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佐倉の検察に咲いてた花

なんて名前なのかな?

 

 

暴力をふるったことが一切ないという方はどれくらいおられるのでしょうか。

 

私には,年の近い兄弟が2人おり兄弟喧嘩が絶えない環境にありました。

 

また,兄弟同士のスキンシップもカンフーやボクシングの真似事など比較的攻撃的なものでした。

 

ですので,力の加減というのは他の子供に比べてよく理解していたと思います。

 

しかし,同級生に同じようなスキンシップの方法をとろうとして,相手を泣かせてしまったり喧嘩になることがありました。

 

物理的な刺激としてはもちろん手加減は心得ているつもりでしたが,相手にとっては攻撃を受けたという意識的な部分を刺激してしまったのではないかと思います。

 

 この感覚は,人によりあまりにも様々で正直,これを人それぞれに推し量ることは私には難しいと思っています。

 

人との距離を広めにとる癖はこの頃の体験からきています。

 

世の中は他者に対する物理的な攻撃を暴力と呼びこれには批判的です。

 

そして,暴力は法律で禁じられています。では,体罰はどうでしょうか。

日本の学校教育の場においては、学校教育法第11条において、校長および教員は、懲戒として体罰を加えることはできないとされているそうです。

なお、第二次世界大戦前に制定された教育令(1879年〔明治12年〕)にすでに体罰禁止規定がありそれ以降現在に至るまで一貫して法律上は体罰を禁止しているようです。

 

しかし,年配の方は先生から物理的な指導を受けた話をよくします。このあたりは現在より教育現場の裁量が広かったといえるでしょう。ここで物理的な指導を完全否定してしまうと部分的であれ当時の教育を否定してしまうことになります。物理的な指導を受けたと語る年配の方々が人格形成における重要な時期におかしな教育を受けていたとは私には思えません。

 

やはり,その背景となる教育事情,社会事情の変遷にも目を向ける必要があるはずです。

 

で,思うに今の子供達に物理的な指導は馴染まないのでないかというのが私の実感ではあります。意図したことがおそらく伝わらないのではないかと思います。あくまで目的は教育でなくてはいけないので・・・

しかし,それでも絶対否定というのは問題だと思います。絶対否定してしまうと教育の歴史の積み重ねを議論するにあたり否定した部分について議論が成り立たなくなってしまうからです。
 

ところで,ヨハン・ガルトゥングという学者さんが提唱した「構造的暴力」という概念があるそうです。

 

ガルトゥングさん曰く,俗に私たちが言う「暴力」を直接的暴力とし,それのない状態を消極的平和とした上で「貧困、飢餓、抑圧、教育機会の喪失などは社会制度や国際システムの所産と考え,こういった状態を『構造が暴力を振るっている』」としています。

 

そして,暴力について「人間が潜在的に持つ可能性の実現の障害であり、取り除きうるにもかかわらず存続しているもの」としています。

 

 

この構造的暴力という概念において「暴力が取り除きうるにもかかわらず存続しているもの」であるならば,取り除くことのできない原因のひとつに「無関心」があると思います。

 

ちょっと飛びますが,大津のいじめ問題の話題がネット上で多く見受けられますがこれは皆が関心を持っていると言うことです。一生懸命にこの話題を収束させようとしている記者がいるようですがむしろその方が暴力的な気がします。

 

この「構造的暴力」という概念を前提とした場合,暴力をふるったことが一切ないという方はどれくらいおられるのでしょうか。

 

 

 

かつて遊んだ場所で遠い昔の記憶をたどりつつ,自然の中でビールと音楽を楽しみたい気分です。

 

明日から月曜日まで休業します。

留守電となりますのでご理解の程よろしくお願い申し上げます。

米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(38)が23日、トレードでヤンキースへ移籍した模様です。

 

今季で在籍するマリナーズとの契約が今年で終わるため、去就が注目されていました。

 

ヤンキースと言えば名門中の名門です。

 

イチロー選手は,記者会見で新天地を求めた理由を「前向きな挑戦が必要だし、それにトライしてみたいという思いが芽生えた」とのことです。

 

イチロー選手といえば,2010年に10年連続シーズン200安打を達成するなど、数々の大リーグ記録を塗り替えており,今年6月には、大リーグ通算2500安打を達成しています。

 

大記録は飽くなき向上心がもたらした結果だとつくづく感じさせてくれます。

 

新天地でのイチロー選手の活躍を期待しています!!

