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支持する訳ではないですが。

2015-09-02

我らが(?)山本太郎参議院議員の8月25日の国会質問の内容を知って驚いています。

 

氏のHPに『2015.8.25安保特「原爆投下や空襲は戦争犯罪・国際法違反か?」の質問に、答弁回避の安倍総理』というタイトルで、(おそらく)質疑応答の全部と資料が掲載されております。

 

この質問は、安保法案成立を目指す安倍政権にとって、急所を突いた質問だと個人的には思っています。

まさに、そこなのです。

 

とはいえ、山本議員は質問の中でも「戦争法案」とレッテル張り(まぁパフォーマンスという部分もあるのかと)といった調子ですから、安保法案について反対ありきの考えなのでしょう。

 

そして、この質問への返答も、普通の自立した国の首相であれば、イラク戦争とそこで行われた非人道的な行為を非難すると伴に、原爆投下や空襲を国際法違反と言い切った上で、「集団的自衛権は我が国に保障された固有の権利」と高らかに宣言できるはずですが、それができないところに我が国の病巣があるのだと思ってます。

 

興味が無いようでしたら見なくてもいいと思います。

 

そういえば、先月にロシアのメドベージェフ首相が北方領土の択捉島を訪れましたが、今度は、副首相らとの会議で、ロシアの領土として開発を加速させる考えを示したそうです。

副首相からは「ハラキリ」まで示唆された安倍政権。

 

自慢のはずの外交もここに来て株価と共に信頼を落としています。

 

そして、ここに来てロシアは2日に、極東サハリン州の州都ユジノサハリンスクで、第2次大戦での対日戦勝70年を祝う軍事パレードを開いたそうです。

 

プーチン大統領は、中国が開く「抗日戦争勝利70年」の軍事パレードに出席を表明しております。

 

もう、完全な喧嘩腰です。

 

たしか、今年の初め頃は、プーチン大統領も安倍首相との会談にかなり前向きだったはずですが、ここにきて、北京に赴いた際に習近平国家主席との会談を予定しているとしつつ、「安倍晋三首相の会談が合わせて行われることは計画されていない」とのことです。

 

何でこんなに嫌われてしまったのでしょうか。

 

その答えは明白で、アメリカやEUによる経済制裁が相当に効いているのではないでしょうか。

もちろん日本もその一角を担っていますから、むしろ恨まれない方がおかしいくらいです。

 

そうであれ工業の弱いロシアにとって、エネルギー不足の事情を抱える日本との交易は望むべきであろことから、ゆさぶりという意味も考えられます。

ですが、愛国者で名高いプーチン大統領は、欧米との足並みばかりを気にする安倍首相の表情に、能面のような無表情を思い浮かべているのかも知れません。

 

これも国家の自立という観点からすれば、山本議員が指摘したかったであろうことが、そのまま裏目に出た結果とも言えると思います。

 

改正安保法案の検討で重要なのは、”我が国の主権が外国に侵されてはいけない”というところであって、TPPやら農業改革やらで主権を絶賛切売り中の政府を誰が信用できるかということです。

 

ましてや、本来であれば、むしろ熱狂を警戒しなければならないはずの民主主義が、日本では何故こんなに冷めているのかとの理由は、ある国の意向に従わなければいけない事情がある故に主権者の意思に沿わない政治が行われているからと言わざるを得ないと思います。

 

だから、現実として総理大臣など誰がやっても同じなどと揶揄されるのでしょう。(脱米を一番真剣に試みた総理大臣は実は鳩山ではないかと・・・)

 

そもそも集団的自衛権に限って言えば、「それまで戦争参加できません!」で通してきた国が、突如として「自衛のために戦争に参加する!」と掌を返せば、警戒するのは当然です。どこの国も自国の利益のみを望んでいるはずですから。

 

アメリカだって、くみしやすい相手だと考えているから賛成するわけで、核を保有すると言ったら反対するにきまってます。

 

つまり集団的自衛権は、行使するのに他国の顔色をうかがうものではありません。

 

だからこそ自然権として保証されているのです。

防災の日

2015-09-01

本日は、防災の日ですね。

 

学校なのでは、避難訓練など行ったのでしょうかね。

 

日本は、世界有数の災害大国ですから、国民の防災への関心は尽きないことでしょう。

 

もっとも、先代が築いた高度経済成長期におけるインフラが老朽しかかっていることは、周知の事実です。

 

たとえ、避難経路などソフト面を充実させたとしてもハード面が崩落してしまっては元も子もありません。

 

災害から人命を守るには、インフラの立て直しは必須でしょう。

 

にもかかわらず「くにのしゃっきんが〜」の人たちは、人命よりも国の借金なる正体不明の概念の方が大事なようです。

 

(そもそも日本に財政問題は無いはずですが、)それにしたって、人命を守るためにどの様にやりくりするかを考えるのが政治というものでしょう。

 

そしてデフレで低金利、かつこのままではリセッション間違いなしの今こそ、大型補正予算を組む最大のチャンスではないでしょうか。

8月の終わり

2015-08-31

八月は本日で終わりです。

 

昨日は、ヒグラシの音を聴いて何だか寂しくなりました。

 

あれだけ鬱陶しかった8月の猛暑も今思えば、夏らしくて良かった・・・

 

いや、喉元過ぎても忘れられない暑さもありますね。

 

暗くなると虫の音も聞こえて来るようになりました。

 

もう秋ですね。

一瞬サンコンに見えた

2015-08-28

鹿児島県の知事が、女性の高校教育のあり方について、「高校でサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「それよりもう少し社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいいのかなあ」と述べたそうで、そんなことがニュースになっています。

 

本当に、政治やってる方は一言にいちいち揚げ足取られて何だか大変そうです。

 

それにひきかえ、あまり相手にされてない立場というのは好きなことが言えるので実に楽ちんです。

 

別に、負け惜しみでも無く、一つの物事に対して自分で考えてみると、どうしても現在の風潮にそぐわないことを考えることもありまして、それを心に留めてあえて世間様に合わせるというのもどうも精神衛生によく無さそうです。

 

それに、考えることってそれなりに楽しいことですから、ブラックジョークさながら禁断と思いつつも様々なアプローチをあえて考えてみるのは、精神的に健全なことだと思ってます。

 

まぁそれにしても、よくこんなことを一々話題にするなぁと思いつつもちょっと食いついてみます。

 

