めまぐるしい日々の疲れを癒したくてなんとなく海に出かけてみました。
4月の空は雲ひとつ無く晴れ渡り昼下がりの日差しは浜辺の白い砂を照らしています。
海は凪いで穏やかな風が沖の方から吹いています。
ふと浜辺に視線を落とすと,透明なボトルが波に打ち上げられていました。
拾ってみると中には手紙のようなものが入っています。
ボトルから取り出して読んでみると「はじめまして まずは拾っていただきありがとうございました。〜」と文章が綴られています。
どんな相手を想像しますか。
こういうシチュエーションはその時代背景でしか輝かないのかもしれませんね。
インターネットが普及した現在においては,誰も彼もが匿名でメッセージを不特定の相手に送れるようになりました。それがどうなるかというとご存知の通り某大型掲示板のようになります。
ただ,これが悪いというわけでは全然無く,むしろ情報の取捨選択ができればバイアスのかかっていない純粋な情報を入手できます。しかし,相手が見えない状態での取捨選択はとても難しいはずです。
某掲示板の元管理人も『うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい』と発言していました。
インターネット上の情報は,大抵の部分で置き換えが利きます。例えば,左の写真が実は私の写真ではないとしても司法書士高橋岳に会ったことのある人でなければ分からないわけです。
メッセージだって同じです。インターネット(メールを含む)を介して届けられた言葉には絵文字などで表情を作りこむこともできます。その言葉の裏にある本当の表情は分かりません。
そして,情報の取捨選択で障害となる要因のひとつに「思い込み」が挙げられると思います。人はどうしても自分にとって都合の良い方に思い込みたくなるものでしょう。そして,根拠に基づいた情報と思い込みとの区別が場合によってはできなくなることもあります。そして,その思い込みが刷り込まれてしまうとなかなか解くことができません。
出会いサイトのサクラなどは,そういう思い込みを利用した典型でしょう。
インターネットを利用すれば,顔を合わせずに不特定多数の相手に同じメッセージを送り,後は相手の妄想に任せるという実に簡単な手口です。
どんなことでも,見えているものだけがすべてではないですが,インターネットの世界では,PCなどのモニターに映し出された文字情報や画像を見た人が想像を働かせるからこそコミュニケーションツールとして成り立つわけです。
実際に対面して話したり紙面などにおこしたりしていない分,情報を受け取るに当たり読み手の想像を働かせている部分が大きく,また,証拠もあまり残りません。
だから,誰かを籠絡しようとする人にとっても非常に有効なツールだと思います。
しかし,見ただけで誠実さを感じさせる文章などもあります。そういったものはやっぱり曖昧な言葉を使わずに根拠に基づいた情報と根も葉もない情報とをしっかりと区別している点がポイントとして挙げられると思います。
とはいえ,あまりに情報が多い中,本当に信用できる情報を見分けるのはとても難しいと思います。
まぁしかし,たとえば冒頭に書いた話での手紙を書いた相手を想像する一番大きな要素って文章の内容ではなくて,そういう行為をするような乙女チックな心とか純粋さなんですよね。私としては。
それを想像できるってことは,想像している自分の心のどこかにもそういう気持ちがあるからじゃないかと思っています。
そういう意味では,誰かのことを想像したり妄想したりして自身の中だけで出来上がった虚像は自分自身を映し出しているのかもしれません。