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見栄

2013-04-22

未だ完成していないものについて評価が付くことはあまりないと思います。

 

評価というのは,完成した物や作品などに与えられます。

 

 

もし,努力の末完成させた物が様々な方面から高い評価を得られれば,業界では有名になるでしょうし,その後の実入りも変わってくると思います。当然,羨望の的となるでしょう。

 

一方で対抗馬として水をあけられた方は,自らもそれと同じ若しくはそれ以上の評価を得たいと考えたとします。そして,模倣をすることを一番手っ取り早い方法と考えたとします。とりあえず,構造過程を研究するために技術を盗んだりスパイを送ってみたりするかもしれません。そして,同じような物を完成させることが出来たとしましょう。果たして同じ評価を得られるでしょうか。

 

どんな物であろうと完成品というのは,道具や部品など様々な要素を構築して成り立っていると思います。高い評価を受ける物は,完成させるまでの過程の中で,その構成する要素をひとつずつ評価するという作業を積み重ねているはずです。

 

だから,完成品だけを評価して同じ評価を得ようとするには無理があると思います。

 

方々から高い評価を得て羨望の的となりたいという欲求,いわゆる見栄というのは時として立場の上下にこだわった末に大事な視点を失い,本来見るべき大事な物への評価を見落とすことがあることと思います。

 

完成品を構成するものそれぞれに敬意がなければ結果としていい物を作り続けることはできないのではないかと思います。

カレーライスの味

2013-04-21

子供の頃に友達のお宅にお邪魔してカレーライスをご馳走になることがたまにありました。

 

ご経験のある方も少なからずいらっしゃると思いますが,他所様のカレーライスをご馳走になったときに違和感をもったことはありませんか。(大変失礼な話ではありますが・・・)

 

自宅のカレーライスの味を普通と思って食べているからこそ他所様のカレーライスに違和感をもったのだとおもいます。逆に家に友達を招いてカレーライスをご馳走したときも同じ違和感を持っていたのかもしれません。

 

自分が思っているのとは違う「普通」が世の中には沢山あるのかもしれません。

 

家庭とは,子供が一番初めに関わる小さな社会です。そこで子供は,親から「普通」のことを教え込まれます。この「普通」がどこでも同じではないことは,学校などで友達などとの付き合いの中で少しずつ分かっていくことかもしれませんが,閉鎖的な家庭又はコミュニティーだと気づく機会があまりないかもしれません。

 

この「普通」の基準を決める社会の範囲は子供から大人になるにつれて,家庭から学校などの教育機関を経て最終的には世界全体と広がっていくのですが,家庭の単位であまりに特殊なことを「普通」としていると学校の時点でコミュニティーから漏れてしまうケースもあるのではないかと思います。

 

そうなってしまうともう自らの思うまま突き進むしかありませんので言わずもがなでしょう。

 

核家族化が進行すると,家庭という小さな社会が沢山出来るのでその中でそれぞれの「普通」が生まれてきます。その「普通」の家庭を築いていく中で大事な物は情報だと思いますが,その情報が現在においては多様化し過ぎて振り幅が極端に広すぎる気がします。つまり,聞こえの良い情報だけ集めてそうでない物から目を背ける事も出来ます。

 

それでも,民意の多様化となるのならまだしもですが,実際には取得する情報に大きな差異が出てそれが情報の格差を生じさせているように思えます。最近,子供に読めない名前を付けることが話題となりますが,情報の格差による問題だと思っています。

 

このことについて私は重大な問題だと考えています。「普通」を基準とする範囲が狭い人ほど自分の知らない情報を受け入れる容量が狭いと考えられますので,受け入れがたいこと受け入れなければならない様な大事な話が通じないことでしょう。日本は民主主義国家なので国の行く末を左右する大事なときに,多くの国民が真剣に物事を考えられないとなると大変なことになります。

 

だから,どうしてもマスメディアに苦言を呈したくなるのです。あるがままを報道せよと。

呆れた・・・

2013-04-19

ご存知の通り4月15日午後に米マサチューセッツ州ボストンで大変痛ましい事件が起こりました。

 

犯行に使われたのは,圧力釜を利用した爆破テロと報道されています。

 

身近にあるもので,それなりに強い破壊力を持つ爆弾が作れるということが世界中に知れ渡ったことで,今後日本でも所持品などの警戒が一層厳しくなると思われます。

 

ところが,あろうことか各テレビ局はこぞって番組内で「圧力鍋爆弾の作り方」を詳しく紹介したそうです。

 

これには,「模倣犯を生みかねない」などとして批判の声が殺到しているとのことです。

 

批判は当然です。特に今回の事件は身近にあるもので十分に殺傷の能力ある爆弾というところが判断能力の乏しい子供さえも作れるという危険をはらんでいます。

 

もちろん,身の回りに危険なものは沢山ありますが,それらについては危険な物と判断しているから触れていないのでしょう。普通に育っていれば,(彼らにとって)重大な理由が無い限り故意に人を傷つけようとは思わないはずです。

 

この事件における爆弾は,人を傷つける意図の無く好奇心による実験的な感覚で出来てしまうことに危険をはらんでいるといえます。

 

今回の報道でも分かるとおりテレビ局は,我々の生活の平穏を守る気などサラサラありません。

 

今回に限らず,以前からテレビ局の報道姿勢は非常に問題があると感じていました。

 

もう,重大な構造的欠陥があるとしか思えません。

 

しかし,テレビの発する情報について疑問を持つことで,個々の報道において各々が情報の信憑性を意識することで逆にひとつの事件に関する理解が深まるかもしれません・・・という前向きな話もしつつ現状はあまりに問題がありすぎると感じています。

