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価値観の違い

2014-04-14

価値観は人それぞれということに異論がある人は,あまりおられないと思います。

 

では,自分と違うすべての人の価値観を容認できるか?と聞かれたらいかがでしょうか。

 

たとえば,恋愛感について「不倫は文化だ!」という人が,純潔を守ると決めている人の考えを容認できるかというと,まぁ否定する人はおられないでしょう。

 

逆の場合だと,まぁ不倫は明確な民法上の法律違反なので価値観の範疇に収まらなくなってしまいますのでちょっと例えは良くありません。

ですが,独身者同士の場合で,自由恋愛と称してそこら辺で種をつけたりつけられたりすることを良しとする人と,あくまで純潔を守るという人が,お互いの価値観を容認できるかというと,いかがでしょうか。

 

「あなたの価値観は良く分かった。しかし,私の価値観は違うんだ。でも,価値観の違う同士で仲良くしましょう。」といったように簡単には割り切れないのではないでしょうか。

 

そもそも,男女の違いはあれど,ほぼ同じような欲求を持つ同士だからこそ,「貞操観念」という観念を共通認識とできるわけで,そのためお互いの生き様を価値観として認めることができるはずです。

 

ですので,価値観となる前の起点は,ほぼ同じだといえましょう。

 

そうすると,価値観と言われて人それぞれ枝分かれする過程において,自己(または他者)における体質や体験など様々な要素を加味した結果が,その人の生き方の指針となるであろう価値観として形成されるのだと思います。

 

もっとも,そのことは人それぞれ体質や体験などが違う訳で,しかも,その違いが多様であることから,同じ価値観というのは有り得ないはずなのですが,実際は意外とそうでもないように思えます。

 

恋愛について,どの様な価値を置くかということですが,特に前に挙げた二通りの違いというのは,単に我慢をするかしないかということを価値という言葉に置き換えただけのようにも思えます。

そして,実際にその二通りのほかに価値観というものがあるのかというと,手順や作法などの細かい部分では違いは見ますが,せいぜいさじ加減程度の広がりしか見られない気がします。

 

というのも,価値観というものが,体質や体験を通して自らの考えを具体化したというものではなく,単に欲望にオブラートを被せただけという使われ方が多いように思うのです。

 

そのことは,欲望をむき出しにする者に対して,間違いを指摘することが出来なくなります。

 

つまりは,人それぞれの価値観の違いを容認することが,ほぼ皆の共通認識であれば,不純な動機でもすべて価値観と呼んでしまえば,間違った考えではなくなり,他人の価値観として容認せざるをえないことになります。

 

かといって,私は冒頭に述べたように価値観は人それぞれということに異論を唱えるつもりはありません。

 

ですが,価値観と呼ばれるものの中には,それまでその人が体験したことのある,思いやりだとか優しさだとか苦い思いだとか残酷さだとか切ない想いだとか寂しさだとか嬉しさだとか興味だとか痛みだとか恥ずかしさだとかこそばゆい気持ちだとか絶望だとか希望だとか,そういったものを全部すっ飛ばして,我がままに欲望を満たしつつも他者からの非難を避けるための常套句のような使われ方が混じっているように思うのです。

 

本来であれば,価値観を認め合うという事は,お互い差し入ることの出来ない部分を意識するということにどうしてもなりそうですが,偽の価値観であれば,自分の欲望を満たすために他人の所得も感情も踏みにじることでしょう。

だって,欲望から価値観として表明してるところまでの経過がスッカスカなんですから,それって,つまりは他人の価値観などに興味などないわけです。

 

これは,恋愛の例で考えてみると分かり易いと思います。

 

そして,「価値観は人それぞれ」とされる理由は,いわゆる「個人の尊重」を出所にして個人に自由を認めたことの延長なのでしょう。

だけど,自由というのは認め合った結果,みんなで押し合いへし合いする分,意外と不自由さを感じることって多いと思うのです。

 

