲載されていれとあまりお近づきにはなりたくないと感じるかもしれません。

 

たとえば,あまり良くない情報を人づてやら噂やらで事前に知った相手と会わなければならなくなったとします。しかし,実際あって話してみると意外とその良くない情報が気にならなくなるということが結構私の経験のなかにあります。で,その後別れてから「でも,そういう人なんだよな」と思い直すことはあってもあって話している人をそれほど嫌悪することは私にはありません。ビートたけしさんも確か似た様なことをおっしゃっていた気がします。

 

なお,会話をしている場合においてどの感覚が強く作用していることを研究したものでメラビアンの法則というのがあります。これは,感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であるというものです。

 

たとえば,あごに手を当てて「おでこに何かついているよ」と話しかけると多くの人があごに手をあてがうアレのことです。言語の内容と視覚的な情報が矛盾しているときは視覚情報を優先するという例です。

 

声の抑揚や視線などを感じることはコミュニケーションにおいて重要だと思います。そして,そういった情報から相手の感情の動きを感じることでどこか会話の相手に対する親しみを感じているのかもしれません。

2012-10-12

たまに,ふと独り言が出てしまうことがあります。

 

一人でいるときであればよいのですが,公共の場など人のいるところで出てしまうと怪訝な表情をされることもあります。そりゃまぁ気持ちはわかります。ちなみに私の独り言は,何か思い出し時に「そうだ!!」とか「そうかぁ〜〜」と声をあげてしまうことが多いです。

 

愚痴も言いたいことはあります。ただ,聞くほうもあまりいい気分はしないと思うので愚痴はあまり人に話すことはありません。そして,はけ口を求めてこうしてインターネット上に掲載しているのですが,ストレートに自分の愚痴をぶちまけてもあまり面白くないので切り口は結構考えているつもりです。そして,考えているうちに色々な展開を思いつきそれが結構楽しくなってきて結局,元々言いたかった愚痴と無関係な話題になることも多いのですが,それはそれとして心はすっきりします。

 

そんなに書くのが楽しいのならノートに日記でも着けたらどうだ,ということになると実はあまり気が進みません。愚痴でも何でも誰かに見てもらい聞いてもらいたいという欲求があるのだと思います。しかも,不思議なことに返事はせいぜい相打ちぐらいで特に意見などほしいとは思わずむしろない方がいいという心理があります。「俺の話を聞け〜!」といったところです。

 

そして,誰も隣にいない私のすぐそばにある公共の場がインターネットなんです。私はSNS関係を現在一切やっていませんが,そのSNSを利用して人間関係の広がりを求めたり,私と同じ使い方の人もいたり人それぞれ色々な使い方がなされています。

 

そして,ふと最近思ったのは,「子供の頃今のようにインターネットがすぐ使える環境だったらいったいどんな風に利用しただろうか」ということです。まぁ男性であれば言わずもがなですが,その他に言葉を発する場合はきちんとできただろうかということを考えます。学生の頃はまだ大人に守られている立場というような感覚だったので今よりも言葉に責任を持っていなかったような気がします。というか,公共で発した言葉の重大性をわかっていませんでした。

 

ここ最近,会社の従業員のプライベートなつぶやきが,会社やその社員の人たちに損害や迷惑を与えるという事件がちらほらとあります。プライベートのすぐそばに誰もが閲覧できる公共の場があるという時点でこういう事件が起こることは想定に難くありません。というかもし自分が同じ環境だったら・・・とも思っています。

 

ただ,公共の場であるということを理解すれば,すくなくとも私にとってはむしろ,その制約があった方がまったく制約がないときよりも考える機会となり有意義であると思っています。普段,全然話題の無いワタクシですが意外とここでは饒舌になります。

 

また,見ていて心が和んだり,こちらまで楽しくなるようなブログもあり,独り言だけに利用するにはもったいないくらい色々な情報をインターネットで得られます。

 

だから,現代の子供には身近で公共というものを学習できるいい機会としてインターネットを利用できるのではないかと思います。しかし,その大大大前提となる基礎的な教育がなされていないと色々と困るのではないかと思います。

2012-10-11

京都大学の中山教授にノーベル賞が受与される旨の発表があったのは8日のことでした。

 

研究の内容はおそらくとてもすごいものだと思いますが,私のも解ったのは中山教授の謙虚な人柄でした。

 

新政権の政策において研究費が割かれ費用面では向かい風の中,「私は無名の研究者だった。国の支援がなければ、受賞できなかった。日本という国が受賞した」との発言はなかなかできないと思います。じ〜〜んときました。

 

自分においてもそうかも知れませんが,追い立てられるとつい謙虚な気持ちを置き去りにしてしまいますが,正念場でグッと腰を据えてかかる様な心の強さのバックボーンは普段からの謙虚な気持ちなのかなぁとこの話題において感じました。

 

おめでとうございます。

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おめでとうございます!!