いい人になりたい

2013-04-18

だいぶ前のことですが,一人で中野を歩いていたときに不意に後ろから呼び止められたことがありました。

 

振り向くと作業着を着た壮年の男性が息を切らしながら「落しましたよ」笑顔で手を差し出しました。

 

差し出された手には一万円札がありました。自分のポケットを探ると確かに一万円札がありません。

「あっ・・ありがとうございますっ!!」とお礼をしたと同時に幾ばくかのお金を支払おうと思いましたが,「結構ですよ」と笑顔のまま足早に立ち去って行かれました。

 

(なんていい人なんだ・・・)

 

ちなみに人通りの少ない路地で前後には私とその男性しか見当たりませんでした。そして,私は全く気づいていませんでした。

 

その男性の矜持から行った行為でもあるでしょうし,もしかしたら,一万円札を落した私のことを不憫に思ってくれたのかもしれません。

 

こういう出来事が起こるたびに人のことを考えてなるべく親切に接しようと思うわけです。いまだに走って追いかけて来てくれたことを容易に想像させるような息遣いと笑顔は鮮明に覚えています。

 

ちなみについ最近また六千円程を落してしましたが,これについては残念ながら素敵なエピソードは生まれませんでした。

 

不憫とか気の毒とか可哀想とかいう気持ちは,人や動物その他のことに思いをめぐらす想像力から湧き出る感情だと思います。ということは,想像力が欠落しているととんでもない「可哀想」が出来上がるわけです。

 

10年ほど前に以前にある友人から「同じアパートに住む住人が大量の猫を餌付けして糞や尿の臭いで迷惑している」という話を聞いたことがありました。本人に苦情を申し立てたそうなのですが「猫が可哀想だと思わないの!」と言い返されたそうです。

 

思わず「いやいや!近所の人の方がよっぽど可哀想だろ!」と突っ込みそうになりました。

 

結構良くある話だと思いますが,まさに想像力の欠如がもたらした典型的な迷惑行為だと思います。本心では,誰について「可哀想」言いたかったのでしょうか。

 

世の中のほぼすべてのことは,相対的に誰かが得をすれば誰かが損をするように出来ていると思います。

 

よく,揉め事が体良く収まることを「Win-Win」と言うことがありますが,あれは“両方が勝った気になれば収まりが付くだろう”という意味でしかないと思います。結局,物質的なこと若しくは金銭的なことでの争いはお金や物が増えたり消えたりすることはないので,争っている両者に限らず,誰かしらが損をしているはずです。争っている両者が溜飲を下げるには,微妙なさじ加減が必ず必要となると思います。

 

誰だって悪い人と言われたくはないでしょうから,可哀想と言われている人に自ら手を差し伸べるまでは行かなくても,それに反対はし難いと思われます。一見してその部分だけ見ると人間愛に溢れた感動的な一場面となるでしょうけど,想像力を働かせればそれによって間接的に損をしている人が当事者以外にも必ずいると思います。

 

そう考えると自らを可哀想な人と称する人,若しくは特定の人や動物だけを可哀想な存在とすることは,全体的な視点からみると大きな問題を抱えていることが少なくないと思われます。

 

誰だって,冷たい人間とは思われたくはないし,自分のことを思いたくもないハズです。でも,何かを施すにあたり誰が損をするかはじっくり考えた方が良いんじゃないでしょうか。

 

すくなくとも,これから経済を立て直さなければならない状態の日本においては。

思惑

2013-04-17

私は,駆け引きとか小手先の話術などは基本的には使いません。なぜなら面倒だからです。

 

しかし,人の心理の動きは下心抜きで興味のあるところです。

 

どうしても,話している内容と本当の心理に相違があるのが人間です。だから,興味深いものだと感じています。

 

よく,心理学に基づいたマニュアルなどが出版されていますが,そういうのを見て思考を固めてしまうよりは,その場次第,人次第で,自分なりに考えてみたいという欲求もあります。きっと人それぞれいろいろな違いがあるでしょうし。

 

感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について,以前に取り上げた“メラビアンノ法則”に則ると言語情報が7%,聴覚情報が38%,視覚情報が55%の割合ということで視覚から人の心理を探りやすいということでした。しかし,逆に真意を隠そうとする人が一番警戒するのも表情などの視覚情報だと思います。だから,表情だけを見て真意を探ったつもりになるとちょっと怖いわけです。

 

そういう点も踏まえると,聴覚情報は結構重要といえるのではないかと思っています。声の抑揚はもちろん貧乏ゆすりの音や物を置くときの音なども意外と感情によって違いがあると私は感じています。

 

そして,ある人の心理が読み取れたとしたら,次にそれを自分の思うように動かすことが出来るかということに行き着きます。これについては,実際に人で試したりすることについては倫理的な抵抗があるのでやりません。でも,興味はあるのですね〜。もちろん下心無しですよっと。

 

たとえば,接客業のお姉さんと飲みながら話をする機会があったとしましょう。彼女の心理を読むのは簡単です。間違いなくまず客にお金を使わせて,かつ,その場を適当にやり過ごすことです。

ちなみに私はこの手のお店でお姉さんの会話に興味を感じたことはあまりありません。おそらく,多くのお姉さんが男性の方から話題を作ってもらうことに慣れてしまっているのではないかと思います。

私としては,初対面の人に話したいことはあまりありません。しかし,他の人との付き合いで来店している手前,つまらなそうにしているのも何なので,それなりに会話を続ける努力をお開きになるまでひたすらするのがこの手のお店での過ごし方です。もちろん自分から行くことはありません。