個人的感想を述べるとしたら、この知事さんはただ単に「女性は女性らしい方が好き」という個人的感想を素直に述べたということの様に思えます。

 

もっとも、知事という肩書きで公の場において個人的感想を述べるとなると、その政策方針と捉えられるのは致し方のないところでしょう。

 

とはいえ、大筋の話の中で、そのことに軽く個人的な感想を述べることさえ、肩書きどおりの見解というとなると些か窮屈であるようにも思えます。

 

公人は外に出たら公人でしかない、ということはあり得ないでしょうから、もうちょっと大目に見てもいいんじゃないかと思うのですが。

 

まぁ、とはいえこの事は、どうも女性差別問題の様に取り上げられている様で、後日の記者会見で知事は「サイン、コサイン、タンジェントの公式をみなさん覚えていますか。私もサイン、コサインを人生で1回使いました」と釈明したそうです。

 

要は、女性差別発言と解釈されることへの釈明だったと思うのですが、個人的にはそのことよりも、”一般社会で実用性のない学問を教育として採用する必要があるのか”という趣旨での発言だとしたら、その方が悲しくなります。

 

(自分で書いておきながら)社会の実用性って何でしょうね。


 

金を稼ぐ手段というのであれば、仕事に応用できる学問以外はすべてムダと言うことになるのでしょうかね。

 

学術は専門家に任せて、労働者は労働に励めば良いと言うことであれば、それはそれで立派なのかも知れませんが、我々は労働者であると同時に消費者でもあるわけで、逆に言えば誰かの消費の上に労働が成り立っているとも言えるはずです。

 

ですから、労働外の時間において、映画を見たり音楽を聴いたり観光へ出かけるなど、様々な文化や技術などに触れることで、知覚を満足させたりするわけです。

 

そして、それに費やすお金が誰かの所得となり、所得を得たその人が更に何かにお金を費やすことによって、文化や芸術、娯楽施設など様々な分野に広がりを見せるわけです。同時に経済や技術発展にも寄与する訳です。

 

もし、これらの時間が人の生活の営みとして欠かせないものであるならば、一個人が広く感心を持つ環境というのはとても大事なはずで、それには学問による誘いが多少なりともあるはずです。

 

もし、仕事にてかつて学んだ事が実用できなくても、労働時間外においてその学術がどう実用されているかを知ったり、単にコミュニケーションのなかで蘊蓄として語るということであっても十分に文化的だと思うのですよね。

 

もちろん、趣味で学問を続けても良いわけです。

 

知識や思考が人生を楽しむ要素のひとつであるならば、一人の人間の一生ではとても語り尽くせないほどの知見が世の中には沢山あるはずです。

 

にもかかわらず、そのこと自体から目をそらすことはもったいないことのように思えます。

 

ちょっと気の毒に思いつつも、今回の知事さんの発言について穿ってみると色々考えられると思うのですが、それにしても毎度ながら、差別を全面的に主張して非難する人々の見識の狭さには呆れ果ててしまいます。

過ごしやすい一日

2015-08-27

今日も過ごしやすい一日でした。

 

とはいえ、寒暖の差があるときは、とかく体調を崩しやすいものです。

 

お身体には十分お気を付けください。

涼しくなって思うこと

2015-08-26

昨日から気温がずいぶんと下がりました。

 

不思議と気持ちが落ち着きます。

 

自宅では、夕暮れ時にひぐらしの鳴く声が聞こえるようになりまして、それまでの猛暑から解放されたことをホッとするとともに、夏の終わりを寂しく感じもします。

 

暗くなると虫の音も聞こえるようになりました。

 

毎年のことですが、この寂寥感は甲子園が終わったあたりからほのかに感じ始めるもので、子供の頃は学校の始業を意識し始めることもあって、一生懸命に意識をそこから逸らそうとしたものでした。

 

大人になって、環境が変わって夏休みが短くなっても、同じ時期に当時と似た寂しさを感じるというのも不思議なものです。

 

ただ、当時は季節をカレンダーよりも感覚で味わっていた様にも思えます。

 

草のにおいだったり、南から吹き抜ける風の熱だったり、かき氷を食べたあとの恒例の頭痛とか夕立の冷たさとか。。。

 

なんか、考えることが多くなった分感じる事が少なくなっているかもしれません。

 

まぁそれはそれでいいのでしょうかね。

 

でも、人生をやり直したいなどとは思いませんが、翼を広げるがごとく赴くままに感性を広げていたときのことを懐かしく思うとともに、さびしくもなります。

 

夏の終わりはいつもそんな感じです。

国債暴落論発足(推定)20周年記念

2015-08-25

本日も派手に下がった様です。

 

25日の東京株式市場の日経平均株価は、前日比733円98銭安の1万7806円70銭で取引を終えたとのこと。

 

なんでも、6営業日続落で、6カ月半ぶりの安値水準で、株価が6日間連続で値下がりするのは、2012年12月26日の第2次安倍政権発足後、初めてだそうです。

 

さらに注目すべきは、世界的な株価の急落を受けて、比較的安全な資産とされる円を買う動きが進み、円相場は一ドル=118円台まで値上がりしましたとか。

 

その後、円を売る動きが出て120円台まで値下がりするという激しい値動きだったようです。

 

そういや、2年くらい前に安倍首相はニューヨーク証券取引所で「buy my abenomics」と発言したことは、だいぶ昔のことのように思い出されますが、とうとう売られてしまいましたね。

 

買われていたのは「abenomics」ではなくて円安による為替差益だったとは・・・

 

まぁ良かったじゃないですか。

そうがっかりしなくても、株価が実体経済を反映していないことが明らかになった訳ですし、経済状況の判断も誤魔化しができなくなった訳で、経済政策における考えもよりシビアになるはずです。

 

とはいえ、これだけ世界的に金融市場が不安定であると、金融緩和を止めてしまうことでかつてのスイスフランのような円の乱高下、もしくは想定できないような混乱を招く事態となりかねません。

 

まず、日銀当座預金にブタ積みされているお金について、市中銀行から貸し出されるために企業の資金需要を喚起する必要があるのではありませんか?

 

そうなると景気対策のための大型補正予算を組むほか手がないと思います。

 

もちろん消費税増税も凍結です。

 

それでは国債の信用が〜〜とはじまるわけですが。

 

この度の株安においても安全な資産として円が買われているわけですから、円建て国債のデフォルトをいったい誰が心配しているというのでしょうか?