今日は直帰する予定でしたが,思いの外用事が早く済んだためこうして久しぶりにゆっくり(?)書く時間ができました。

 

そこで,少し突っ込んだ話をしてみようかと思います。

 

その前に余談です。

 

今朝,出勤途中に小学校の通学路を通るといつもの子供達のはしゃぎ声が聞こえずとても静かでした。どうやら小学校は夏休みに入ったようです。

 

その先をちょっと歩いていくといつも若いお母さんと小さい女の子に出合います。今日はお辞儀して挨拶をしてくれました。

 

かわいいなぁ・・・と思いつつもずっとお母さんと一緒にいれるわけではなくいずれは小学校に入学して子供達の世界の中で生きて行かなくてはなりません。だからこそ,子供を預かる公共の教育機関には強い責任感をもって欲しいものです。

 

さて,大津市をはじめ、全国でいじめや自殺の問題が明らかになってきたニュースを知り気分を悪くされた方も多くいると思います。私においても人一人の命が奪われ,また,被害者家族の尊厳が奪われたこの事件において未だに隠蔽体質を正そうとしない関係者達の姿勢を見て吐き気さえ催しそうな気分になります。

 

このような大人達の後姿を見た子供達はこの後の将来どんな夢を見るのでしょうか。

 

特に私の目に余ったのは,大津事件における加害者の親の言動です。自分の子供を守るのは親の義務でしょうか。まぁ例えそうだとしても,いじめに至った事情が教育の結果だとするならば,こうして事件になってしまったあたり結局のところ巡り巡って自分の子供への加害になっているようにも見えます。

 

これは,子供が育つ家庭という社会がひとつの教育機関としての役目を果たしていないためと思われます。家庭が教育機関というと疑問を持たれる方もおられるかも知れませんが私は当然のことと思っております。学校という教育機関には,たくさんの子供がいて自分の知らなかった価値観を吸収したり,競争などで自分の特性を伸ばしたり,自らの全体的,組織的な立ち位置を覚えたりするのに適しています。

 

しかし,学校で拘束する時間的な問題や,一人の担任が多数の子供を教えているためひとりひとりへ細かい作法や道徳などの指導が行き届かないのは仕方のないことだと思います。

 

そこは,子供が生活する中での最小単位の社会である各家庭において教えないと行き届きません。

 

しかし,たまにスーパーなどで若い親が子供を叱っている姿を見て若干の(?)体罰で育てられた私でさえドン引きすることがあります。(もちろんそうでない人が圧倒的多数なのですが・・・)

なんというか愛情が感じられません。王様が手下を従えているといった感じです。

 

これは,核家族化の悪い側面ではないかと思います。
 

家庭というのは小さい単位の社会であり,そこを支える大黒柱が裸の王様では,そこで育った子供は王様jrになるか反発して真逆になるか,いずれにしろ極端な方に向くのではないかと思います。私が思うに教育とは大人になるための準備であるため極端な考えであってはいけないと思っています。

子供の柔らかい心に極端な考えを吸収させると,大人になってから社会で自らの立ち位置を考えたり,周囲との調整をはかるにあたり考え方の修正がききにくくなるように感じます。要するに謝ることができなかったり反省しない人になるのではないかと・・・

 

しかし,親自らが育てられた時代とは価値観も物質的な物も大きく違うため自分が育てられたとおりに子供を育てるということに無理があることもあると思います。そのため,親は忙しい中に手探りで教育を模索しなければなりません。だから,それを支えるために子供を育てるための親への教育コミュニティーの様なものがあると良いのではないかと思います。

 

私は,今回の問題について大人の背中を見て育った子供がそのまま大人になってその大人の背中を見て育った子供がそのまま・・・といったような連鎖を感じました。この連鎖を良い方向に修正するのが長い目で見た場合のいじめ問題の解決方法だと思っています。そのためにも徹底した情報開示が必要だと思っています。

 

そして,こういう問題に必ず顔を出してくるのが例の左翼系教育組合ですが,政治と結託して判断能力や批判能力の乏しい初等教育の時期にイデオロギーを植え付けようとするこの集まりはすでに害悪でしかないと思っています。初等教育はあくまで大人になるための準備期間であって柔軟な考え方を排除して偏った考えに凝り固まらせる様な思想を子供の柔らかい心に植え付けることは百害あって一理もないわけです。