ここ最近の朝は空気が少し冷たく乾いた感じになりました。澄みきった感じが頬に触れると気持ちいいです。

 

小学校の横を通る並木道では木漏れ日のなか落ち葉が舞っていました。

 

毎日見る風景も四季折々天気の晴天の日や雨の日でこんなにも風景が変わるか・・・

 

日本の四季っていいなぁ・・・と感じた今朝の出勤でした。

 

ところで「フランダースの犬」といえば,アニメが何度も再放送されていていますし,多くの方はご存じではないかと思います。

 

この物語には,原作があるそうでイギリス人の作家さんの作品だそうです。

 

なお,物語の舞台であるベルギーでも原作が出版されているそうなのですが,あまり評判が良くないそうです。これについてなんと,ベルギー人の監督により“なぜベルギーでは無名の物語が日本で非常に有名になったか”を検証するドキュメンタリー映画まで制作されたそうで,監督は不人気である理由について「ヨーロッパの価値観では,物語は「負け犬の死」としか映らない」という説を述べている模様です。(うぃき)

 

シビアだなぁと思いつつも実際に原作を読んだ人には会ったことがありません。ベルギーでのアニメの評価はどうなのか気になるところです。

 

そういえば,似た顛末(と勝手に思っています。)の物語で「火垂るの墓」を思い出しましたが,これは海外でもすこぶる評判が良いようです。

 

結論としてアニメーションの力なのかなぁという感想です。

 

なお,アメリカでは「フランダースの犬」が過去4度ほど実写化されているそうなのですが,いずれもハッピーエンドに勝手に改変されているそうです。アメリカらしいというかお国柄すぎてちょっと笑ってしまいました。

焼き魚の食べ方をたまに褒めて頂くことがあります。

 

骨と頭だけ残っている食べ終わった後のお皿を見て「きれいたべるな」と言われることがあります。

 

褒められるのは嬉しい事なのですが,「人は色々なところをよく見ているなぁ」と思うと少し萎縮することもあります。

 

もともと魚は好きなので食べられる部分は残さずに食べるようにしています。だから,骨に身が残らずに食べ後がきれいに見えるのだと思います。

 

これを見て良い育ちというようなことを言われることもありますが,取り立てて魚の食べ方について厳しくしつけられたわけでもなく,肝心の母親にも感心されることがあります。(母親はあまりきれいではないと言われていました・・・)

 

特に両親から強くしつけられたのは“食べ残し禁止”と“食べ物を粗末にしない”くらいでした。

 

そして,ときに両親は我々兄弟に試練を与えることもありました。

 

父親もたまに料理をすることがありましたが,この方が大変な挑戦者でエキセントリックな隠し味をふんだんに使う料理を得意としていました。しかも,これぞ男の料理と言わんばかりのすごい量が皿に盛られてきます。ちなみに父親は味見どころか自分の作った料理を食べることさえありませんでした。

 

それでも私はしつけを忠実に守り続けました。おかげで大抵のものは美味しく食べることができる食いしん坊に育ちました。

 

食べてもあまり太らないのも偏食がないせいかも知れません。

 

そのような家庭環境だったため,初めての飲食店アルバイトであったラーメン屋さんにてアルバイトの初日に残飯の量にビックリしたことがありました。もったいないなぁと・・・1992年のバブルがはじけて間もない頃だったと思います。

 

そういえば,水戸黄門で黄門様が積んであった米俵にうっかり腰掛けて農民に叱り飛ばされ平謝りするシーンがあったと思いましたが,それくらい「食」とそれを司る農民は為政者にとって重要だったのだと思います。まぁテレビの話ですが,江戸時代の身分階級でも侍の次に農民をおいていたくらいでしたから。武士は食べないと戦ができませんでしたしね。戦が無いときは高楊枝だったみたいですけど・・・