 

もちろん、景気対策をうったおかげで資金需要が出てきたら、銀行は保有している国債を喜んで手放すでしょうから金利は上がり国債の価格は下落するでしょう。

 

一方で、それは取引が活発になるわけだから税収も増えるでしょうし、銀行が預金と貸し出しを連鎖的に繰り返すことで、貨幣(預金通貨)を増やすことができる信用創造という効果もあります。

 

そのように好景気となった状態で、金利が上がったとしても日本国債のデフォルトをいったい誰が疑うのでしょうか。

 

景気が加熱しすぎたらその都度調整すればいいわけです。

 

デフレの時はデフレの、インフレの時はインフレの対策があるわけで、その時々の処方というものがあるものでしょう。

 

すくなくとも、貨幣の数量と日銀のコミットメントだけで、物価を上昇傾向に誘導できるという考えは間違っていたということを認めましょう。

失敗を認めないノミクス

2015-08-24

中国の元偉い(?)人が逮捕されたという噂がネット上で話題となっています。

 

なんでも、先日の天津における大爆発の黒幕として嫌疑をかけられた、なんていうまことしやかな噂が流れているようです。

 

粛正の嵐が吹き荒れる予兆なのか・・・

 

いずれにしても大事件です。

 

なお、9月3日には北京で「抗日戦争勝利記念行事」の軍事パレードが予定されている様ですから、タイミング的にも関係があるのかも知れません。

 

そういえば、現在世界陸上が北京で行われていますね。

 

とはいえ、出場各国は大気汚染や食の衛生など環境面について、開幕前からかなり警戒していたようで、開幕前の事前合宿は中国でなく日本を選択した国も少なからずあったとか。

 

とにかくただでさえ、お近づきになりたくない国NO.1の人民共和国ですが、さらに「抗日戦争勝利記念行事」などとやってる期間に、特に日本人がいくのはちょっと危険な気がします。

 

と思ったら、経済評論家の三橋貴明氏が、9月1日から5日にかけて中国まで取材へ行かれるそうで、心中お察ししますとともに、ご無事でのご帰還を心よりお祈りしております。

 

ところで、日経平均が派手に下がった様ですね。

 

一方で、円が買われた様で、円相場は先週末に比べて2円以上円高ドル安となって、およそ1か月半ぶりに1ドル=120円台まで値上がりしたそうです。

 

さて、安倍政権が成果を誇っている唯一の材料で、実体経済を反映していると頑なに主張している株価が、中国経済の減速を背景にさがるって・・・それはおかしいですね。

 

また、参院予算委員会にて、日銀が目標に掲げる2%の物価上昇を達成の目安としていた今年4月を過ぎても実現できていないことについて、「原油価格が暴落した中で達成できないのはやむを得ない」と首相が答弁したとか。

 

石油産出国の所得となる原油価格を物価上昇の目標に含めて、いったい何のための物価目標なのだか、言ってる本人が解っておられないようです。

コアコアで語りませんか。

 

というか、いい加減失敗を認めましょうよ。

お盆明け

2015-08-21

皆様、お盆明けお疲れ様でした。

 

やはり、連休明けは疲労感がありますね。

 

おかげさまで、忙しい一週間でしたが、充実した日々を過ごせました。

 

天気が崩れたのも、一時の暑さを考えればホッとしたところでした。

 

では、良い週末を。

世界中の冷や汗の量

2015-08-20

大変恐縮ですが笑ってしまいました。

 

世界最大規模の既婚者向け出会い系サイトから個人情報が流出したそうです。

 

サイト運営側もデータ流出を認めたそうで、なんでも流出した情報には名前や住所やらの情報も含まれているとか。配偶者に見つかったら言い逃れはできませんね。

 

利用者には下手をすれば家庭崩壊の危機が迫っているわけで、今このときに世界中で流されている冷や汗の量はいったいどれくらいなのでしょう。北半球は夏ですから相当だと思います。

 

そして、今日も日本は大変蒸し暑かったのですが、このサイトの登録者は日本だけでも約180万人いるとか。(どうやって調べたんだ?)

 

すごい数ですね・・・・

 

東京ドームの収容人数が5万5000人で、とあるフォークシンガーが富士山の麓でやるライブが10万人で・・・

 

千葉市の人口でさえ90万人強ですから、千葉市の人口にダブルスコアを付けるほどの人数です。ほんとすきだねぇ〜

 

とはいえ、既婚者向けというのが引っかかりますね。

 

入会に際して証明として戸籍でも提出するのだろうか。

 

もっとも、アメリカには戸籍の様な制度が存在しませんので、証明は必要ないのかも知れませんね。

 

そうだとすると、独身者が結構な確率で混ざっていることも考えられます。

 

まぁこういうのは気分を楽しむものでしょうから、おそらく利用者にとって真実を知ることはむしろ無粋となるのでしょうね。

 

とはいえ、この話題に絡めてちょっとネットで調べてみると、「なぜ、不倫はいけないのか」という疑問を持たれている方(見る限り現在進行形)が割と多くおられるようで気になりました。

 

一応、法律専門職の端くれながらも、ここは杓子定規の法律論云々を持ち出さない方が面白いと思いまして、ちょっと検討してみたいなと。

 

かつて、嘘か本当か「不倫は文化だ」なる言葉もある芸能人の言動をきっかけに流行言葉となりましたが、読んで字の如く倫理の「倫」を「不」という否定的な文字で打ち消してしまっておるわけです。

 

ウィキペディアによりますと『倫理から外れたこと、人の道から外れたことを意味する。』ということのようです。

 

では、倫理とは何かということが気になります。

 

大辞林 第三版(ネットで調べた)では『人として守るべき道。道徳。モラル。』なんだそうです。

 

道徳と区別してないところが気になりますが、それにしてもどぎつい表現となりますね。

 

不倫=人として守るべき道から外れたこと

 

となるわけでして、とても文化どころの話ではありません。

 

それにしても、人によっては男女の自然にまつわる営みが、法律や倫理の概念からすこし逸れたとて、ここまで言われることかとお思いの方もおられることでしょう。(特に現在進行形の方)

 

実際に一夫多妻など、一夫一妻以外を制度で認めている国や地域もあるわけで、一夫一妻で「汝、姦淫するなかれ」という価値観は決して万国共通ということでもないのでしょう。

 