 

集まって飲みながら思想を語り合うのは結構なのですが,それを子供に教えるなということです。大人になってから気がついたのですが,私も子供の頃おかしなことを教わった記憶がありますし切実な問題だと思っています。

 

教えるのであれば判断能力が十分についた大人に思想を語ればいいのです。

 

・・・でも,カルト宗教にいれこむ大人も増えてきているのでやっぱりわかり合える身内だけでやってもらった方がよいかも知れません。

 

とにかく,隠蔽されている情報がすべて開示されて,この惨憺たる教育現場が改善されることを心より願います。

 

そして,大津中学生の問題により亡くなられた被害者の方にご冥福をお祈りいたしますと共に、ご遺族に謹んでお悔やみ申し上げます。

本日は出張のため終日外出しております。

 

お電話が繋がりにくくなりますがご理解の程お願い申し上げます。

2012-07-20

食事中と就寝前にウーロン茶を飲むと虫歯予防になるそうなのでこれで虫歯になりません。

 

面白そうな記事ですが,これから会議なので言及する時間がありません。

 

なお,月曜日は遠方に出張でおそらく事務所には戻れません。

 

なお,土日は楽器を弾く以外やることがありません。

2012-07-19

今日も暑い一日でした。

 

学校は今週いっぱいでお休みになるのかな。

 

良い思い出ができたら良いですね。

梅雨が明けました。

 

各地で猛暑日となり熱中症も多発しているようです。

 

水分をこまめに採るなど十分な対策を取るなど,くれぐれも熱中症にはお気を付け下さい。

 

ここ近年,毎年夏になると「昔はこんなに暑かったっけ?」という会話になります。

 

詳しい自然現象のことは分かりませんが,温度計も体感も暑くなってきているのは紛れもない事実です。

 

時代劇を見ていてふと思ったのはアスファルトが敷かれていないことです。あたりまえのことですが,大地が水を含めば気温は抑えられます。そこまで昔のことでないにしろ30年くらいで宅地開発により多くの森林が伐採されたことも温暖化に影響しているといいます。

 

経済を動かすには資源が必要ですし,人が生活するには自然は残しておく必要があるようです。

 

そこに必要なのは調和だと思います。

 

そこに権利主張が出てきたとき私は少し眉に唾を付けてみます。

2012-07-11

ビール大手5社が11日に発表した今年上半期(1〜6月)の発泡酒と「第三のビール」を含むビール類の出荷量が,上半期として09年以来3年ぶりに前年を上回ったとのことです。

 

昨年度は,大震災という歴史に残るような悲しい出来事が起きたため出荷量は落ち込んだようですが,今年はその反動で出荷量が伸びたそうです。

 

なお,ビールが2%、「第三のビール」も2・6%の伸び。発泡酒は9・2%減と大幅に落ち込んだとのことです。

 

発泡酒層が,ビールと「第三のビール」にそれぞれ流れたという感じでしょうか。

 

これはどうしてなのかな。

 

昨年,多かった自粛の雰囲気が今年になって大分薄れて,多くの人にとって,今日は特別!というような日が増えたため値段の高いビールが伸びて,その分,普段の晩酌を発泡酒から「第三のビール」に変えることで家計を埋め合わしたのでは・・・というのが私の予想です。

 

いずれにしても,皆さんがいい気持ちでお酒を飲めますように。

2012-07-10
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セミが鳴き始めました。

 

もう夏ですね。

 

まるで梅雨明けしたかのような陽気と思いきや,また厚い雲に空が覆われ始めました。

 

でも,梅雨明けはもうすぐです。

 

海に行きたい!山に行きたい!花火みたい!BBQやりたい!お金足りない!

