「自由と民主主義のための必読書50」と題してMARUZEN&ジュンク堂書店がブックフェアを開催していたそうなのですが、棚に並べられた本の選別について批判をうけたとのことで、書店側がブックフェアを中止し店頭にあった書棚を撤去する、という出来事があったそうです。
書店側の説明は、選書の中身について「本来のフェアタイトルの趣旨にそぐわない選書内容」として批判を認める見解をweb上で示しています。
また、同web上にて、同社方針のもとフェア自体は継続していくとしています。
大手の書店が他者からの批判を受けて、店頭から本を完全に撤去したとなれば、表現の自由云々で多少なりとも批判は免れないことでしょう。とはいえ、再販価格維持制度などで書店側の商業上の裁量は制約されていることから、限られた店舗内での本棚の陳列くらいなら裁量を多少広く認めてあげてもいいんじゃないかと個人的には思うわけです。
また、ブックフェアとして特定の本をピックアップして宣伝することも、また、止めることも書店の自由でしょうし、小売りを業とする書店に出版社と同じ表現上の責務を負わせるのは酷なのではないかと思います。
そうであれば、書店に対するユーザーの批判もアリなわけで、批判を参考に変えるべきことを変えて、変える必要が無いと判断すればそのままという書店の裁量は、尊重すべきでしょう。
とおもったのですが、日本出版者協議会という団体が、この件について運営元の丸善ジュンク堂書店に対して「出版社と書店の信頼を崩し、表現の自由を損なう」などと抗議する文書を出したそうです。
日本出版者協議会は、フェアが中断されたことを「批判を受けようが、フェアは書店の自由裁量だ」と批判し、フェアの選書に問題があったとした運営元の説明についても「書籍の出版社を否定するようなもの」とし、従来通りの内容で早急にフェアを再開するよう求めたとのこと。
フェアが書店の自由であれば、フェアを止めることも裁量として用意していなければならないわけで、批判を機に止めることが許されないとしたら、批判による改悛は表現を扱うものには認められないということでしょうか。
しかも、全国展開する書店の1店舗にて行われたブックフェアの選書について、会社が問題視して選び直すことが「書籍の出版社を否定するようなもの」と解釈され裁量を制約されるのあれば、それこそ書店側は出版社からの圧力を免れなくなるわけで、大手出版社からの出版物のみが書店に並ぶことになりませんか。
書店自体が個性を発揮することは許されないと言うことでしょうか。
そのことは、力の弱い人の表現の場を間接的に奪うことになり、表現の自由への制約ともいえましょう。
興味深いことに、日本出版者協議会による丸善ジュンク堂書店への批判は、丸善ジュンク堂書店の行為が表現の自由を損なうという名目でありながら、書店や小規模出版社の表現への制約を強要しているように思えます。
また、この批判の中で日本出版者協議会は、
『たとえば私たちは、「保守政治思想をたどる」というフェアでも、「TPPが日本経済を救う!」というフェアであっても、主張は違うが、そういう出版物が「出版物に値しない」とか「一般にそぐわない」とかの理由で、フェア中止を求めるようなことはしない。』
と、述べています。
ん・・・んんん?
誰に対する当てつけでしょう?それともスローガン?
これが、もしジュンク堂への批判をした人たちに対するメッセージであったなら、それこそ表現を扱う者としては大問題発言ではないかと。なんたって、批判をするな!何も言わずに従え!と言っているように思えるわけですから。
とはいえ、批判自体が真っ当な主張でなく、正当な手段でも無い場合もあるはずです。
そういったものが、一人または少数であるならしかるべき対処方法が用意されていると思われますが、世論を揺るがすくらいの大多数だった場合はどうでしょう。
ないとは言い切れません。
既存のありとあらゆるものをおかしな論法で非難し続けた民主党が政権を取ったような国ですから。
実際の話、大衆が出鱈目を信じて世論を形成したら果たして、それに反する表現が果たして許されるでしょうか。
たしかに、公権力は憲法に縛られるといいますが、そうであれば縛られない大衆を抑制するブレーキとなり得るのはいったい何でしょう。
そう考えると、少数派の表現が大衆によって抑圧される事態はあり得るわけで、結局表現というのは、憲法などによらずとも国民全体において守る意思がなければ、自由を保つことはあり得ないように思えるのです。
その自由の正当性として批判は存在すべきじゃないかと思います。
だから、批判に耳を貸せるだけの裁量は、どんな表現者にも持たせておかなければならないわけです。(逆に聞かないという意味も含めて)
今回の書店が掲げたタイトルが、「自由と民主主義」といったセンシティブの様でイマイチ定義が曖昧なものであったために、色々と混乱が起こるでしょうし、今後も話題となることでしょう。
でも、本の内容云々よりも店内に陳列された本についての書店の裁量と考えたら、割と話がシンプルになる気がします。
たとえば、石原慎太郎氏が知事の時に青少年育成条例を改正しましたが、その時に取りざたされた書類に話を置き換えてみると、割とスッキリと問題の趣旨が浮かびあがるのではないかと。