動物の本能たる種の保存の観点からしてみれば、子供を宿すのが女性であり、男性が連続発射の機能を備えているわけですから、単に子供を多く生むという意味では男一人が複数の女性に種を付けたがるというのは合理的とも言えましょう。

 

ただ、生まれた子供を育てるという事は、国によって文化的な側面が大きく影響しますから、その文化に沿った育て方が要求されるとなると、子供の数の適正というのは家計や居住環境やらに大きく影響されることでしょう。

まぁ子供を産むことが不倫の目的というわけではないのでしょうけど、文化が自然的な行動を抑制するということがあり得るのではないか、という話です。

 

また、家族という集合体を基礎として生活するという文化も男女の営みを外へ持ち出すことへの抑制となりそうなものです。

 

ですから、本来であればしたいことを文化が縛り付けているということじゃないかと思ってます。

 

もっとも、これまですべて男性目線でしたが、日本だけでも180万人いるというサイト会員の男女の内訳は明らかにされていないわけで、予想外の真実が明らかになるかも知れません。

だめぽ

2015-08-19

財務省が発表した7月貿易統計速報によりますと、貿易収支(原数値)は2681億円の赤字となったそうです。

なんでも、原油価格の低下で輸入の減少傾向が続く一方、円安による輸出の増加で、貿易赤字額は前年同月の9665億円から大幅に縮小したとか。

 

なお、赤字は4カ月連続だそうです。

 

というか本当に原油価格に助けられる感がありますが、このまま産出国が減産しないという保証は何処にもありません。

しかも、海外の需要がイマイチのところに来て中国経済の急激な減速から、今後の輸出が伸びる期待もできる見込みは少ないように思います。

 

そこにきて、ご存じの通り4〜6月期の国内総生産(GDP)の速報値は、年率換算で1.6%減。3四半期ぶりのマイナス成長ということで、経済に関して喜ばしいニュースはありません。

 

そうであれば、普通の政府が考える普通の経済政策は補正予算を組むことでしょうけど、「そのような経済対策は想定していない」と、甘利経済再生担当相の談。

 

私に言わせれば、もはや普通の政策を打てないこの方々が、どういうつもりで政権に居座っているのか、もはや想像すらつかないのです。

 

経常利益が黒字で、かつ自国通貨建て国債のみ発行して、しかも国債保有者の殆どが国内企業と日銀という国がデフレという状況。。。

 

もうひとつ加えるなら未だ長期金利は世界最低水準という状況です。

 

なぜ補正予算が妨げられるのか、政府は理解できるだけの説明をする必要があると思います。

 

なお衝撃的なのは、このまま補正予算を打たないのであれば、「コンクリートから人へ」というスローガンのもとに日本破壊工作を行った以前の政権と同じ水準まで公共事業関係費落ち込むようです。

 

それではなお足らず、社会保障費の削減まで企んでるわけです。

 

政府支出を減らすだけの簡単なお仕事なら総理大臣なんて私でもできそうなものです。

 

しかも、いまだに「景気は緩やかに回復している」だってさ。

 

本当にどうかしてるのではなかろうか。

 

一日に人身事故で何回電車止まってるのか、一度数えて欲しいものです。

似てる

2015-08-18

2020年東京五輪の公式エンブレムがベルギーの劇場のロゴなどと似ていると指摘されたことが話題となりましたが、某ビール会社のキャンペーン賞品に使用したデザインの一部に模倣があった等、次々と制作者(デザイナー?)に対する盗用疑惑が持ち上がっています。

 

これは難しい問題だと思います。

 

なんたって、世の中にあるすべてのデザインを確認できるわけではないですから、既存のデザインに似てしまうというケースはどうしてもあり得ることと思います。

 

もっとも、渦中の人物は某ビール会社の件については一部に模倣があったことを認めているそうで、こうなると次々とわらわらと盗作疑惑を持ちだしてくる人が現れるのは致し方ないことでしょうね。

 

良心云々と言うよりは、人の性というものじゃないかと思います。

 

ところで、世のクリエイターの方から見て、この顛末はいかがな感想を持つのでしょうかね。

 

あくまで盗作はあるまじき行為というところではあるにしろ、一個人のアイデアを商品として絶えず生産を続けるというのは、思いの外大変なことなんじゃないかと個人的には思ってます。私はクリエイターではありませんが。

 

個性が要求される、などと言われたりするのでしょうけど、実際の話、大衆が望むものなんて大抵は似通っているはずですから、そのトレースに少し特徴を加えるという形で制作していかないと採算ベースに乗らないのではないかと素人ながらに考えてしまいます。

 

それを模倣と言われてしまうと、いささかきついと思う方もおられるのではないかしら。

 

とはいえ、ふんどしを取られた方としても黙ってはいられないわけで、なかなか難しいところです。

 

とはいえ、その手の権利主張が強くなればなるほど、権利保護が強くなるにつれ市場は寡占化していくのではないでしょうか。

 

そうなると、皆さんが大嫌いな既得権益が幅を利かす業界と揶揄されるかも知れませんぞ。

 

ですから、このあたりの権利や義務の調整はさじ加減が難しいと思います。

 

すくなくとも権利主張を絶対的な善とすることはあまりよろしい事にならないと思えます。

 

まぁ既得権益を絶対悪とするのもいかがかと思うところですが。

Mr.戦後レジーム

2015-08-17

安倍首相の戦後70周年談話が各方面で話題となっています。

 

ある人は評価できるといい、ある人はまったく評価できないといいます。

 

また、踏襲されるであろうとされていた1995年の村山富市首相談話について、当の村山元首相本人は、(村山談話が継承されたという認識は)「ない!」とのことです。

 

個人的には、村山談話との違いを大きく印象付けたのは、「あの戦争とは何の関係もない子供たち、孫たち、さらにはその先に来るはずの世代に、あらかじめ謝るよう運命づけてはなりません。」というくだりでしょう。

 

この一文を付したことで、保守派の溜飲も多少下がったのではないでしょうか。

 

とはいえ、これが要点というほど談話の中でインパクトを放っている様に感じないのは、談話の冗長さが印象を薄めてしまっている、という風にも思えます。

 

そして、全体的な印象としては、(・・・で、結局何が言いたかったの?)といったところです。

 

う〜ん・・・何でしょうね。別に批判する様な内容でもないのですが、賞賛するほど立派ともおもえません。

 

そして、この歴史の大事な部分の中抜き感は・・・

 