 

ただ,おざなりに会話を続けているうちにお姉さんがハッと顔色を変えて話しに喰い付いてくる時がたまにあります。それは,共通の話題が見つかったというよりは,うまく表現できませんが波長が合うとかそんな感じです。どういうタイミングでそうなるかは分かりませんが,そうなるとなんとなく相手への興味も若干出てきます。もっともお金がかかりますので深入りはしませんが・・・

 

人との会話の中で相手方の心理というものは,実に奥深くもありますが,こちらが思惑を解いてストレートにメッセージを発すれば意外と素直に返ってくるものだという印象を私は持っています。ただ,それだけでは,立場上の関係を崩すことは容易ではないわけでそういう意味では,人の心を掴んだと感じても容易に為すがままとはいかないわけです。はい。

Defense

2013-04-16

2013年度予算案が,衆院予算委員会において自民,公明両党の賛成多数で可決された模様です。同日夜の衆院本会議でも可決され,参院に送付される見通しのようです。

 

なお,新年度予算案では,デフレ脱却に向けて公共事業を大幅に増やしたほか,安倍首相が重視する防衛費も前年度比400億円増と11年ぶりに増やすとのことです。

 

前政権において安倍首相は,「戦後レジームからの脱却」を合言葉にレジームチェンジを図る方針を掲げていました。

 

結局,前政権では成し得ませんでしたが,今回の予算委員会で防衛費を増やすなど現政権においてもその方向へ着々と歩みを進めているようです。

 

特に防衛に関しては,朝鮮半島の情勢が緊迫していますし,身に差し迫った問題と感じている方も多いと思われます。

 

また,忘れてはいけないのが竹島や尖閣諸島への侵略の問題や北方領土問題など,わが国において断固として主張しなければならない事柄は山ほどあることです。現在,日本の防衛事情は,日本防衛義務を定めた日米安全保障条約により大きくアメリカに委ねられているところです。

 

このままでよいのであれば,現状のまま米軍基地を沖縄に置いたまま予算も見繕って守ってもらうことになります。この問題は,沖縄県を二分する論争となるそうです。沖縄県にとって基地を負担していることに対する国からの援助は大きく,基地を拒否するにはまず経済的独立を果たさなくてはならないという原発問題と似た事情をはらんでいます。

 

もし,アメリカとの安全保障条約を破棄することが出来たとしたらそれだけでも戦後レジームから脱却したといえるのではないでしょうか。しかし,一層防衛に対する意識を高める必要が出てくると思います。

 

 

なお,つい先ごろ安倍首相は「国連が集団安全保障を行う場合、日本は現行憲法のままでは責任を果たすことができない」と主張し,憲法9条の改正により国連憲章に基づく集団的な軍事行動に日本が全面的に参加・協力することができるようにすべきだ」と語ったそうです。

以前から安倍首相は自衛隊を国防軍とする向きの発言をしており,憲法9条の改正を念頭においているようです。

 

その手始めとして,まず憲法96条(憲法改正を定める条文,改正に厳格な要件を必要とすることから硬性憲法と呼ばれています。)から見直すことを発言しています。もしかしたら有事を想定して他の人権規定の見直しも考えているかもしれません。

 

ちょっと穏やかではありませんが,もし現状のままで有事が起こった場合,対応することはできるのかということも真剣に考えなくてはいけないと思います。

 

なお,永世中立国で有名なスイスでは国民皆兵を国是としており,徴兵制度を採用しています。ちなみに永世中立国とは,他国間で戦争が起こってもその戦争の圏外に立つことを意味するものであり,戦争を放棄しているわけではありません。他国に囲まれている事情から,防衛に関する意識は日本国民よりはるかに高いのではないかと思われます。

 

とにもかくにも,自然災害にしても人災にしても戦争にしても有事は起こり得ます。原発と同じように安全だと信じ込み問題から目を背ければ同じ徹を踏んでしまうかも知れません。

悲しい出来事を越えて反省を得るのであれば,現在の状況を皆が真剣に受けとめて話し合わなくてはならないと思います。

全体像

2013-04-15

ナスカの地上絵がどういう方法で描かれたのかを検証するテレビ番組を時おり見ることがあります。かつては,宇宙人が描いたなんて説もありましたが,今では当時の人達が正確な測量技術を持っていて描かれたというのが通説のようです。

 

今でこそ飛行機や熱気球などで空から全体を眺めれば絵が描かれていることを確認できますが,当時の人達にはそういう技術は無かったようです。すると全体の距離感や絵のバランスなどをどうやって測ったかが問題となります。また,せっかく描いた絵も残念ながら人間の背丈では確認できません。

 

 

そういえば,江戸時代後期に足掛け17年ほどかけて全国を測量して日本の歴史上初めて国土の正確な地図を作成した伊能忠敬という千葉県出身の偉人がおります。何でも天体の知識も豊富だったそうで北極星を基準に測量の誤差を修正したといいます。

 

物事の全体像をつかむということは,実に難しいことだと思います。

 

経済学においても,マクロ経済学といったように全体的な視点を部分的個別的視点と区別しています。

 

個別の視点から物事を分析するというのも難しいことではありますが,方法は簡単だと思います。思うに目を逸らしたいと思うことを含めて分析できればいいのではないかと思います。

 

しかし,全体像を測るにはまずその方法から考えなければなりません。その方法を現在よりもはるかに選択する手段が少ない時代にあるものだけを使って編み出したことはすごいの一言に尽きると思います。

 

前述の通り,伊能忠敬は北極星という動かない星を基準として地図の作成に利用しました。

全体像をつかむには何かひとつだけ動かない一点を見つけることが必要なのかもしれません。

 