 

ということで,今夏はお金を使わずに節約して貯金を考えておられる方も多いかと思います。

 

家計の中で,収入が一定である場合に出費を省けば当然家計の貯蓄額は増える計算になります。

 

これを,すべての家庭で実践するとどうなるかというと国全体での消費が削減されるため経済全体の循環が悪くなる。結果,家計の所得が減少してむしろ貯蓄額が減ってしまうことも考えられます。

 

このように,問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行した事で想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまうことがあります。

 

これを合成の誤謬と言うそうです。

 

社会全体の問題が起こったとしても,それを解決する方法は個人や一家計,一企業など国全体でみると小さな単位での視点でしか見られません。当然のことです。

 

私自身,個人の借金問題をひたすら解決していくにあたり,陸の見えない広い海で方向も分からず泳ぎ続けている感覚に襲われることがあります。

 

もしかしたらとんでもない方向に向かっているのかも知れません。

 

しかしそれは,神様の視点でもない限り分からないことだと思っています。要するに後付けでしか分かりません。

 

前例があれば参考にしますが・・・

 

最終的には自分の判断が身に降りかかるしかありません。

 

この仕事を通して本当によく思うのは,人生なんて上手くいっていると思っている人の方が少ないんじゃないかな・・・ということです。

 

要するに向かうべき方向が分かりにくいのだと思います。

 

高度経済成長の時と比べて価値観が混沌としており,経済もよくありません。

 

そうであれば,それぞれの目標に向かっていく。それがどんなに小さいものでも。で,たどり着いたらまた次という感じで・・・

 

そして,それが例え自分が望んだ方向に進んでいなかったとしても視点を遠ざけてみるとすばらしい功績となっているかも知れませんよ。

 

偉人にそういう人多いですよね。ガリレオとか・・・

2012-07-09

インターネット上で性格診断のサイトがたくさんあります。

 

やってみると意外とこれが意外と面白く感じます。

 

いくつかの質問があり項目事に当てはまるか当てはまらないかをチェックしていき最後にボタンを押すと診断結果がみられるようなものをやってみました。

 

やっているうちに質問事項が多ければ多いほど正確に診断してくれている(自分を分かってくれている?)と感じやすいとの印象を受けました。

 

そして,診断結果が普段自分の性格だと認識している形に近いと思わず嬉しくなります。

 

逆に外れていると結果を認めたくない気持ちになります。

 

それでは性格診断の意味がないような気がしますが,自分が認識している自分の性格をそのまま認めて欲しい(例え人でなくても)という欲求が人にはあるのかも知れません。

 

これは口説きトークにも使えそうな気がします。(私はしませんよ)

女性の方はくれぐれも性格診断トークにはお気を付け下さい。

 

でも,これっておそらくあらかじめ用意されているいくつかの診断結果を回答の傾向にあわせて使い分けているのだと思いますが,「人はそう簡単に割り振れるものではない」といつもの調子で思ったりもしています。

 

そもそも,質問に対する答え自体に自分の主観で自分の姿を回答としているので客観的な答えが出るはずもなく自分の都合のいい結果を導きやすいはずです。

 

そして,他人から指摘された客観的な事実を認めざるを得ないときこそ,自分の認めがたい性格を突きつけられる様な気がします。

 

例えば,何でもスマートにこなせると自分で思い込んでいても,他人からミスを指摘された場合には自らの不器用さを認めざるを得ません。

 

やはり,「他人は自分を映す鏡」なのだなと思います。

 

まぁでも言い方は気を付けないとね。

 

結局,自分の性格は他人の主観で決めている様なところがあるし,また,場所や立場によって振る舞いが多少違うと思うので人により認識している性格が異なっていると思います。

 

だから,自分が人にどう見られているか気になるのであればまずは人によくすることを先にしておけばとりあえず「性格悪く思われているかも」という心配は払拭できるかも知れません。

2012-07-08

今朝方から降っていた小雨がやみ綺麗に晴れました。

 

今日休みの方は予定が立てにくかったと思います。

 

ここのところ降ったりやんだりの日が続いていますが,まるで雨雲に避けられているかの如く私は降られることがありません。

 

金曜日は,ちょうど降り出した頃には電車に乗って窓から外を眺めていました。

 

暗くなり始めた頃に街灯や信号機の光が水たまりに反射してまるでパステルカラーのような情緒的で不思議な雰囲気に街が包み込まれているように感じました。

 

そして,東京は灯りが多いと感じました。

 

そういえば昨年の計画停電の頃,千葉駅では灯りを抑えていましたがソレはソレでなんとなく落ち着いた雰囲気がしてこれでいいんじゃないかと思ったりしました。

 

お風呂でも電気を落としてはいるといつもより落ち着いた感じがします。さすがにトイレは外す可能性があるのでしませんが・・・

 

そして,暗いところでは灯りがよく引き立ちます。

 

かつて,友人の実家の長野県に遊びに行ったことがありましたが,夜になると街灯ひとつないところがあり正に漆黒の闇の中,空を見上げると都会で見るよりずっと星が多く見えました。天の川もよく見えるだろうなぁ・・・

 

また,越後湯沢の笹がたなびく清流の川岸では暗くなると蛍の光がよく見えました。

 

夏の懐かしい思い出です。

 

世の中が暗いと感じるのであれば,なおさら朗らかな明るさは人を惹きつけるのでしょう・・・かな?