 

いままで関税などの価格支持政策による手厚い保護政策により農家は守られてきましたが,今や日本の農業は国際競争力において大きく水をあけられています。

しかし,はしごを外すような形で,安い外国の食料が日本に入ってくると更に日本の農業は衰退してしまいます。自国の食糧自給率が低下するということは,すなわち外国に食糧供給の多くを委ねることになります。つまり「食」を外国に握られてしまうことになり得ません。現在,他外国との間でいくつか摩擦が起きていますが,その国に限らずとも外国に「食」を握られる事ってすごく怖いことだと思っています。

2012-10-03

優勝しましたね。

 

シーズンが始まる前はどうなるかと思いましたがやっぱり強かったです。

 

なにより選手が粒ぞろいですね。

 

それと,ダルビッシュ投手の抜けた穴を完全に補った吉川投手がすばらしかった!!

 

とりあえずは「おめでとうございます」ですね。

 

そしてプレーオフはどのチームが勝ち抜くか楽しみです。

午後3時過ぎの傾きかけた日差しが街路樹を照らすと秋の気配を感じます。

 

並木道では,下校中の高校生達が談笑しながら歩いていました。

 

懐かしい気持ちに少しなりましたが,残念ながら私は彼らほど優秀な高校生ではありませんでした。

 

でも,ベースを背負って歩いた夕焼けの道を思い出します。

 

どうして,この季節はこんなにも寂しくなるのでしょうかねぇ。

 

日暮れはだいぶ早くなりましたが,まだ額が汗ばむことがあります。

 

今年は,彼岸花の開花が遅いみたいです。

 

ところで,ペットボトルのお茶(濁りがある銘柄)とチョコレートの食べあわせると口に広がる何ともいえないフレーバーがくせになりそうです。

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これは長嶋さん

 

現在においても話題沸騰中のカツカレーですが,元巨人の名手千葉茂氏が「カレーライスにカツをのせてもってきてくれ」と注文したのがきっかけという話は有名です。

 

私が,カツカレーを始めて食べたのは小学生4年生のときに稲毛にある海浜プールのレストランでした。

 

「なんてうまい食べ物だ!!」と子供のくせに大いに舌鼓を打ったことは昨日のことのように良く覚えています。

 

ここ最近では,カレー(インドやネパールの人が作ってるような)をビールと一緒に頂くことがたまにあるくらいでカツカレーとは若干縁遠くなっていましたが,この度のカツカレーブームを機会にちょっと高めの美味しいお店に足を運んでみようかなぁと思っています。

 

どこに行こうか迷っていますが,ホテルニューオータニのカツカレーが話題とのことなので興味を持っています。お値段は3,520円とちょっと高めですが普段からおおよそその日に使う分程度のお金しか持たないようにして節制しているのでバチはあたらないのかなと思っています。

 

あと,カレーとカツとご飯との値段の内訳にも興味があります。

 

なんでも,都内のコンビニやスーパーなどでカツカレーが売り切れる事態に発展し,ついにはカレーチェーン大手の株価が上昇するほどまでカレーブームは広がりを見せているそうで,これをきっかけにカレー業界において単価が上昇して,更にデフレで苦しむ他の外食産業にも広がれば,ある意味偉大な功績といえるのでしょうかね?

今朝の毎日新聞にて,厚生労働省が生活保護制度の見直しを柱とする「生活支援戦略」の素案を社会保障審議会の特別部会に示したことについての記事を見ました。

 

これによると,積極的に就職活動をしている人には保護費を加算する一方で働く意欲が低く保護を打ち切られた人には3回目の申請から審査を厳格化する とのことが書かれていました。

 

生活保護に対する風当たりが強くなっているのかなぁと考えながら職場につき一仕事終えてからお昼を食べにとなりの中華レストランへ行きました。レストランのそれぞれの席には読売新聞がおいてあったので(サービスのようです。)注文をした後,料理の出てくるまで読売新聞を手に取り読んでいました。

 

すると,今朝見た生活保護の話が出ていたので記事を読んでみました。

 

およよ・・・これ今朝見た記事と同じ事について書いてあるか・・・

 

読売新聞の社会面の見出しは『「相談しやすい」期待の声』とのことです。おおざっぱに説明すると就労支援するシステムの構築を素案していることを強調していました。

 