それにしても,我々が個人としては全体像が把握しにくいことをいいことにマスコミはブームの捏造や偏向報道を流したりと好き勝手やっています。ただ,インターネットという誰もが自由に参加できるツールが情報を多少なりとも安定させてきているような気がします。(少なくとも私は)

 

時代の潮流というのはやはり民衆全体が作るものなので,そういう意味では情報が多すぎるということは,良い見方をすると民意が傾きすぎることを抑制する効果があるんじゃないかと思いました。

あったはずの時間

2013-04-12

そのときは有意義だと思って過ごした時間が過ぎてしまったとます。

 

そして,結果として虚しさを感じることもあるでしょう。

 

何が大事か,考え方はいろいろあると思います。

 

何も手元に何も残らなくても有意義と感じる時間が多ければいい人生だという考え方もきっとあると思います。

 

ただ,どんな環境においても有意義だと感じてることって意外と難しいのではないかと思います。

 

たとえば,世捨て人のようになって世の中を鳥瞰しながら日々を過ごしたとしましょう。

 

それでもすべての苦しみから解放されることは難しいのではないかと思います。

 

世間には,蔑みとか依存とか嫉妬とか様々な感情が人の集まる場所で渦巻いています。

 

どんな人も自分を守ることに必死だと思います。みんな他人だから。

 

傷つき傷つけることだってあるでしょう。

 

では,すべての苦しみから解放されたいとの願いはどこに向ければよいのでしょうか。

 

強くなりたいと願う気持ちさえ人から非難を受けることもあります。

 

どうにも,難しいものです。

 

でも,人生を走り終える直前に過去の記憶をめぐらせるとどういう気持ちになるか。

 

いずれは,苦しいことも楽しいことも必ず終わってしまいます。

 

しかし,こんなことを考えると余計に虚しさを感じてしまいます。

 

以上,まだ金曜日なのに日曜日の夜の気分になってみました。

離れていくこころとココロ

2013-04-11

めまぐるしい日々の疲れを癒したくてなんとなく海に出かけてみました。

 

4月の空は雲ひとつ無く晴れ渡り昼下がりの日差しは浜辺の白い砂を照らしています。

 

海は凪いで穏やかな風が沖の方から吹いています。

 

ふと浜辺に視線を落とすと,透明なボトルが波に打ち上げられていました。

 

拾ってみると中には手紙のようなものが入っています。

 

ボトルから取り出して読んでみると「はじめまして まずは拾っていただきありがとうございました。〜」と文章が綴られています。

 

どんな相手を想像しますか。

 

 

 

こういうシチュエーションはその時代背景でしか輝かないのかもしれませんね。

 

インターネットが普及した現在においては,誰も彼もが匿名でメッセージを不特定の相手に送れるようになりました。それがどうなるかというとご存知の通り某大型掲示板のようになります。

ただ,これが悪いというわけでは全然無く,むしろ情報の取捨選択ができればバイアスのかかっていない純粋な情報を入手できます。しかし,相手が見えない状態での取捨選択はとても難しいはずです。

 

某掲示板の元管理人も『うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい』と発言していました。

 

インターネット上の情報は,大抵の部分で置き換えが利きます。例えば,左の写真が実は私の写真ではないとしても司法書士高橋岳に会ったことのある人でなければ分からないわけです。

メッセージだって同じです。インターネット(メールを含む)を介して届けられた言葉には絵文字などで表情を作りこむこともできます。その言葉の裏にある本当の表情は分かりません。

 

そして,情報の取捨選択で障害となる要因のひとつに「思い込み」が挙げられると思います。人はどうしても自分にとって都合の良い方に思い込みたくなるものでしょう。そして,根拠に基づいた情報と思い込みとの区別が場合によってはできなくなることもあります。そして,その思い込みが刷り込まれてしまうとなかなか解くことができません。

 

出会いサイトのサクラなどは,そういう思い込みを利用した典型でしょう。

インターネットを利用すれば,顔を合わせずに不特定多数の相手に同じメッセージを送り,後は相手の妄想に任せるという実に簡単な手口です。

 

 

どんなことでも,見えているものだけがすべてではないですが,インターネットの世界では,PCなどのモニターに映し出された文字情報や画像を見た人が想像を働かせるからこそコミュニケーションツールとして成り立つわけです。

実際に対面して話したり紙面などにおこしたりしていない分,情報を受け取るに当たり読み手の想像を働かせている部分が大きく,また,証拠もあまり残りません。

 

だから,誰かを籠絡しようとする人にとっても非常に有効なツールだと思います。

 

しかし,見ただけで誠実さを感じさせる文章などもあります。そういったものはやっぱり曖昧な言葉を使わずに根拠に基づいた情報と根も葉もない情報とをしっかりと区別している点がポイントとして挙げられると思います。

 

とはいえ,あまりに情報が多い中,本当に信用できる情報を見分けるのはとても難しいと思います。

 

まぁしかし,たとえば冒頭に書いた話での手紙を書いた相手を想像する一番大きな要素って文章の内容ではなくて,そういう行為をするような乙女チックな心とか純粋さなんですよね。私としては。

それを想像できるってことは,想像している自分の心のどこかにもそういう気持ちがあるからじゃないかと思っています。

 

そういう意味では,誰かのことを想像したり妄想したりして自身の中だけで出来上がった虚像は自分自身を映し出しているのかもしれません。

予感

2013-04-10

趣味の都合のために,自分で取った写真では足りない分を補うためにフリーの風景画像をネット上探しています。

 