たとえば、戦後70周年を期に首相が談話を発表しなければならない義務があるのであれば、批判を意識するが為の内容として理解できますが、そうでなければこの度あえて首相の立場として発しなければならない内容だったのか、というところがちょっと解りにくく思えます。

 

でも、思い出してみれば、経済成長とPB均衡を同時に掲げていたように、ブレーキとアクセルと同時に踏むようなどっち付かずを政権発足当初からずっとやって来てたわけで、そう考えると談話の内容も安倍政権の政治手法を物語っているとして妙に納得がいきます。

 

いまさら安倍政権に期待することなどありませんから、逆にそれほどガッカリすることあるりませんし、もしかしたら批判を避けるという意味以外で論じられるほどの意思を示したとは談話を発表した本人も考えてないのかも知れません。

 

一つ言うとすれば、個人的な談話の印象として、歴史の大事な部分の中抜き感と前述しましたが、戦後レジームというのは歴史の重大な部分の無認識だと思ってます。

とすれば、戦後70周年にこの度の談話を発表した安倍首相は戦後レジームの象徴たる首相と言えるのではないでしょうか。

 

ここにMr.戦後レジームの誕生です。

 

おめでとうございます!

しょうもないのね

2015-08-11

すっごい批判を受けてますが、ご存じの通り自民党の若い議員さんが、ツイッターにてSEALDsという安全保障関連法案の反対デモを行っている団体に対して、つぶやいた(?)一言では足りない二言三言について、ちょっと思うところがありました。

 

話題となった当初は、自民党の安倍シンパ議員らしいと他愛もない事と考えていたのですが、実は発言の趣旨はともかく発言の背景や意味を掘り下げると意外と興味深いなぁと思った次第です。

 

ちょっと、現地まで行ってコピってきましたのであげます。

 

『SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。』

 

よく見ると、『非常に残念だ。』という個人的感想を置いておけば、割と理解を示している様に思えるのです。

 

なぜなら、「だって戦争に行きたくないじゃん」という意思を汲むと同時に、その原因を個人の精神に負わせることを避けて『戦後教育』のせいとしている訳ですから。

しかも、『戦後教育』を長く担ってきたのは、長く政権与党の座にあった自民党の議員が長として組織する行政府ですから、自民党批判ともなりえるのです。

 

それこそ私がSEALDsの一員だったら(ならないけどね)「我が意を得たり!!」と思うことでしょう。

 

にもかかわらず、なんで批判として受け止められているのだろうか?

 

別に議員さんの肩を持つつもりは毛頭ありませんけど。

 

思うに、安全保障関連法案への賛否について論点がブレブレで、全く関係のない論点で語られてしまっていることが最もたる原因かと思われます。

 

一つ言えば、賛否を問わず安全保障関連法案について真っ当な議論をするなのら、少なくとも「戦争法案」などと言い換えることは止めるべきだと考えます。

レッテル貼りという行為は、それをした時点で思考停止をしていることの証です。

分かりますよね。

 

で、そもそも戦争に行きたくないという個人の感想は、安全保障関連法案とは全く関係ありません。

逆に、戦争しないための法案、というのも誤りだと思います。

そういう効果があることは否定しませんが、やりたくなくてもやらなければならない場面が今後訪れたときのための安全保障であるはずです。

来ないこと願いつつも来たるべきに備えるのが安全保障の理念ってものでしょう。

 

要は、起こって欲しくない、考えたくもないことを想定してその時に備える対策が安全保障ですから、民意という個人意見の集合体とガチンコでぶつかり合うことは必然的なわけです。

 

そうであれば、民意を国家運営に相応しい形に抑止することが、結果として民意にも叶うことは歴史によって証明されている訳で、その制度こそが間接民主制ということだと思います。

 

では、現在の安全保障と民意との衝突について、果たして間接民主制がきちんと機能しているのか、ということが問題ととなります。

 

たとえば、議員が選挙にて選出されるという事情に着目すれば、議員は人気を得るがために表面的に民意に従うより無いように思えます。

 

一方で、人間というのは現実として極端に実利的に生きていくということはできない訳で、むしろ有権者にとって都合の悪いことを堂々と行ったりする方が人気を博したりもするようです。

小泉元総理大臣のときの自民党が典型ではないでしょうか。

 

ですが、その様に我々国民にとって都合の悪いことを苦渋の決断として受け入れた先に、さらなる苦渋が待ち受けていたわけです。

これは明らかに誤った選択だったのでしょう。

 

そして現代では安全保障上の問題も差し迫っています。

 

様々な先進国で採用されている間接民主制自体に大きな欠陥があるとは思えませんから、そうすると安全保障についての認識について、しょうもない事態に陥っているのはいったいどうしてなのでしょう。

 

思うに、現行で問題となっている安全保障関連法案についての事態でいえば、与党側が反対野党と反対派の民意を抑えきれないといった構図に見えます。

 

何せ、あれだけやりたい放題でも一向に下がらなかった政権の支持率も、安全保障関連法案が話題となり始めてからガクッと下がってきていることから、多くのノンポリさんが法案反対派についたと考えられます。

 

昨日も書きましたが、国家の安全保障をグチャグチャにするような政策を打ち立てておいても下がらなかった支持率が、軍事に関する安全保障を取り上げた途端に急降下するわけです。

 

ここにしょうもない事態に陥っていることを突き止める鍵がある気がします。

 

つまり、TPPやら農協改革やら電力自由化やらの反国家安全保障について無反応であった人にとっては、これらの政策が民間や外国企業への市場開放であるから代替がきく、つまりは自分たちの家庭には影響がないばかりか、むしろ安く買えるくらいに考えていると思われます。

 

一方で、軍事面での安全保障政策については、家庭に影響があると考えているのでしょう。しきりに徴兵制を意識しているのもそのせいだと思います。

というか、現実に戦争が起こるなどとは露程にも考えてはいないはずです。

単純に、国家から命令を受ける状況を醸成されたくないということでしょう。

 

であれば、最早しょうもない事態に陥っている理由は簡単です。

 

安全保障関連法案を推し進める方にも反対する方にも抜けているのは国家観ということでしょう。

それは、物理的な国土や人といった単純なものではなく、歴史や伝統、文化などなど時間軸により紡いできた様々な事柄をも複雑に織りなすものでなくてはなりません。

 

逆に言えば、物理的な国土や人を国家として国家観を形成するのであれば、安倍政権や小泉政権は正しいのかもしれません。

しかし、そうなると国家の役割としては、安全で稼げる場所だけは提供するから後は好きにやってくれ、という風になるでしょうから、いわゆる夜警国家化でしょうね。

 