もちろん就労を支援するのと保護を打ち切るのはイコールではありませんが,両新聞の記事に矛盾点はありませんでした。

 

ただ,ビックリしたのは印象の違いです。

 

両新聞の特徴や思想イデオロギーなどは,少しは理解していましたが,出す情報と出さない情報で厚労省の素案ひとつの印象がこれだけ変わるのかと思いました。

 

なるほど,国民の意見が分れるわけです。

 

たとえば,厚労省の素案を一番正確に国民に伝える手段は素案をそのまま掲載することでしょうけど,これは専門知識などがない方がほとんどでしょうから素案についての解説が必要です。

 

その解説の部分で意図的に情報を出し入れすれば,内容の齟齬なく見る人の印象を恣意的に変えることができるわけです。

 

新聞社も人の集まりですからやはり記者の考え方によって記事が思想を帯びるのは仕方ない事だと思いますが,読んでいる新聞によりひとつの物事の見方が大きく変わるというのもどうかと思います。

 

例えば,今日の読売新聞の記事を読んだ人と毎日新聞を読んだ人とが,厚労省の素案について議論したら噛み合わないのではないのでしょうか。それは,素案について両社の強調している情報と引っ込めている情報がそれぞれ違うからです。

読売新聞を読んだ人は「生活保護の相談窓口を広げるすばらしい案だ」だといい毎日新聞を読んだ人は「働く意思はあっても理由あって働けない人を投げ出すとんでもない案だ」いったところから話し合いを始めても論点において同じ土俵に上がっていない気がします。

 

なんか,原発議論を彷彿とさせますね。あと,カツカレー議論

 

こういうのがあるから,新聞読まないでネットで情報を仕入れる若い人が増えているのかなぁと考えたりします。

 

ネット掲示板なら,ひとつのニュースについて色々な意見を持つ沢山の人からレスがつくので公正と感じるのでしょう。

 

若い世代が固執した意見にとらわれずに独自の考えを求めているのであれば,新聞社を始め報道機関は,イデオロギーの押しつけをほどほどにしてひとつの情報に関する多様性を小さい紙面や短い時間に集約する工夫が必要だと思います。

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2012-09-27

絶対音感を持つ人の中には音に色彩をイメージする方もいるそうです。

 

音感に限らなくても暖かなイメージを色彩で表わすとオレンジとか橙とか思いつきますし,信号もそうですが注意を促すときは赤や黄色が使われることが多いと思います。

 

写真を現像するにしてもカラーかモノクロかで大きく印象を変える感じがしますし,色彩は雰囲気を作る上でも大事な要素だと思います。

 

オーディオ機器などは,ホワイトやシルバーの単一色が何か無機質な感じでかっこいいなと思ったり,自分の車は爽やかな感じが良かったのでメタリックブルーにしました。携帯は洒落ていると思ってグリーンのメタリックを購入したのですが,今は塗装が剥げて世界地図のようになってしまっています。

 

しかし,人口の色というのは実に見やすくシンプルですが,自然を織りなす葉の緑や花の色や夕焼けの色や自分の血液の色はよく見るととても複雑な感じがします。

 

織物はもともと草木など天然染料で染め上げたのでしょうし,色彩というのは自然の産物だと思います。

 

そして,色彩からイメージを描くのはとても文化的なことだと思います。文化は人間の知恵だと思いますが,人工的な色彩と自然の色彩を合わせるようなアイデアも楽しそうな感じがします。

雰囲気を和らげるつもりで言ったつもりのなにげない冗談が,誰かの心をにわかに曇らせたと感じることがたまにあります。

 

「やってしまったか!」と思いつつも問題発言をした本人から心を探られるのは相手にとって更に傷口をえぐることになるのかなと思ので,気付かないふりをしてそのまま話を違う方向にそらしながら話を続けることが多いです。

 

でも,ずっとそのことが心残りになってしまい一人でトイレにいるときとか寝る前とかに「ウワァァァァアアアア〜〜〜!!」と後悔のあまり悶絶することも多々あります。

 

あまりこういう話を人とすることがないので解らないのですが,自分独自の感覚なんでしょうかね。

 

夏目漱石ではありませんが,角が立ったり,情に流されたり,窮屈だったり人の世が住みにくいなぁと思うことは少なくありません。

 

そう感じると言うことは,バランスを保つ為なのでしょうけど・・・

 