とても綺麗な写真が沢山見つかるのですが,なんとなく肉眼でみた葉の緑などと色の深さが違うような気がします。

 

まぁそれはそれで良さなのだと思います。写真で済めば観光に行く必要ないですから。

 

 

音楽に写真を取り込めば,情景がより深くなったりします。

 

ふと思いついたメロディーをそのまま音にだしてそれに合う風景とあわせたりできたらとても楽しそうです。

 

実際にそれが,パソコン一台(と付属の機械)で,できるようになったのだから本当に世の中便利になったと思います。

 

しかも時代背景もありますが,15年前くらいと比べてハードウェアの値段が非常に手ごろになっています。(ソフトウェアの値段は全然変わりませんが・・・)

 

家電や機械が発達して色々となくしてしまった物もありますが,新たに生み出されているものも沢山あると思います。

 

家電製品などは新機能を搭載の点で新商品開発の行き先が右往左往しているように感じますが,むしろユーザー側の方がツールを非常にうまく利用しているように思います。

 

世の中が便利になるにつれて人間が機械に支配されていくなんて言われていた事を聞いたことがありますが,実際にはそんなことは無いんじゃないかと思っています。

 

実際には,人間が思いついたものを表現しやすくなったというのが進化の根幹だとおもいます。アナログの中には淘汰されてしまうものも残念ながら出てきてしまうと思いますが,それ以上に新しいものが生まれてきそうな予感がします。

 

ノスタルジックなのも良いですけど,新しいものが生まれる予感ってワクワクしませんか。

曖昧な言葉

2013-04-09

待ち合わせの時間を決めるとき「〜時くらい」と,すこし曖昧にしておくことは良くあることだと思います。

 

例えば,その直前に他の予定が既に入っていて間に合うかどうか微妙なときなど曖昧にしておいた方が,約束の相手に対して遅れる可能性を仄めかせておけます。もし,遅れたことを咎められても「くらいと言ったでしょ」という風にかわす事ができます。

いわば保険みたいなものですね。

 

しかし,「〜時くらい」と指定した方にしてみれば,「くらい」は重要な意味を持っていますが,それを聞いている約束の相手が「〜時」の方だけ重要と捉えていれば待ち合わせ時間の誤差によっては諍いの種になる可能性もあります。

 

言葉を曖昧にして話す方にとっては,曖昧にしておくことが大きな意味を持っているのに対して,聞いている方には曖昧にした意味が伝わっていないということは割と多くあると思います。

 

私もよく本ブログにて「といわれています」とか「思います」といった感じで曖昧にしています。言い切ることはまずありません。これは,正に間違っていたりしたときの保険としての意味があります。

まぁブログ上でどなたかの人生を左右することは無いと思いますが,仕事においては分からない場合にははっきりと「分かりません」と言い切るようにしています。むしろそのほうがトラブルになりません。

 

とりわけ,我々特に若い世代の人達は言葉を言い切ることに抵抗を持っているのではないかと思います。その理由として,バブル崩壊以降次々と予測不能なことが起こった時代背景があるのではないかと思います。

 

それと,もうひとつ思いついたのは評論家や政治家に対するバッシングです。よくスピーチのコツとして“はっきりと言い切る”といわれますが,将来の展望や予測などをはっきり言い切るとやっぱり外れることはあるはずです。これについてマスコミなどの激しいバッシングを目にすると,素直な人は物事を言い切ることに尻込みしてしまう気持ちは理解できます。

 

ただ,本当に知恵のある人もいます。

使う言葉を曖昧にして語尾だけ言い切るようにすれば,聴こえはいいですし責任追及されるときも言葉の解釈云々で逃げ果せることができます。

そういう意味では「直ちに影響はない」と言う言葉は良くできていると思いました。もちろん悪い意味で・・・

 

他にも「構造改革」とか「平成の開国」とか曖昧な言葉ばかりが飛び交っていますが,実際に具体的な内容を理解している人ってどれくらいおられるのでしょうか。確か「構造改革」はマルクス主義から発せられた言葉であるはずです。

 

意味の曖昧な言葉を並べて語尾だけ言い切る話し方よりは,すこし言葉を留保したような話の方がまだ素直な印象があり信用できるような気がします。

象牙の塔

2013-04-08

日銀は4月3日と4日に黒田東彦新総裁のもと金融政策決定会合を開き,「量的・質的緩和」の導入を決めました。安倍政権が掲げるデフレ脱却と2%の物価上昇目標の達成に向けて,思い切った緩和策を打ち出しました。

 

日銀は,独立性の確保という建前により守られてきた「日銀券ルール」という内規(決まり)がデフレ対策の障害であったとかねてから言われていました。

 

「日銀券ルール」というのは,日銀の発行する現金券(お札)の分量以上に、長期国債を発行してはいけないという日銀の内部ルールです。

 

デフレ対策として,日銀が民間から大量の国債(円建てである事)を買い取り民間にお金が出回る事で,消費が増えてデフレ脱却に効果を及ぼす,というのがひとつの考え方です。この方法が,「日銀券ルール」により制限されていたといわれています。

 

この「日銀券ルール」を今回の政策会合で事実上の廃止とすることを決議したようです。

 

 

今回の日銀の決定は,安部政権のいわゆるアベノミクスに足並みをそろえる形となりました。

 

日銀は政府の子会社という位置づけですが,(日本政府が55%の株を所有)一方で一般の会社でいう親会社・子会社と違って日本銀行法にて独立性が明記されています。

 