そして,皆にそれぞれ自由を与える方法として,「束縛は少ないほうが良いだろ」という形式的に自由である方向へ進む事が,本来求めていた自由を実感するということと程遠いものとなり,本末転倒となってしまうように思えます。

 

そして,その過程で,他人を踏みにじることを「価値観」として容認されることがあれば,もう完璧です。完全な自由社会といえるでしょう。

 

言ってみりゃ背景や姿かたちは違えど,精神的な面において北斗の拳やマッドマックスのモヒカンがうようよする様な世の中です。

 

これって,本当に我々が望む社会なのか?ということになります。

 

そういえば,日本の総理大臣が価値観外交といって色々やっているようです。

 

なんでも,自由,民主主義,基本的人権,法の支配など,常々疑い続けなければならないと思われる事柄を普遍的価値と位置づけて,そういう価値観を持つ国々や人々と連携して訓だってさ・・・

 

っていうか,それ,他国に対する歴史的価値観の否定にならないの?!って思いませんか?

今日はとてもいい天気

2014-04-12

さわやかな陽気ですね。

 

今日はちょっと寒い気がしますが,それでも以前よりだいぶ暖かくなった気がします。

 

ビールが美味しき季節になりましたが,飲みすぎにはくれぐれもお気をつけくださいませ。

 

では,よい週末を

2014-04-11

はるですねぇ

 

それにしても,もう4月中旬に差しかかろうとしています。

 

なんと,月日がたつのは早いことか。

 

ゴールデンウィークは,もうすぐですよ。

 

予定がある方もない方も楽しく過ごせればいいですね。

 

明日もきます。良い週末を

ちょっと飲みに行ってきます。

2014-04-10

しかし,暖かかったですね。

 

今朝,コート着て出かけたところ,駐車場まで歩いた時点ですごく後悔しました。

 

でも,これから冷え込むそうですよ。

 

ちょっと,これから豊田司法書士と(酒付き)打ち合わせをしてきますが,コートを着てきて正解だったようです。

 

寒暖の差が激しい季節の変わり目ですから,これからお出かけになる皆様も,お気をつけくださいませ。

終の住み処

2014-04-09

私が,成年後見人を務めさせていただいている方が,不動産を相続したのですが,今後とも住む見込みがないため売却する事になり,残置物の確認のために不動産に夕暮れ時独りでお邪魔して来ました。

 

庭には二羽のニワトリはいませんでしたが,非常に荒れてしまっていて,入るのはちょっとおそるおそるだったのでした。

ですが,鍵を開けて家の中に入ると,非常に整然としていて,今でも人が居住しているかのようでした。

 

なお,被後見人(私が後見している人)のお母様が独り住まいのときに亡くなられたために,警察が入ったそうなのですが,取り立てて何かを探った様子もなく,庭さえ手入れすればそのまま住めるとさえ思えました。(冷蔵庫近辺には近づきませんでしたが)

 

老衰で亡くなられたということですし,天寿を全うされたといっても過言ではないでしょう。

 

その人生において,結婚して自宅を建てて,その場所で生活した40年にわたる年月により染み付いた生活感をいくばくか感じ取ったような気になりましたが,その中で幸せだったり苦しかったりしたのだろうなぁと想像してみると,他人の終の住み処を見渡して妙にしんみりしてしまいました。

 

なお,壁に貼り付けられていた時計の針は動いていませんでしたが,きっと明日になれば締め切ったカーテンの隙間から朝日が差し込んで部屋を照らすのでしょう。(わかんないですけどね)そして,また夜が来ても誰もいない家は,家族の生活が再び始まることを待つかのごとく, 家の中の空間だけ時間を止めてしまっているかようでした。

 

ですが,誰も住むことの無くなった家は傷みますし,管理するにも費用が掛かります。また,ご近所にとってもあまり良い気分はしないでしょう。

ですのえ,住む予定のない家を維持することに理由は無いばかりかむしろ財産を逸失してしまうことになるので,処分することは致し方ないことだと思っています。

 