「人の心なんてそれぞれで解るわけがない!」と開き直ったところで,やはり人との関わりを断って生きていく自信は寂しがりの私にはありません。

 

「それなら何もせずに大人しくしていればいい」と思ってもお調子者だしわがままなのでウズウズしてしまいます。

 

「人の間で上手く立ち回っていればいいんじゃない」と思っても恥ずかしがりだし意地っ張りなのでたぶんダメです。

 

自分の性格に振り回されているように感じますが,周りに人がいるからこそ自分の性格が解るということも思います。

 

自分という中身から世間を見るか,それとも,人との関わりの中で自分を見いだすかで自分の性格の認識って変わると思うんですが,どちらも必要なのかなぁ。でも,対極の関係ではないと思っています。

 

 

だからなんだという話になってしまいましたが,とりあえず傷つけてしまった皆さんへごめんなさい。

友人からフェイスブックの登録を勧められています。

 

趣味関係は,ここと分離したいと前から思っていたのですが,フェイスブックがどれだけ自分のニーズを満たせるのかいまいち伝わってこないので二の足を踏んでいます。

 

ユーザーを調べて見ると私と同姓同名の方がたくさんいるようです。

 

ちなみに私の(翏)ははしごだかです。しかし,インターネット上では表示することができないこともあるため高で共通させています。

 

翏橋は,父親方の姓なのですが,父の故郷である越後湯沢の父の生家の近辺では同姓の方が多くいます。かつて,父の実家はあたり見渡す限りの土地持ちだったそうですが,農地改革によりほとんど収容されてしまったと翏橋家では言い伝えられています。

 

この間のお葬式でそんな話が出たので葬儀場から自宅への帰る道の途中になにげなく見渡してみましたが,結構すぐ近くに山が立ちはだかっていました。

 

自分のルーツをたどるともしかしたら歴史上の有名な人物に辿り着くのではないかとちょっと期待するのですが,調べようがないので勝手に空想してみます。

 

ちなみに母親方の親戚筋では関寛斎という有名な方がおられるようです。

 

親戚自慢はこれくらいにして私も子孫に自慢してもらえるような人物になれたらいいなぁと少し思っています。

バブルの頃ってどんな感じだったのでしょうか。

 

父が鉄道職員,母が公務員だったのでその頃の恩恵に授かった実感がありません。でも,気付かないだけで少しはあるのかも知れませんね。

 

しかし,仕事柄人生の浮き沈みを目にすることが多いのでなんとなく実感することはあります。

 

私がもう10年くらい早く生まれていればバブル全盛の頃に社会人として時代の波に乗れたはずです。実際にあの頃は楽しかったという話をたまに聞きます。

 

まぁ楽しいでしょう。レジャーや買い物し放題でお金を使っても減らないとかそんな感覚だったのでしょうか。

 

その後,バブルがはじけてすごい早さで景気が落ち込んで現在に至る訳ですが,やはり楽しさはお金を使わないと得られないものなのでしょうか。

 

ところで,マスターカードのCMで〜お金で買えない価値がある。買えるものはMasterCardで〜という文句がありました。これは,アメリカで使われた広告文 "There are some things money can't buy. For everything else, there's MasterCard." を翻訳したものだそうです。(解りませんが・・・)

日本語の方はとてもオシャレな言い回しで好きです。

 

私個人としては,〜価値というのは値段だけに付いてくる物でなく利用者個人の感情や思ひ出,尊厳などお金で換算できないにも存在することを指摘しつつその他買えるものはマスターカードを使って買って下さい〜ということだと思っています。

 

さらに,ここでいう買える物の価値を考えるに買値がストレートですが,商品のコストパフォーマンスやアイデア,技術など,すばらしい商品を購入したときの感動なども含まれると思っています。

 

そして,商品を購入したときの感動の裏側に何人もの人の情熱が注がれていると考えると更に感動を覚えます。テレビで良くやっていますね。

 

だから,人々の魂が注がれた商品には正当な対価が支払われるべきであると思います。どんな人もお金がないと生活出来ませんし,商品に情熱を持つ企業にお金が入れば更に良い商品が市場に提供されるはずです。

 

そして,お金で買えない価値の方ですが,CMだと買い物などに付随するような設定ですが,実際には,私個人の話ですがお金がなくあまり出費しなかったときでもあったと思います。