なお,中央銀行(日本では日銀)には緩和的な金融政策運営を求める圧力がかかりやすいといわれています。高いインフレ率は一時的に好況をもたらすようにみえるからです。

また,通貨の価値が下がることで過去の政府の借金は実質的に減ることになります。

 

しかし,政府からの圧力を受けるままにお札を刷ってしまうと極端なインフレを招く危険が高くなります。そして,結果的に経済全体の生産性は低くなり経済成長は鈍ります。また,高い物価により庶民の生活は苦しくなるでしょう。

 

こうった理由から,選挙前の人気取りとして金融を緩め続ける政策などに物価の安定が確保つために日銀を独立させるというのが建前です。

 

しかし,その独立性を盾に幾度となく政府との対立を生じさせてきました。

 

そんな中,日本経済はバブル崩壊後もデフレが続きその期間は「失われた20年」などと呼ばれています。


 

どんな物事でも,独立性と独自ルールを守り続けることが,いいときもあればそうでないときもあると思います。

 

しかし,今回の会合で政策ももちろんのこと,政府と日銀がデフレ脱却に向けて足並みを揃えた事がとても評価できるところだと思います。

天晴re

2013-04-07

大荒れの予想だった日曜日は,風は強いものの見事な晴天となりました。

 

しかし,ソメイヨシノは散りきってしまっていますね。

 

今日は,地元の桜祭りです。

 

すこし,足を向けてみようと思っていますが,最近ちょっと飲みすぎなので程ほどにしておきます。

何事もなく

2013-04-05

最近,テレビで禁煙をお医者さんに相談するというCMを見ます。

 

CMでは,たばこを購入する金額やその他リスクに掛かるコストと治療費を比較してどっちが得か,といったような宣伝をやっていたような気がしますが,やはり将来に掛かるリスクは現在において金額で表すことは困難でしょう。

 

ただ,やっぱり健康というのは本人だけでなく家族の願いでもあるので,プライスレスといっても良いかもしれません。

 

そう考えると,ちょっと現金な言い方になりますが,喫煙者に禁煙を実行させて報酬を得るというお金の稼ぎ方はとても社会的に有意義だと思いました。

 

お医者さんといえば,身体の調子が悪くなったら診断してもらって治療をするという,言わば事後的な役割を担うイメージでしたが,今回のこれはたばこを止めさせる事で病気を未然に防ぐという言わば事前予防によって報酬を得るということになります。

 

この予防というのは,なかなか売り物になりません。なぜなら,予防しているということに実感があまりないからです。

例えば,生活習慣病にかかってお医者さんに治療してもらったら「ありがとうございました」ということで報酬を支払います。

しかし,生活習慣病にかかっていない人が,栄養の偏りの無いバランスの良い献立を毎日考えて食事の仕度している奥さんに対して「毎日健康に気を使ってくれてありがとう」という実感は治療してもらったのと比べて薄くなりがちなのではないかと思います。

 

要するに,“何も起こらない”ということについて当然と思い込んでしまう傾向があるように思います。

 

でも,実際には何も起こっていないわけではなく,緩やかな流れにより絶えず変化しているはずです。当然に来ると思っている日の出日の入りだって日々時刻が変わっていきます。

 

時間という単位は,絶えず変化していくすべてのことに対応するためのものであると思います。その変化というのは人の手の及ばない自然によるものだと思います。生き物における治癒について自然治癒が基本だとすると医学というものは自然に抗う学問といえるでしょう。しかし,予防という観点に置き換えるとむしろ自然への回帰という感じもします。

 

医療に限らず「予防」が大事だという意識をもっと広めることができれば,様々な分野で多方面での事業活性ができるのではないかと思います。

 

そして,もしかしたら日々を繰り返しながら今日を迎えることができているのは,気づかないけど誰かさんのおかげなのかもしれません。

 

というわけで,毎日感謝!感謝!

おもしろきこともなき世をおもしろく

2013-04-04

とは,幕末の志士高杉晋作の辞世の句です。

 

高杉晋作の晩年は,肺結核のため療養生活を余儀なくされ、大政奉還を目にすることなく29歳にしてこの世を去りました。その亡くなる直前にこの辞世の句を詠んだといわれています。奇兵隊を創設したほか八面六臂の活躍で時代を大政奉還まで導いた立役者らしい力強い上の句だと思います。

 

なお,下の句では「すみなすものは心なりけり」とされていますが,この下の句は死の床にあった高杉を看病していた野村望東尼が付けたと言われています。繋げてみると“世の中を面白く思うのも思わないのもその人の心次第だ”というように読めます。

 

まぁこれだけ見れば(なるほど・・・いいこというじゃん)となるのですが,この下の句は一部の人達のからの評判がすこぶるよろしくありません。(私もその一部です。)

 

 

なお,高杉晋作がどう人物であったかについては,同じく長州藩士であった初代内閣総理大臣の伊藤博文(かつて1000円札にもなった人)が,高杉晋作を評してこんな言葉を残しています。

 

「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや」

 

なお,「東行」とは高杉が自らに付した号で,西行法師にちなんだものだとされています。

 

そんな,幕末の風雲児から説教じみた辛気臭い辞世の句を聞きたくないというのが,高杉ファンの気持ちではないかと思います。そもそも人の心次第で良いのであれば,明治維新という革命など起さなくても良かったという話にもなりますし。

 

そういえば,山口県(長州)のどこかで下の句を一般募集して詠み合うコンテストが行われたことをニュースで見たことがありました。それを知った当時,「そんなナイスな企画があるのだったら教えてくれればよかったのに!」と地団駄踏んだ覚えがあります。

 

 

まぁそれは置いといて,高杉晋作という人は,この手の唄などの芸術関係に長けていたようで「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい」という有名な都都逸も残しています。

