明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
さて、新年早々・・・とは言えなくなりまして、とりあえず何を書こうかと迷いましたが、ひとまず昨年末に観た映画の話でも。
なんせ時間がありましたので、いっちょ気合を入れて長いのを観たれ!ということで、「カルロス」という実在のテロリストの人生を描いた映画を鑑賞することにしたのですが、これがまた長いのです。
3編に分かれておりまして、全編で339分。約5時間半という事ですから年末時代劇も真っ青なわけです。というわけで年末観るにはうってつけな訳でございます。
まず映画の舞台は1973年6月、パレスチナ活動家のモハメド・ブーディアがモサド工作員の仕掛けた爆弾によって暗殺されるところから始まり、主人公カルロスは、ワディ・ハダド率いるPFLPの分派組織「パレスチナ解放人民戦線・外部司令部」(PFLP−EO)に参加することとなります。
そして、手始めに日本赤軍によるハーグの仏大使館襲撃のサポートに加わると、その後は実行部隊のリーダーとして多くのテロ活動を指揮するわけですが、それにしても空港ターミナルの屋上から飛行機に向けてロケットランチャーをぶちかますわ、ウィーンのOPEC本部を乗っ取るわと、彼らやりたい放題なのです。
もっとも、白人支配の打破だとか世界の貧民への分配とか崇高な理想を掲げながら世界を股にかけて活動する、勇敢で知己に長けていて熱くなりすぎるところがあるが女性にもてる、しかも、フランス映画という事もあって、映像が洗練されていてとてもお洒落で、不謹慎にもテロリストである主人公を(か・かっこいい・・・)と思ってしまうのでありました。
ところが、カルロスはOPEC襲撃事件において重大なミスを犯してしまい、その咎でPFLPを追われてしまいます。
仕方がないので、新たなテロリスト仲間とその後ろ盾を探すことになるのですが、あらゆる組織(国)からその都度依頼を受けて実行するという何でも屋テロリストに変化していくのです。
観ておりまして、このあたりから(アレ?崇高な理想はどうしたの?)という風にカルロスの思想に疑義が生じ始めました。映画としてもこの辺りは、序盤の過激なアクションシーンと比べると大分おとなしくなるのですが、テロリスト仲間と結婚して子供もできた彼の心境に若干の変化を見た気がしました。
そして冷戦が終わることで物語は急展開を迎えることとなります。カルロスは、ソ連や東欧諸国などの後ろ盾を失い潜伏先のシリアも追われることとなります。
それまでカルロスを利用してきた各国にとって冷戦が終わってしまえば、これほど厄介な存在はないでしょう。
カルロスは、それまでの協賛国を転々とすることとなり、嫁と子供にも逃げられます。(もっとも彼の浮気も原因のひとつです。)
やっと、居つくことができたスーダンでは、なんちゃってイスラム教徒として高級住宅地で美人妻と暮らし、時折クラブ入り浸って酒を飲むなどして、優雅な生活を送ります。
もうこうなってしまえば、理想も何もあったものではありません。
その罰が当たったのか睾丸が痛くなる病気を患い、スーダン政府にも裏切られ、タイーホされてしまいます。映画によりますと未だパリの刑務所に拘束されているそうです。世界中で83人も殺害したテロリストがぬけぬけと生きながらえているとなると、被害者のご家族の中には心中穏やかでない方もおられるとお察しいたしますが、このあたり死刑の是非を考えさせられるところです。
私は、5時間半にわたりカルロスという人物を観たわけですが、彼は、通らない言い分を暴力を通して訴える方法というのが正当化されることはないまでも世間に同情を促す方法とはなりえると考えていたのかもしれません。
なるほど、日本でも一揆という方法で窮状を訴えたり、現在でも人気のある忠臣蔵などは最もたるものではないでしょうか。
もっとも、荻生徂徠は赤穂浪士の切腹を強く進言したそうですし、日本においては治安を乱した者に対する処遇については世間の同情を考慮に入れないというのが歴史の習わしのようです。
やはり、世間の同情をひくために世間を騒がすことを統治者として許すべきではありませんし、そうしたからこそ史実として輝を放つというのはあると思います。
一方で、カルロスさんは革命が目的であった訳ですが、暴力的な方法を用いて世界を混乱に陥れたその落とし前というのは、革命が成就したかどうか、いずれの場合においても考えていたのでしょうか。
なにより、映画の中でのカルロスが輝いて見えるのはアメリカをはじめとする白人至上の社会に立ち向かうときなのですが、もし社会が公平かつ平等であり文句のつけようのない世界であったとしたら成り立ちようのない思想であったとも言えます。
これって、言ってみれば抵抗勢力が支配者に依存する関係が成立しているとも考えられるわけです。
そうであるとしたら、はたしてカルロスが革命を遂げたとき世界はどのようになったのでしょうか。というか、そもそもその気はあったのでしょうか。
このあたり、日本でも割と身近にいい実例があるとおもってます。
そして、逮捕直前のカルロスは、彼がかつて憎んだブルジョアたちと同じような生活を送るわけですが、冷戦の終結が彼を変えたのでしょうかね。それともそもそも目指した姿だったとか。
まぁそんなこんなで、現在の日本は右だ左だと騒いでいる感じですが、実は互いに必要な存在なのかもしれませんよ。