 

ただ,突き詰めると,お金を使って得られる満足感と比べて根本的な部分ではそれほど違うものではありませんでした。今ではいい思ひ出となっています。

 

デフレスパイラル絶賛進行中の現在,私自身財布(普段持たないのですが)の紐が固くなる今日この頃ですが,お金を使うとしたら友情や愛情,幸せな時間などプライスレスなことに使います。

 

価格競争に躍起になっている企業のただ安いだけの商品より,商品のより良い利用方法を案内するなどして値段に含みきれないほどの価値を提供してくれる商品にお金を使おうと考えているのは私だけでしょうか。

 

 

 

 

23日ミハマニューポートリゾート14:30からプライスレスな事が起こるかも知れません。

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ここ最近よく降りますね。

 

8月は晴天が多くうだるような暑さが続いたため9月の雨はとても情緒的な感じがします。まだ暑いですけど。

 

今週は,あちこち車で走り回っているため大変電話が繋がりにくくなっておりご迷惑をおかけしております。

 

車の運転中は歌でも歌いながら気分転換をしております。前の車のバックミラーにはどんな風に映っているのでしょうか。そして,信号待ちの時は歩行者が通る度若干緊張しながら歌い続けています。

 

車だと姿は見られていても音が遮断されている(のだろうか?)ので自分の空間のように感じます。カラオケボックスの部屋もたしか一部にガラスを張っていて全く外から見えないという感じではなかった気がします。

 

逆に姿が人の目に触れなくても音が筒抜けだと息を潜めている感じであまり落ち着かない気がします。

 

言ってみれば,衝立のあるネットカフェよりも車の中の方が私は落ち着きます。

 

でも,かつてカラオケボックスで働いていたことがありました。カラオケボックスの従業員は大抵一人カラオケを経験していると思います。私も例に漏れずでしたが,意外と落ち着ついて歌えませんでした。カラオケボックスの部屋は,複数人で入れるように広くなっていて一人用にはできてないためだと思います。

 

音が遮断されていればいいというものでも無いようです。

 

でも,カラオケスナックで知らないお客さんの前で歌うのは別に違和感のないことだと思います。

 

まぁ阿波踊りではないですが,ハメを外せるところでは外した方がストレスを発散できて良いのかなと思います。ただ,歌に限らず何事も時と場所によってたしなみは大事なのでちょっと違和感があれば振り向いてみることも必要かもしれません。

 

・・・と自分に言い聞かせています。

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土曜日に健康診断に行って参りました。

 

ひさしぶりに注射うってきました。

 

変な話ですが,注射器に抜き取られている血を見ていると生気が抜かれていくような気になります。改めて見た血の色は純粋に赤というより様々な有機物が混ざっているような感じがして「お〜〜!生きてるんだなぁ・・・」とみずから感心しました。

 

そして,厳しい断食(?)を経て検査も終わると待ちに待った食事の時間です。寿司(*1)とイタリアン(*2)をハシゴしたあと街をフラフラしつつたこ焼きを買って更に公園飲み。

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天気は不安定でしたが,酔いどれて街をふらついたりスーパーで買い出しして公園で飲んだり,こういうのは本当に久しぶりでとても楽しかったです。色々な話もしましたねぇ。

ちなみに先客が残していったゴミもついでに持ち帰りましたよ。

 

・ ・・と,すっかり忘れてましが,結果は一週間後に出るとのことでした。ちょっと不安です。

 

さて,今週はお仕事だけでなく趣味の方も慌ただしくなっています。

 

休日は音楽スタジオばっかり行っている感じです。

 

来週日曜日にあわせて気合い入れないと!!

 

(*1) 回ってました。

(*2) サイゼリア

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2012-09-13

ソフトバンクモバイルは、本日発表されたスマートフォン「iPhone」シリーズの最新モデル「iPhone 5」の予約受付を、9月14日の午後4時より開始すると発表したそうです。

 

まわりを見渡すとスマホユーザーがだいぶ増えてきたことを感じます。

 

もともと,流行ものにあまり飛びつかないワタクシです。

 

かつて家庭用ビデオでベータ(ビデオの規格)をつかまされたことがトラウマとなり,携帯電話を所持するのも遅い方でしたし,HDD内蔵のDVDプレイヤーの録画ができません。ミクシーも入会後即脱会してしまいました。

 

しかし,アップル社の商品はデザインがとても好みで,人が使っているiPhoneを見る度に実は羨ましく思っていました。

 

ただ,自らのポリシーが邪魔をしていままで購入に至りませんでした。

 

まぁどうせたくさんある機能のほとんど使わないだろうし(今もってる携帯も使いこなせていません。),今の携帯で十分なんですが,なにか心をくすぐるものがiPhoneにはあるようです。

 

携帯2台もいらないので買うとしたらいまと交換になるのですがどうしようかなぁ・・・・

不平等と感じることはありますか?