 

そんな,高杉晋作の生涯最後の句(と司馬遼太郎先生がおっしゃっていました。)は,“おもしろきこともなき世をおもしろく”で留めておいて『生きることに面白さを求めるのであったら自分で下の句を考えろ』という時代を超えた普遍的なメッセージとして捉えた方が,より幕末の動乱において奔放に生きた高杉晋作の魅力が増すであろう・・・と,いちファンの私は思うわけです。

 

ちなみに私が参考にしている図書は,司馬遼太郎著「世に棲む日日」です。

 

ご興味を持たれたら是非是非ご一読くださいませ。

ちりぎわ

2013-04-03

荒れていた天気もすっかり大人しくなりました。

 

これで桜もかなり散ってしまったのではないでしょうか。

 

今朝,出勤途中に桜の並木道を通りましたが,歩道に落ちた花びらがまるでピンク色の絨毯のように敷き詰められていました。

 

これはこれで季節の醍醐味なのですが・・・

 

地元の桜祭りが今週末にありますが,その頃にはすっかり散ってしまっているでしょう。

 

しかも,雨のようです。あぁ〜あ・・・

 

今年は予想よりずっと早い開花でしたから予定を前倒しした方も多いと思いますが,そうも行かないこともあるのでしょうね。まぁ花より団子と開き直れば・・・

 

飲みすぎには十分お気をつけください。

 

・・・と,自分に言い聞かせておきます。

キャラ

2013-04-02

最近「○○キャラ」ってよく言うじゃないですか。

 

漫画のキャラクターの特徴とかテレビの中でのタレントの芸風などについてのレッテル張りから始まったのだと思いますが,最近テレビや漫画の外でもよく使われているように思います。

 

テレビの中においては,タレントさんはお仕事中です。あまりよく知りませんが,テレビ番組のディレクターが大筋の流れを各タレントに指示し,それに従ってタレントさんも番組を盛り上げます。もちろんディレクターも番組を盛り上げるためにタレントの個性が個性を十分に引き出せるような演出を考えると思います。(たぶん)

 

漫画などについては作者が個々のキャラクターの個性を決めてしまっているのでしょう。

 

一方で現実社会のコミュニティーにおいても集まった人々はそれぞれ特徴をもっているはずです。ある程度の人数が集まれば比較対象が多くなるためそれぞれの個性も判りやすくなると思います。で,やっぱり人の個性は理解しやすい方が付き合いやすく感じると思います。神経質な雰囲気があれば気をつけて接するでしょうし,おおらかな感じがすればフランクに接しやすいと感じると思います。

 

そんな感じでコミュニケーションを通してコミュニティーの中で徐々にそれぞれの特徴が意識付けられていくとします。

 

しかし,そのコミュニティーにおいて「○○キャラ」という形でレッテル張りが特定の人にされるとします。そうすると,「○○キャラ」という役を授かったその人はそのコミュニティーの中ではその役柄を演じきらないといけないという意識が生まれてしまうのではないかと思います。

もちろん,そんな義務はどこにもないのですが,一旦張られたレッテルをぶち破ってしまうとコミュニティーで共有されていた「○○キャラ」に当てはまらなくなった“得体の知れない人物”にされて今までと同じように付き合えなくなってしまうおそれを感じるのではないかと思います。

 

仕事外においても,不本意ながら全く違う自分を演じていることってありませんか。それって,仕事中のタレントさんの心理みたいなものでとても窮屈な感じがするのではないでしょうか。ひとつの個性のみならず様々な方面で能力を発揮しているような人にとってはなおさらだと思います。

 

生活の中で様々なコミュニティーと係わり合いそれぞれ違う人物を演じる必要もあると思います。だからなおさら,レッテル張りなどされると疲れてしまうのではないでしょうか。

 

やっぱり,ひとりで息をつける時間とか場所って持っておきたいですね。

 

もっと「ゆるキャラ」達に安らぎを与えてあげましょう。

旅先にて

2013-04-01

土曜日に館山で集合して,日曜日の千倉,和田と分けて行った相談会では和田の相談会に参加しました。

 

千倉では10件,和田では8件の相談があり,司法過疎地への出張相談は需要があると感じました。

 

今回は,車は使わずのんびりと鈍行の旅を満喫しました。また,旅先でパソコンを使った音楽遊びがしたかったので宿は一人だけ別にとりました。

 

土曜日は18時半頃にチェックインして夕食は外でとることにしました。

 

しかし,このあたりお店はあるのですが,多くの店が19時には店を閉めてしまい遅いところでも20時半ラストオーダーということだったので,時間の都合上お店は限られていました。

 

そのため19時ごろにお店に入ると店内はてんやわんやの状態で,何組かのお客さんが帰り始めていたもののテーブルの片付けまでに手が回らないようで,しばらく入り口で待たされました。

 

 

(まぁ仕方がないか)と思いつつ案内されるのを待っていると家族連れ3人が店内に入ってきました。そして,私1名の後のお客さんとしてその家族は待たされたわけですが,待ち始めてから10分ほどで母親が不満を言い始めて続けて子供も不満を言い始めました。

 

(ずいぶんと気が短いな)と携帯を眺めつつ左側から聞こえる声をすこし疎ましく思いました。その後も通り過ぎる店員に聞こえよがしにいろいろ言っていました。(せっかくの外食なのにこれで楽しいのかな?)とすこし不思議に思いました。

 