 

でも,今まで見えにくかったことが見えてくるのかもしれませんね。

 

さて,帰って笑点をみます。

ハイラムブロックを聞いていると無性に桃ネクターが飲みたくなります。

 

故ハイラムブロック氏は大阪生まれのアメリカのジャズ・フュージョンのギタリストで,日本に来ると桃ネクターを箱買いしてホテルの冷蔵庫を桃ネクターでパンパンにすることで有名でした。

 

そして,桃ネクターは私にとってはある夏の思い出があります。

 

取り立てて好きだったわけではありませんが,野球の練習後でのどがカラカラに渇いているときに飲んだことがあり,甘くてとろみの強い桃ネクターの食感が妙に印象に残っています。

 

当時,ネクターのCMは江川卓氏が出演していたと思います。

 

江川卓氏といえば,当時は巨人に いわくつきで入団したことで話題を振りまいた選手でした。(空白の一日事件と言われています。)今考えるとよくCMに起用したなぁと思います。

 

我が家でも,江川投手が登板の日は父が普段にもまして大騒ぎ(いつもテンションは高かったのですが・・・)していました。

 

そんなこんなで私にとってもあまり言いイメージの選手ではありませんでした。

 

そんなとき,家族と旅行先のホテルで見ていたオールスターゲームに江川投手が登板しました。

 

弟がキャッキャと騒ぎながら枕を投げている中,次々にパリーグの打者を三振に取っていく江川投手の姿に私は釘付けになりました。

 

そして,8人の打者から連続で三振を奪い9連続三振の記録まで後一人というところに打席には大石大二郎選手でした。大石選手はバットを短く持ち「絶対に三振しない」という意識が強く伝わってきました。

 

そして,球場の熱気は最高潮に達したとき大石選手のバットにボールが当たり打球は二塁手の方向へ弾かれていきました。

 

結果はセカンドゴロで九者連続三振の記録には届きませんでしたが,球場の熱気は余韻を残したまま試合終了まで絶えることはありませんでした。

 

なんというか,あまり良い印象のない人でも専門の分野で圧倒的な実力を見せつけられると認めざるを得なくなることってあるのですね。

 

なんだかとりとめのない方向へ話題が向いてしまいましたが,今もネクターは健在のようです。

 

そういえば,江川氏と生前の小林繁氏(江川氏入団のに係る一連の事件の当事者)との対談の中で“長い時間を経なければお互い会って話すことはできなかった”と言うことを語っていました。

 

人との関係においては,ある程度の時間を経ないと繋がらないことがあるようです。

やりたいことと言えば,趣味や旅行,飲みやグルメ,スポーツやレジャーや・・・

 

やるべきことといえば,仕事や研修,勉強や掃除,身の回りの整理やら・・・

 

比べると陽と陰とかアクティブとパッシブのくらいのイメージの差がありますね(私だけ?)

 

ところで本ブログは頻繁に更新していますが,一応私の中で事務所に来たときは何らかのことを書込み更新するようにしています。(自宅パソコンのmacにHPのアプリケーションが対応していないために自宅での更新はできないのです。)

 

これは自分で決めていることで,すらすら楽しく書けるときもあれば,書くことに困ることもあります。また,時間の問題もあります。

 

 

また,趣味でもバンドを組んで楽器演奏をする場合など他のメンバーに迷惑をかけないために練習が必要となります。そして,自分なりに「一日30分必ず練習する」と決めてしまうとこれまた結構大変になります。

 

このようにやりたいことをやるべきことにすると楽しいだけでは済まなくなります。

でも,大変なことをやったその先にやりがいというまた違った楽しさが生まれることもあります。

 

そして,仕事や勉強だってやりがいを感じているわけだから逆アプローチでやりたいことに近づけられるかも知れません。

 