まぁそれは良くないとしても、安全保障関連法案は憲法9条という条文に抵触する可能性があるわけで、安全保障関連法案に関する論点はそこに尽きると思われます。

 

もっとも現実問題として物理的に国家の安全が脅かされる事態が近づいている訳で、そのことは法案の国民へのコンセンサスとは全く関係なく迫ってくるわけです。

そして当然「来ない可能性が高い」といった主張は反論に当てはまりません。

それはただの希望的観測ですし、考えたくもない事態を想定してこそ安全保障なのですから。

 

そう考えると、我が国の憲法には、マーシャルローという、いわゆる戒厳令の規定がないことから、事態を重く見ている人にとっては焦りがあることは当然のことです。

法案ぬんぬんとはまた別に、その事情についての対策を議論すべきではないでしょうか。

 

そういう意味では、磯崎議員の「法的安定性は関係ない」という例の発言についても気持ちはわからんでもありません。

ただ、立場上の話で、立法府の人が言っちゃダメでしょ、ということだと考えてます。

 

いずれにしても、間接民主制において国会議員は我々の写し鏡を見るようなものです。

 

彼らがしょうもなく見えるのであれば、まず”自分自身がしょうもない”ということを疑うべきでしょう。

何とも言えない心持ち

2015-08-10

また、朝日新聞が嘘をつきました。

 

一昨日「太陽光発電の普及・節電定着…猛暑でも電力にゆとり」という見出しで、今夏の電力供給について報じており、その文中で「すべての原発は止まったままだが、太陽光発電の普及や節電の定着で、真夏の電力不足の心配は遠のいている。」と解説しています。

 

ところが、現実には、太陽光による発電実績は32億2194万kwh。それに対し、総発電実績は704億2313.7万kwhなんだそうです。

つまり、太陽光発電の実績が全体に占める割合は、たったの4.5%。

 

http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/201508092.jpg

 

(三橋貴明氏ブログ「新世紀のビッグブラザーへ」から拝借)

 

太陽光による発電は天気など条件によって不安定な状態を免れませんが、朝日新聞の記事は本当に安定的です。

 

ところで、連日猛暑が続いておりましたが、今日の千葉は雨マークです。

気温も下がりホッとしています。

 

夏バテでボーッとしていた意識も大分回復したところです。

 

そんな中、ふとテレビで見たニュースですが、日本への原子爆弾投下命令を最終決定したハリー・S・トルーマンのお孫さんが核兵器廃絶を訴えていると報じられていました。

 

トルーマンと言えば、前述の通り日本への原爆投下を指揮したことで有名です。

そのお孫さんクリフトン・トルーマン・ダニエル氏は、やはり幼少の頃から原爆投下の正当性を教育され自身ずっとそう思っていたそうです。

 

その考えに大きな変化を与えたのが、ダニエル氏が来日したときに目の当たりにした広島平和記念資料館の佐々木禎子さんにまつわる資料だったとか。

 

その時から被爆者に直接出会って声を聞き、その残酷さを知ったことが世界に核兵器廃絶を訴えるきっかけになったとか。

 

日本でも公演やパネルディスカッションなど核兵器廃絶を訴える運動を行っているそうです。

これだけでも意外と思えるのですが、さらに興味深いことがありました。

 

そのニュースの中で被爆された方と思しき人からダニエル氏に対して原爆投下についての謝罪を求める場面がありました。

 

なんと、その謝罪要求に対してダニエル氏は拒否の意を示したのです。

 

私は見ていて(あれ?反省したんじゃないの?)と一瞬こんがらがってしまいました。

 

ダニエル氏の言い分としては、ちょっとわかりにくかったのですが確か、自分が判断したことではないから自分が謝ることはできない、といった様なニュアンスだったと記憶しております。

 

これに関しては、子々孫々を家(柄)で繋いできた日本の考え方と、個人の意思を尊重する西洋的な考え方との違いではないか、と個人的には思っています。

 

もしダニエル氏の精神に、たとえ血縁とはいえ他人の意思を何人たりとも引き継ぐことはできない、という考えがベースにあれば、謝罪を求められたことをむしろ不思議に思ったかも知れません。

 

一方で、核兵器による被害の凄惨さを自分の足で知り、核廃絶を呼びかけるという行動によって、被爆された方々に対してその苦しみを理解しようとする姿勢としては疑う余地のないところとも思えます。

 

また、日本におけるシンポジウムなどにも参加されている様で、謝罪についてはこだわらずとも和解として受け入れるという姿勢も日本側に見られているように思います。

 

そう考えるとダニエル氏の人柄について、正直な方とお見受けすると共に、それを受け入れる日本人側には同じ意思を持つ者に対する融和の意思を垣間見ることができます。

 

ちょっと無粋な言い方をすれば、戦後の日本とアメリカとの関係に似ているようにも思いました。

 

とはいえ個人的意見を言いますと、原爆被害も含めた戦禍の跡は風化させようにもできないと考えています。

もちろん、風化させまいと努力されている方々のご尽力には恐れ入るばかりですし、正しいことだと思いますが、この事は歴史の事実を後生に正しく認識させる為のご努力だと思います。

つまり、戦禍について教育や情報を歪めて、人の記憶から消し去ることを試みたとしても、かつてあった事実自体を消し去ることなどできず、しかもそのことは事実を伝え継いだ場合よりも歪んだ形で後生に影響を残すことと思います。

 

そう考えると、次世代にその意思を引き継がない個人主義の世界では、ある世代が核兵器廃絶を唱えたとしても世代が変わってしまったら果たして叶う日はやってくるのだろうか?