私としては,手が回らない事情もある程度は理解できますし,何よりそれを店員に言っても不満が解消されるわけじゃないので,だったら自らわざわざ嫌な気分になるよりは待ち時間をどう過ごすか考えた方がいいと思いました。こういうとき本当にスマートフォンは便利です。

 

 

そんな感じでしばらく待ち時間を過ごした後,やっと席を案内してくれたのは,高校生と思しき女性店員で胸には「研修生」と書かれた名札をつけています。そして案内してくれた席は6人掛けのテーブル席でした。私は一応「一人ですけど大丈夫ですか」と聞きましたが,大丈夫とのことだったのでその席に着きました。よく見るとカウンター席が空いていました。後の家族がブーたれていたので店員が怒られるんじゃないかとちょっと心配になりました。

 

そうしたら,案の定,「すみません」ということでカウンター席へ移動をお願いされました。まぁね,そこはしょうがないなと思いつつもニッコリと席を移ることにしました。

 

そして,私が移った後の席には例の家族連れが着いたのですが,ほどなくして何も頼まずに管を巻きながら帰ってしまいました。店内では注目を浴びていました。

 

一部始終を見終わった後に注文した料理が出てきましたが,やっぱり魚うまい!!旅先では損していることを意識するより得していることを見つけたほうがやっぱり楽しめるな!と思いました。

 

 

旅に出るたびに不景気のあおりをより強く受けているのは地方であると感じます。分かりやすいのは,開くことのないシャッターが並んだ商店街と明らかに店員の数が足りていない飲食店などだと思います。

 

人件費を削減して対処しなければ店舗の運営がままならないということで従業員の数を減らして対応するとやはりしわ寄せが来るのは従業員の方なのです。もちろん,お客さんにも転嫁されるのですが,お店の対応に若干不満があっても,言いたい事を一回は飲み込んだ方がどちらにとっても楽しく過ごせるのではないかと私は思っています。つまりは自分のためでもあると思っています。

 

それに周りの人にとっても,不平不満を聞いているのが楽しいと思うことなんてないと思うのですよ。 

 

 

そして翌日,相談会が終えてその後,車で館山駅まで送っていただき,遅めの昼食をお寿司屋さんでとることにしました。そして,そこでも注文したものが遅れました。しかし,気を利かせた板さんが塩辛をサービスで出してくれました。Lucky!!

 

さらに,赤貝のにぎり一貫をサービスしてくれました。Lucky!!

 

その板さんとカウンター越しにした話の中の『この仕事では,仕事の中に楽しみを見つけることがとても大事です』という言葉をもうひとつお土産に頂いて帰りました。Lucky!!

花曇の金曜日

2013-03-29

今日の天候は,まさに花曇といった感じです。なお,夜から雨が降るようなのでお気をつけください。

 

昨日の夜から暖かく,気分は春らしいウキウキ感がありつつも,天気と同じようにちょっとうかない感じもします。

 

同じ気分の人はどこかにいるのかな。

 

感覚が似ていると思う人には,やはり似たもの同士ということでシンパシーを感じます。

 

似ているからこそ気持ちが窺えたりしますし,その人を理解していると思うこともできます。

 

でも,やっぱり似たもの同士なので同じタイミングで歩み寄ると,まるで磁石の同じ極のように同時に反発することもあるかもしれません。

 

それでも,強いシンパシーがあるので気持ちが遠く離れていくこともないのかもしれません。

 

 

明日から日曜まで,多重債務対策会議の出張相談のため館山に行きます。

 

せっかくiphone5を買ったのでMacを持っていって旅先からテザリングを試してみたいと思います。

 

ちなみに,『「テザリング」とは、「tether(繋ぎ止める、縛る)」という単語の動名詞形である。』だって。

こころひとつ

2013-03-27

ある日突然,人の心を自由に操る能力を身についていたらどんなことに利用しますか。

 

会社の上司を利用して出世したり,商売をしてお金を稼いだり,気になる女性を口説いたりとか色々と思いつきます。きっと薔薇色の人生となるでしょう。

 

もし,会社での出世を選んだら指揮監督も任されてそれに応じた責任も負わされます。

まぁ,重大な失敗をしてもそこは責任を追及してくる人たちをうまく言いくるめれば何とかその場をしのげるでしょう。そして,それを繰り返せば会社の内部統制は大きく歪み世間の信用を失い経営は必然的に傾くのではないでしょうか。結果多くの人が雇用を失いその人達の人生を変えてしまいかねません。

 

また,商売をするにも人を言いくるめて物を買わせたらその人にとっては被害ですし,女性関係にしてもやりたい放題の結果その人の人生をどれだけ歪めるか分かりません。

 

以前に話題として採り上げたスターリン然り歴史上の独裁者は人心掌握術に長けている人物が多いように思います。もしかしたら,上に書いているような心理だったのかもしれません。まぁ,こういう人達は,良いか悪いか別にして歴史上稀に見る才能の持ち主だったのかもしれません。

 

しかし,わりと多くの人が身近で,ある人に対して「この人は言われるままに行動するのではないか」と感じたことがあるのではないかと思います。理由として力関係が背景にあったりとか様々なケースが想定できると思います。

 

そういう場合に好きなように振舞えば色々なものが歪んでしまうと思います。その人のことだけでは足りずにその場所の秩序とか道徳とか。

 

だから,自分の思うように振舞えるというのは,世の中が思うようにいかないことの賜物の様に思えます。いろいろな人がいて様々な文化や考え方があって沢山の人生があるわけですので,そういったものが反発してこそ思い切り突進することができるのだと思っています。

 

もし,自分の思うとおりにできることがひとつでもあったら,やっぱりすごく責任を考える訳です。自分のことだけでも精一杯なので。

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