 

ぱっと思いついたのは消費税ですが,考え方によりけりです。

 

一つの物を買うについてどんな人でも同率の税金が課されることについては平等に見えますが,生活必需品に同じ税率が掛けられると言うことは所得の低い層にとっては不平等に感じるかも知れません。例えば,100円の醤油一本を買うにあたり誰が買っても税額は同じですが所得に占める消費税負担額の割合は所得が低い人の方が多くなります。かといって,醤油一本を消費する時間は所得によりそう変わることはないはずです。また,ほかにも色々見方があると思います。

 

消費税が導入される前に物品税という税制があったそうです。これは,その生活必需品には税金を掛けないという上の考えに似た方向性を持つ税制だったようです。しかし,これについても生活必需品かどうかの判断において意見が分かれたようです。(およげたいやきくんのレコードが童謡として非課税でクロネコのタンゴが課税商品となったとウィキに出てました。)

 

そして,誰かが不平等だと言い出すときは大概その人が損をしているときだと思います。得をしている側からわざわざ不平等とは言い出すことはあまり見たことがありません。

 

逆にすべての人が自らの置かれた環境をあるがまま受けとめて不満を言わなければ平等という概念は生まれなかったのではないかと思います。

 

つまり,実質的な平等とは誰かが言い出した不平等な状態が改善されたときの状態なのではないかと個人的に思います。

 

だから,平等という正しい形を見つけるのは困難だと思います。

 

一方で公平という言葉があります。

 

読んで字の如く公に平たいということだと思います。等しい必要が無い(?)のだと思います。

 

そこで,よく知られた話で姉と妹が一個のオレンジについて言い争いをしている場面で,双方の話をよくよく聞いてみると姉はオレンジジュースを作る目的,妹はオレンジの皮でマーマレードを作る目的だったというのがあります。つまり,オレンジの皮と果実を分ければ良かった話なんです。この話はちょっと違うところで使われていますが結構好きだったので覚えていて公平ということでなんとなく思い出しました。

 

平等を求めたらキリがなさそうですが,皆が「このあたりで納得しよう」と思う方法はあるような気がします。

 

ただ,それを模索するのに必要なのは,オレンジの話のようにそれぞれに本当に必要なことを考えることが大事だと思います。

朝方から喉がいがらっぽいです。

 

そして,今日も厳しい残暑に見舞われました。

 

エアコンが壊れたかと思うほどでした。

 

しかし,日が沈むと急に気温が下がることがあるので本当に風邪がこわい時期です。

 

この季節は要注意ですね。

 

それにしても,暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので本当にそのあたりで暑さが落ち着くので毎年感心しています。もうちょっと頑張りましょう。

 

昔から病は気からといいますが,私の場合は調子の良いときに突然風邪を引く事が多いです。上手くいっているときの方が心に隙ができるのかも知れません。西口投手のようなものです。(ちょっと違うか?)

 

たしかに最近結構良い感じでした。

 

以前にもお話したとおり8月に食べ過ぎておなかが破裂しそうになっていたため,朝ご飯を抜くことにしました。しかし,これだとどうも一日調子が出ないので朝食を少しだけ摂り夕食を減らすことにしました。これが良かったようで好きなだけ食べていたときよりも調子が良くなりました。

 

栄養は摂ればいいというものでは無いのかも知れませんね。バランス良くとよく言いますし・・・

 

しかし,食べることは好きなので土日は欲望を解放してあげます。そして,体重は元に戻ると。

 

摂生して健康に生きることと好きなように飲み食いすることのどちらが幸せか・・・

 

その答えを知っているのはやはりヘルスメーターではないかと思います。

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25日研修会後・・・減量失敗!!

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八千代台南一丁目4番3号2階

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月~金 9時~17時