私には,まだまだ意識が足りないことを自覚しました。

 

思い立った私は,自らを律する為に仲間達と意識改革の旅を計画しています。(おち)

2012-06-25

食中毒の恐れがあるとして,厚生労働省が食品衛生法に基づき,7月1日から牛の生レバーの提供を禁止するのに伴い飲食店や食肉市場に影響が広がっている模様です。

 

レバ刺しを提供する飲食店には、「食べ納め」をしようという消費者の駆け込み需要が発生し店側は生レバーの確保に苦慮している一方で,7月以降はレバー需要が急減する恐れがあり生産者には頭の痛い問題になっているとのこと。

 

ところで,「たられば」という言葉があります。珍味ではありません。

 

「もし…していたら」とか,「もし…していれば」と事実とは違うことを仮定して後悔することを言うようです。

 

もし,この「たられば」を心の中でつぶやいていることがあるとすれば,そのときの状況に納得ができていない気持ちになっていると思われます。

 

現在の納得のいかない現状は,一時の判断や行動によって回避できたのではないか?という理屈ですね。

 

しかし野球に例えて,もし,投手として試合に出場し1点リードでの守備9回裏ツーアウト満塁(ベタですみません)の場面に遭遇したとします。そして,ツーストライクワンボール(国際基準にはあわせない)からストレートを狙い撃ちされサヨナラヒットを打たれて試合に負けてしまいした。

 

頭をかすめるのは「あのとき得意のフォークボールを投げていれば・・・」という思いです。(フォークボールはキャッチャーが後ろに逸らす可能性が高いため投げにくい場面です。)

 

しかし,今まで生きてきた時間すべてがその人を形成しているのであれば,何度時間を戻しても同じ判断をするように思えます。戻せませんけど・・・

 

でも,次の機会はまた来るかも知れません。そうであれば,「たられば」を自分で考えたり,人の意見を伺ったりして,再び似た場面に備えることができます。

 

時間は,戻すことができないからこそ経験というプロセスを築くことができるのだと思います。

 

だから「たられば」は言い訳に使うより,経験として生かす方がよいと思います。

 

そして,今後ヤミレバーが出回るとの噂もあるので生レバー好きの方はくれぐれもお気を付け下さい。

昨日会議,今日は研修,明日研修と脳がパンパンに張るようなスケジュールの先に目指すオアシスの日曜日があります。

 

ゴールデンウィークから海の日まで祝日がないのでちょっと辛くなってきました。

 

そんな弱音はく自分に「甘えるな!!」と一人喝を入れつつ作業に勤しむ今日この頃です。

 

昨日は,千葉市民会館で会議の後,以前から気になっていたラーメン屋さんに入りました。

 

バスで千葉駅に向かう途中によく行列を見かけるお店でしたが,なかなか入る機会がありませんでした。

 

昨日は,平日の9時過ぎで行列もなく席も空いているようだったので迷わず突入しました。

 

入店して『いらっしゃい!!』との元気な挨拶を背に聞きながら食券を買ってカウンター席に座りました。

 

そして,5分ほど待って出てきたラーメンをすすってみると

 

うまい!!

 

千葉駅周辺の行列店にはがっかりさせられることが多かったのですが,これは大成功でした。

 

新規開拓できたうれしさからまた行こうと思っていますが,席が少なくあまりゆっくりできなそうなので機会を選びそうです。

 

そして,車だったので飲めませんでしたが,やはりビールと餃子が欲しいところです。

 

 

そういえば,若き頃はたまに一人でフレンチの開拓に出掛けてお店の人に同業者と間違えられることがありました。でも,それで得したことが結構ありますよ。

先日逮捕された,オウム真理教元幹部の菊地直子容疑者の自宅から教団の教義や修行の方法などが書かれたメモが押収されていたそうです。菊地容疑者は調べに対し、「信仰心は徐々に薄れていったが、捨てられなかった」と供述しているとのこと。

 

一連の事件で多くの被害者を出したオウム真理教です。かつて,信仰していたとしても信仰心がなくなるのは当然のことです。しかし,信仰当時のメモを残しておいたというのはどういった心理なのか不思議に思いました。忌々しい記憶にはなっていないようです。

 

