結婚するときに夫婦別姓を認めていない民法の規定が憲法に違反するかどうかが争われた裁判で、最高裁判所は15人の裁判官全員による大法廷で審理することを決めたようです。
なお、民法の規定では、夫婦は結婚するときに夫か妻のどちらかの姓を選ばなければならないと定められています。
これについて、いわゆる「事実婚」などの男女5人が「同じ姓にしなければ婚姻届が受理されないのは、婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」と主張して国に賠償を求める裁判を起こしていたとのことです。
なお、1審と2審はいずれも「結婚した2人が別の姓にする権利が憲法で保障されているとは言えず、国会が夫婦別姓の実現に向けた立法を怠ったともいえない」などとして訴えを退けたため、原告側が上告したとのことです。
世論としてはどうなんでしょうね。
我々の業界では、結婚された後も旧姓のまま仕事をされている女性もおりますし、女性が仕事において旧姓を使うことは割と認知されている様に思えます。
ただ、ニュースを見る限りでは、婚姻後に旧姓を名乗る事についてではなく、結婚する男女のどちらかが姓を変えなければ結婚届けが受理されないことが不当であるという話です。
つまりは、婚姻の際に姓を変えなければならない旨の法律が不当だと言うことだと思います。
現在の法律では、夫の姓でも妻の姓でもどちらを名乗ることも許されますが、別姓という選択肢は用意されていません。ですので、この度の訴えは、別姓という選択肢も用意すべきということを前提として話を進めましょう。
たしかに、自らの姓名というのは自らを対外に示すものであり、自分以外の誰かが自らを特定するためのもの以上の意味に、自らの存在を自らに自覚させるという意味もあることでしょう。
そこにこだわるということも、家柄や職業柄また個人の思想などによることとして理解できる気がします。
一方で、結婚によって夫婦が同一の姓となることにはどんな意味があるのでしょうか。
日本では、婿入りで無い限り女性が男性の姓を名乗ることが一般的ですし、結婚というステイタスについて、夫の姓を名乗ることによっての実感するというのが、k歌謡曲の歌詞などにもあります。
これについては、縦軸と横軸、すなわち歴史と世界との比較が分かり易い様に思います。
歴史の関係から考えると、やはり家制度の名残なのだと思われます。家族を共同体と見立てて同じ姓を名乗ることで対内的にも連帯意識が強まり、対外的にも家柄が分かり易いということだと思います。
では、世界的にはどうなんでしょうか。
これは、ちょっとわかりません。
ただ、日本のようにどちらの姓にするかという選択はあれど、別姓の選択肢まである国というのはどうなんでしょう。
知っている限りでは、中国や韓国は結婚後も夫婦が別姓を名乗っていました。ただ、別姓であるという事実だけで、制度として同姓とする選択肢が認められているかどうかはわかりません。
もっとも、この2国は元々同姓が非常におおい国でもあります。
では、我々にありがたい憲法を起草してくれたアメさんの事情は如何なのでしょうか。
あの国は、州ごとに法律が違うので一概には言えませんが、クリントン夫妻のように同姓にすることが多い印象を受けます。選択の余地があるのか、またどの様な選択が出来るのかはわかりません。
そう考えるとなんかどっちでもいいような気がしてきます。
ただ、これまでの法律をどっちでもいいからという理由で覆すというのも、いろいろ面倒が起きそうですし、制度が後追いとなるためいろいろと混乱が予想されます。
また、夫婦別姓を否定する意見には、家族関係の崩壊を危惧する声も上がっています。
これについては、姓が違うくらいで親子兄弟の絆が崩れるものか、という反論もある事でしょう。
ただ、夫婦別姓について、アイデンティティの尊重という理由で認めるべきと言うのであれば、家族間において個人という色合いを強めることと思います。
これについて、個人の個そのものにおけるアイデンティティの他に、もし個人の共同体の一員としてのアイデンティティという概念も観念できるならば、これらは一人の中に共存し合うはずです。
たとえば、団体名などはその典型で、会社と役職と自分の名前がその人にまつわるステイタスであるならば、そのことは、会社という共同体の中における役職を持った個人のアイデンティティだと言えるでしょう。
そして、会社にはそういう個人が集まって共同体を形成して日々生産を繰り返しているわけです。
もし、この場合に会社名を無くしてしまったら、これら個人の共同体意識はいったいどうなるでしょうか。
会社員である一個人にとってみれば、共同体の一員としてのアイデンティティをスッポリ奪われてしまうように思います。
これは問題です。
では、家族において、会社名のように対内外で共同体である事を構成員に意識せしめるものはなんでしょうか。
それは、姓だと思うのです。
そういう意味では、別姓によって家族意識が希薄になるという意見には一理あると思います。
また、慣習に対して法律によってテコ入れするというのも、民衆がよほど慣習に拒否反応を示さない限り如何なものかとおもいます。
今回の話は、別姓という選択肢を加えるという前提でしてますから、慣習自体を法律で禁止にするというケースを含んでいないのですが、希釈させるというのも恣意的な誘導になり得るわけですから、検討は慎重にする必要があると考えます。
あと、再婚禁止の期間についても争点となっているようですが、これは以前に書いたので今回は触れませんです。