 

ただそのことは、我が国においても大いに思い当たることでしょう。

 

そう、いわゆる戦後レジームですな。

 

戦禍を帳消ししておつりがくるくらいの繁栄をアメリカに追従したおかげで享受できた我国の国民性というのは、現在において直面する安全保障上の問題について誠実であると言えるでしょうか。

 

思いあたる例としては、政府は世界文化遺産登録の件にまつわる対応で歴史に残る大失態をしでかしました。

 これは明らかに、歴史認識のゆがみと言えましょう。

 

更には、農協解体により食料安全保障の担保を崩し、電力自由化によってエネルギー安全保障を揺るがし、派遣法や外国人労働者の受け入れ、消費税増税によって国民の所得水準を下げてデフレをいっそう深刻化させようとしている。

 

 

にもかかわらず、国民の安全を謳って軍事面の安全保障を強化するという所行は、正に安倍・・・じゃなくてアベコベです。

 

日本の総理大臣は、本気で日本の安全保障を脅かす事態を想定して法整備をしているのか、大いに疑問です。

 

一方で、それを戦争法案などと呼び方を変えて趣旨を歪曲させて批判し、またそれまで恩恵を受けてきたエネルギーの供給源に至っては全否定してしまう善良な市民達・・・

 

 

やはり我が国は、事実を情報、また教育として正しく伝えてこれなかったのだと思います。

 

 

事実を間違った認識のもとに長きに渡り信じ込み、謝る必要の無い相手に謝り続けた我が国が、果たして70年前に起こった原爆投下について誠実に受け止めることができるのか。

 

クリフトン・トルーマン・ダニエル氏の存在は、そんなことを問いかけているように思えるのでした。

夏ばてとほし梅

2015-08-07

今週あたりから調子が良くなかったのですが、今朝方は耐えがたいほどに身体がだるくなりました。

 

(あぁとうとう来たか?これが熱中症というやつか・・・)と思いながらも、とにかく今日一日を何とかやり過ごすために水分を多めに採り、食べ物を無理やり口に放り込んで出かけたのです。

 

ところが、駐車場までの道のりでへばってしまい(これはどうしたものか・・・)と、とりあえず近くにあった自販機で買ったスポーツドリンクを飲みながら、今日一日を憂えるのでした。

 

とはいえ、出発しないことには始まらないので、車中に置き去りにしたままのコンビニで買った干し梅のお菓子をひとつ口に含みました。

 

するとどうでしょう。

 

それまで体中を蝕んでいた怠さが驚くほどに消えていくではありませんか。

 

これはビックリとばかりに、もう一つ口に放り込むと、またもや怠さがなくなりスッキリとしてきます。

 

そんなこんなで今日一日何とかなったのですが、なんでも干し梅に含まれているクエン酸が夏バテに効果的とか。

 

連日猛暑が続いております。

 

体調がすぐれないと感じたら我慢しないで病院へ行きましょう。

あまごい

2015-08-04

連日猛暑が続きます。

 

すこし雨が恋しくなってきませんか。

 

お身体には十分お気を付けて。

再結成否定派

2015-08-03

今朝のニュースで、広島と長崎に原爆が投下された日付について正しく答えられるか、といった調査をNHKが行ったことが報じられていました。

 

なんでも、広島市と長崎市、それに全国の20歳以上の男女を対象に、それぞれ1000人余りから回答を得た結果、広島に原爆が投下された日付について「昭和20年8月6日」と正しく答えられた人は、広島で69%、長崎で50%、全国で30%だったとか。

 

更には、長崎に原爆が投下された日付について「昭和20年8月9日」と正しく答えられた人は、広島で54%、長崎で59%、全国で26%だったそうです。

 

まぁ日付ですからねぇ。

 

数字の羅列というのは覚えにくいものですが、もしこれが安保法案云々に目くじら立てている人の現実だとすると、さすがに背筋が凍ります。そのなかで解らなかった人の割合ってどれくらいだったのか気になりますね。調べるとしたら思想調査になってしまいますが。

 

それはいいとして、とても気になったのは、「アメリカが原爆を投下したことについて現在、どう考えていますか」と聞いたところ、「今でも許せない」と答えた人は、広島で43%、長崎で46%、全国で49%だったそうです。

 

そして、『一方、「やむを得なかった」と答えた人は、広島で44%、長崎で41%、全国で40%で、広島では、ごく僅かですが、数字の上では「やむを得なかった」と答えた人が、「許せない」と答えた人を上回りました。』と報じられています。

 

対比して、全国における「今でも許せない」との答えが全国で5割近くに達し、しかも「やむを得なかった」を9%も上回っていることもとても印象的です。個人的には意外な結果だとおもいました。

 

というのも「今でも許せない」相手の恩恵によって反映した国に住み幸福を享受するという心理は如何様にもしがたいほど屈辱的なものでしょう。(いいすぎてごめんなさい。でも自分もそうなんです。。。)

また、「今でも許せない」相手の軍事施設が国土に存在するわけですから、その憎しみたるや凄まじいものでしょう。

 

とはいえ、反米感情と言われる世論が「今でも許せない」と答えた人と同じく49%もあるとはとても考えにくい気がします。

 

ということは、罪を憎んで人を憎まず、ならぬ国を憎まずというということなのかしら。

 

ある意味そういう分別というか問題をなぁなぁにするテクニックというのは日本人ならでと思います。

もちろん、他人他国との摩擦を避けて共存共栄を目指すというとてもいい意味でのことです。

 

とはいえ、大事な感情を隠しながら笑顔を振りまいているような、何か国家として大事なことを覆い隠して気づかないふりをしてる風にも思えるのですよ。

 

それゆえに、被爆から70年も経ちながら安全保障の定義さえ曖昧なまま、政策(policy)のレベルで話を進めているから、話がまとまらないのではないのでしょうか。

なんたって、多くの政治家が安全保障の定義さえ語れないのが我が国の現状ですから・・・

 

そういえば、先日元レッドツェッペリンのジミーペイジ氏が広島を訪れて平和公園の記念碑に献花したことがニュースとなっていました。

なんでも、ジミーペイジ氏は44年前にも広島を訪問しており、その時はバンドでチャリティーコンサートを開き、売上金約700万円を市を通じて被爆者に寄付したとか。

 

ちなみに、ジミーペイジ氏はイギリスの方ですが、イギリスといえば連合こ・・・やめましょう。

 

ちなみに私はリアルタイムで見れなかったのですが再結成については否定派です。

変えなければならない事

2015-07-31

4−6月期の国内総生産(GDP)についてマイナス成長との見方が広がっている模様です。

 

総務省が2人以上世帯の実質消費支出を前年同月比2.0%減と発表したことを受けて、民間調査機関の間でプラス予想だった4─6月期の実質GDPを大幅なマイナス成長に下方修正する動きが相次いでいるようです。

 

なんでも、消費支出は5月にはプラスに転じたものの再び落ち込んだとのことで、結果として前年比を下回ってしまいました。

 

それにしても当初プラス予想をしていた民間会社が多かったようで、軒並み下方修正しているところをみると、プラス予想をした理由が気になるところです。

 