メモといえば,私はかつて調理場で働いていたときによくメモを取っていました。当時のレシピとか結構使える情報を取っておいたりしていたので,以前に探したことがありますが見つかりませんでした。おそらく,引越の時になくしたのだと思います。

 

そんなだらしのない私のエピソードを交えつつも,厳しい逃亡生活のなかでメモを持ち続けるということは焼却などして処分するよりずっと足がつきやすいと思います。つまりは,メモに執着しているということです。

 

執着でふと思い出したのは,「断捨離(だんしゃり)」という言葉です。

 

断=入ってくる要らない物を断つ

捨=家にずっとある要らない物を捨てる

離=物への執着から離れる

 

・・・で,断捨離とのこと。ヨガの考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断ち,また捨てることで,物への執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え・・だそうです。

 

なるほど,あくまで考え方として捉えれば,確かに身の回りの物を捨てることで気分がすっきりすることはありますし,頭も部屋も溜め込み過ぎはあまり良くない気がします。

 

私が思うにこの考え方は,物に宿している「自分自身の執着」から解放されるところがミソではないかと考えます。

 

例えやすいので恋愛を例にすると,いつまでも別れた元の彼(女)に執着していては新しい恋愛はできません。新しい相手に失礼です。ですので,いつまでも大事にしてある思い出の品を処分するとしましょう。これによって,なんとなくあきらめがつくと思います。そして,執着を捨てたことによって誰か困るかというと誰も困りません。つまり,執着とは自分のためにしていると言えます。

 

執着することが悪いこととは言えませんが,過剰になるとストーカーなど他人に迷惑を及ぼすことになります。やはり,ほどほどのところで解放してあげた方が自分にとっても良いことと思います。

 

それでも過剰に執着を続けるということは,自分かわいさから執着によりアイデンティティを保っている状態といえるのではないでしょうか。

 

なるほど,そうであれば新興宗教の信者が自分かわいさから過去への執着によりアイデンティティを保つということについて納得ができます。

 

以前,自身の宗教観について書いたことがありましたが,その後ある宗教団体から何回かに渡って本が送りつけられたことがありました。本は読んでいないのですが漫画が同封されていたのでさらっと読んでみました。内容はおおざっぱに言うと,仕事がうまくいかない主人公が仕事のうまくいっている同僚に新興宗教団体への入信を勧められてそれから仕事がうまくいくようになるという我欲バリバリのものでした。

 

これは,私が考える宗教の立ち位置ではありません。

 

誰かが上手くいっている反面誰かが泣いているという両面的な部分は競争社会では必ずあるわけで,入信をすればみんな上手くいくというのは無限連鎖講(ネズミ講のこと。犯罪です。)と同じ発想です。つまり,そんなことあるわけないんです。

 

そうであれば,上手くいっていない人に必要なのは間違った方向へ向かないための精神的な心の支えだと思います。そこに宗教の教えが必要ではないかと思うのです。そして,確かな事が分かりにくかった昔では,教えを信じるために絶対的存在が必要だったのですが,科学が発展した現在において絶対的存在は少なくとも自分の心以外には必要ないはずです。

 

しかし長く言い伝えられてきた教え自体は,たかだかここ何年で発展した近代文明などに覆されるはずはなくこの先も伝えていくべきだと思います。で,たかだかここ何年で発展した新興宗教などが濡れ手に粟で大きな建物をそこら住に建てている現状は,古くからの教えがあまり布教されていないのが原因だと思います。

 

多くの宗教で説かれている自己犠牲は,そこに「執着」がないからこそ必要とされるのではないかと思います。そうでないと何かしらの見返りを求めていることになるし,客観的な視点にたてないだろうし・・・

今日は,台風一過ならではのお天気となりました。

 

空が高く感じられ日差しは強いものの風があるので暑さはそれほど感じずとてもすがすがしい出勤となりました。

 

 

しかし,昨日は大変だったと思います。

 

皆様におかれましては無事にご帰宅できたでしょうか。

 

 

昨夜は,「風吹けば桶屋が・・・」ではなく,「風吹けば京葉線が・・・」でおなじみの京葉線のほか,多くの列車に遅れや運休が出ていたようです。

 

帰宅ができずに困り果てた方も多かったと思います。

 

天候によって交通機関が止まることは度々あることですが,外国の方が日本に来てまず驚くことは「電車が時間通りに来る」ことだと聞きますし,悪天候や人身事故でもない限り平常運行していること事態がすごいことなのかも知れません。

 

そして,外国の方が一番驚くことは「日本人がこれをごく当たり前のことだと思っていること」だそうです。

 

当然と思っていることが,実はとてもすごいことであることがあります。

 

イチロー選手の記録とか・・・

 

だから,アクシデントにイライラせず,むしろ平常運行の状態に感謝!感謝!

 

そして,タイ料理が食べたくなった今日この頃。

 

生春巻き大好き!!

2012-06-18

台風4号が近づいているようです。

 

くれぐれもお気を付け下さい。

土曜の朝,女優の南果歩さんが禅寺で修行する番組を見ていました。

 

あるシーンで南さんは,お坊さんに自らの生い立ちが普通の人と違うことに強く苛まれていてそれを一片足りないジグソーパズルに例えて話していました。

 

主観の強い人だと思いました。きっとこだわりも強い方なのだろうと思いました。

 

家の母はそれを見ながら頷いています。(似ているな)と思いました。

 

それを寝転がりながら見ていた父が「俺が座禅をしたら周りの人にちょっかいを出さずにはいられない」とへらへら笑っています。

 

一度やってみればいいと促すと「俺はやらない!!そういう生き方もあるんだよ!!」と開き直りました。

 

こだわりの少ないこの人にとっては,自分を含めてみんな普通の人なのです。

 

だから,常に人に囲まれて冗談を言って人を笑わせて周囲はとても賑やかです。

 

かつて,作曲家の中村泰士さんがテレビによく出ていたころ,父はよく中村さんと間違われてサインを求められていました。その度に「今プライベートだから」と茶化したり,似ていることをダシに若い女性をナンパして息子が同乗するワゴン車に乗せて海まで連れて行ったりしていました。

 

その適当ぶりは,現在でも健在ですが絶対にやってはいけない一線を越えることがありません。ここは立派なところ(?)と感心します。

 

そして,思い詰めたりしたときに意外と父の考え方が自分の気持ちを楽にしてくれることがあります。

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横浜の三門司法書士から事務所移転のおしらせを頂きました。

 

かつては,千葉県内で司法書士業務に携わっていたのですが,横浜で開業をして業務を行っています。

 

場所が離れてもよく相談にのってくれるので,結構頼りにしています。

 

また,とてもしっかり者でときに生意気ですが,まぁこれも性格なのかなと大目に見ています。

 

七月に横浜に様があるのでついでに遊びに行く予定です。

 

しかし,一緒に七夕をしようと持ちかけたら気持ち悪がられました。

 

 

さて,金環日食を見たのはつい先頃のことでしたが,4日は部分月食,そして今朝は黒い金星が見えたとのことです。

 

あいにく関東では見えなかったようですが,この日を逃すと次回は105年後とあって北海道にたくさんの天文ファンが訪れたようです。

 

105年という年月は人にとってはとても長い時間です。

 

長い時間を考えるひとつの基準として人間の寿命があげられます。

 

ここ何十年の間に日本人の平均寿命が飛躍的に伸びているようです。

 

国民年金が創設された昭和30年頃は,ここまで伸びることを想定していなかったかも知れません。まぁそれ以外の問題ほうが重大なのですが・・・

 

それはいいとして,人の一生を星の瞬きといったりしますが,天体における時間の流れは人の一生をもってしても短い時間です。

 

そういう見方をすると,なんとなく悩みや不安などが和らぐような気になります。

 

ビートルズの曲で「フールオンザヒル」という曲があります。この曲は,地動説を唱えて処刑されたガリレオ・ガリレイをヒントに作られたといわれています。

 

歌詞の内容は,毎日丘の上で空を見ている人を町の人達はバカにしているけど実はその人達とは違うものが見えているという内容なのですが,(あってる?)実際にそういう生き方もいいかなと思うことがあります。可能であればですが・・・

 

しかし,昨年に惜しまれつつなくなった元アップル社CEOのスティーブジョブズ氏はこういっておられました。「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」ということです。実際にそういう生き方を実践したいと思うこともあります。可能であればですが・・・

 

結局,長い時間のながれを感じることも,自分の人生を切り詰めるような生き方もバランスを取る上でとても大切なアドバイスだと凡人の私は思います。

 

ときにはゆったり

ときにはがんばり

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