もちろん予想というのは、その時に確定している情報だけを頼りに未来に見当を付けることですから、外しても仕方ないという部分はあるわけですが、これだけ派手な間違いの裏には共有している情報の解釈について重大な問題があるということのようにも思えます。

 

実際に当初からマイナス成長を予想されていた評論家もおられることから、想定を超える事態というわけでも無さそうです。

 

例えば、ロイターの記事などは「構造問題置き去り長期停滞懸念」などと見出しにて謳ってますが、文中ではその詳細についての説明はありません。

 

消費支出の前年同月比2.0%減という情報は誰にとっても共有されている情報ですが、それに伴う調査会社の下方修正について何の説明もなく「構造問題置き去り長期停滞懸念」との問題と解釈をして見出しを立てるというのはいかがなものか。

 

とはいえ、これを見た人にとっては(構造問題を置き去りにしたからこそ成長率が伸び悩んでいる)ということにして、会社などで同僚などと共通の話題で盛り上がればいいのかも知れません。

 

というのも、「国の借金」という言葉が蔓延していることにも言えると思うですが、大抵の人にとってニュースの意義とは、真実なんかよりも世間の話題について行ければよい程度の認識なのではないでしょうか。

 

だから、抽象的な文言を見出しに据えて記事を読む前に強いイメージを植え付けることにより、文中に見出しの文言について説明しなくても読者は理解したつもりになる。

そして、単にニュースを話題として考えている人にとっても、むしろイメージでニュースを捉えた方が他人と共有しやすく都合がよいのでしょう。おそらく記事を書く側もそんな感じなのかも知れません。

 

こうして論理的な説明のないイメージに支配されたまま世論が醸成されれば、それを受けた政治家がそのイメージに便乗して、そして政治は根拠よりもイメージに傾くわけです。

 

おそらく、この度のマイナス成長に関して政府は様々ないいわけを用意してくるでしょう。

 

そして、イメージに支配された人に対する言い訳はたやすいでしょう。何せ見出しを大きくすれば説明は必要ありません。前は確か個人消費の伸び悩みについて天候不順とかいってたような。

 

結局のところ我々有権者が言葉のイメージに支配されている限りは少なくとも良い方向に舵が向くことはないでしょう。

 

変えなければいけないのは、構造などではなく我々の情報の受け止め方ではないでしょうか。

不祥事から考える組織の重要性

2015-07-30

ちょっと前のニュースですが、東京家裁が成年後見人に選任された弁護士の不正をチェックするために別の弁護士を「後見監督人」に選任する運用を新たに始めたそうですね。

 

理由は言わずもがな、ご存じの通り成年後見人に選ばれた弁護士が財産を着服する事件が相次いでいるためです。

 

もっとも、司法書士業界でも成年後見人にまつわる不正は深刻な問題となっていて、ニュースでご存じの方もおられることと思います。

 

なんでも最高裁によると、弁護士や司法書士ら専門職による着服などの不正は、調査を始めた10年6月から14年末までに全国で少なくとも62件、約11億2000万円に上るそうです。

 

しかも、不正の金額は2010年からほぼ右肩上がりに増えている模様です。

 

おそらく、成年後見制度の利用件数に比例していることと思いますし、成年後見制度に携わる専門職のうちのほんの一部であることには違いないのですが、それにしても制度の利用者を不安にさせるには十分な数字でしょう。現実に成年後見制度の存続さえも問われかねないほどとも言えましょう。

 

一応、現実の運用として裁判所は後見制度における財産管理について信頼できることを前提として専門職後見人を選任している事と思います。

 

もっとも、法律専門職といえども人格までは担保していません。

 

また、成年後見の件数が年々増加しているため、すべての成年後見事件を家庭裁判所によって監督することも現実として難しいようです。

 

なお、我が司法書士業界にはリーガルサポートといわれる組織を運営しており、そこでは会員たる成年後見に携わる司法書士の支援及び監督が行われております。

 

つまり、裁判所以外にも後見人を監督する組織が司法書士にはあります。

 

私も会員でして、正直鬱陶しいと感じる事も度々ありますが、現実に横領事件が多発していることを鑑みれば必然的な流れだとも考えております。

 

 

とはいえ、裁判所以外からも(個人情報の保護を考慮した範囲で)報告を求められることや、家裁への名簿に載るための研修制度を設けていることから、司法書士後見人にとって後見事務作業が多大となることが否めません。

 

そのためリーガルサポートの運営姿勢に対して会員からの批判も少なからずあるようです。

 

確かに個人的意見としてリーガルサポートにまつわる事務負担が減ったとしたら嬉しい限りです。

 

とはいえ、会員としてそれら事務の負担を組織にて決定されたのならば、理由の無い限り従わざるを得ないと考えてますし、昨今の事情を踏まえれば致し方ないとも思えます。

 

なにより個人が自分自身を保証するということが常識的に認めらていない以上、組織に身を置くよりないわけです。

 

そもそも資格制度自体が、司法書士会への強制加入という規制によって組織を前提としてで成り立っている訳ですから、あまりに民主制からかけ離れていない限り、組織を置かずして客観的な信用を得ようという考えは個人偏重ともいえましょう。

 

ましてや他人の財産を預かる立場を仰せつかる職業であれば当然のこととも思えるのです。

 

とりわけ昨今は、農政改革等もそうですが、組織自体を悪と見なして攻撃する対象とすることが流行っているようですから、組織が個人を束縛することに批判的に見る向きも多いことでしょう。

 

もっとも、自らが人様からなぜ信用されているかという理由について考えると、逆に何処にも身を置かず何からも干渉を受けない立場の者に対して、果たして自分の財産を預けられるのかということに気がつきます。

 

一方で、組織において個人主義を極端に色濃くすることは、組織自体をただの個人の集まりの場と化することになるわけで、個人を抑止や躊躇いから解放することにもなりかねません。

 

それついては、以前から気になっていた強制加入の組織における政治的な声明というのも、組織の中での極端な個人主義がなしたことだとも思えます。

つまりは、組織の中で力を持った人物が組織の意思を支配しようとすることです。

 

そのことは、強制加入たることを認識していれば自ずと民主制を意識せざるを得ないはずですが、組織自体を個人の集まりと考えているならばそういった発想にもなりましょう。

 

組織による統率ということの意味合いをあらためて考え直す機会が訪れているのかも知れません。

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