そして,その場所がまた別の家族の生活の拠点となり,長い時間にわたり生活を支えて何十年後日には終の住み処となることでしょう。

だから,わたしはつくづくこの世の中は循環で成り立っているなぁと思うのです。

 

たとえ,寂しさやむなしさを感じることがあっても,それが誰かの幸せだったりするわけで,そうであれば,その循環の中にさえいることができれば,いずれきっと幸せが巡ってくることがあるはずです。

 

 

たぶんあると思います。

 

 

あるんじゃないかな・・・

 

 

そうなることを願います。

 

そして,真実ってたしかにそういうことかもしれません。

解釈改憲

2014-04-08

今日,郵便局に言ったついでに切手をまとめ買いしてきたのですが,82円切手を40枚買うと3280円でして,80円のときだったらもう1枚ついてきたということを考えると,その負担の大きさ(?)を実感したわけです。

 

もちろん,我々の所得がもれなく今よりも3%を超えて上がれば何の文句も無いのですけどねぇ・・・

 

なお,来年10月には,もう2%値上げして10%となる予定です。

なんか,この調子だとさすがに,消費税引き上げにおいて景気を判断すべしとする附則18条が発動しそうな感じですが,まだ先の事ですから分かりませんけど,そう遠くない将来なんですよね。

 

さて,どうなることやら。

 

しかし,一部の人たちを除いて,我々はどうしてもこの日本で生きていかねばならないのですから,何とか頑張りましょう。

 

ところで,このところ特定秘密保護法案に替わって大きな話題となっているのが,いわゆる解釈改憲です。

 

つまりは,憲法9条について条文の文言は変えずに,自国の防衛以外に武力行使はできなにいという現在の解釈から,他の国への攻撃に対して協力して共同で防衛に加わることが出来るという解釈に替えるとの事です。

 

具体的には,「日本近隣の有事」「機雷掃海」「対米支援」の3事例について「日本の安全に深刻な影響を及ぼす事態」において限定的な行使を容認するとの内容のようです。

 

ちなみにウォールストリートジャーナルの記事では,この日本の解釈改憲について中国と韓国で大いに反対がある旨を報じていましたが,聞くまでも無いだろうと思わず笑ってしまいました。

それに対して,米国のヘーゲル国防長官は解釈改憲に向けた取り組みを歓迎したとの事です。これには,「へー」という感じでしたが,もしかしたら貿易交渉における駆け引きの材料としようとしてるのかもしれませんねぇ。

 

実際に分かりませんけど,貿易と国防とを天秤にかけたとしたならば,海外で儲けることが出来る一部の商売人の利益の為に国民の生命が左右されることになるわけですから,そんな事は断じてあってはならないわけです。まだ,分かりませんけど。

 

ともかく,戦後から約70年ほどの期間において,名目上軍事力の行使を放棄してきた我々日本人に対して,そろそろ考える時期として突きつけられた問題といえるかもしれません。

 

これについていかがでしょうか。

 

ちなみに,私はこれまで人権規定について問題だと思うことは,何度か書いてみたことがありましたが,憲法9条についてはおいそれと書けないとして(たしか)書いていないと思います。

 

というのも,すなおに怖いと思うからです。

 

これは,日本が攻撃の標的になるケースもそうですが,逆に自分がお国の為に敵国のどなたかを殺めることができるかというと,生まれてこの方ニュース以外では戦争と無縁で育った世代であれば,むしろ自然だと思ってます。

 

自衛隊で訓練されておられるような方々を除けば,戦後世代の中でも特別変わった考えではないと思ってます。逆にネットに書き込まれた勇猛果敢な言葉の方がむしろ想像力を疑ってしまいます。

 

だが,しかしですね,今まで日本はとても平和だったし,今後もその平和が続くかというと,どう考えても否だと思うのですね。現実に竹島やら尖閣,北方領土の問題も解決する見通しは立ちませんし,外交においても軍事力があるかないかで大きく変わることと思われます。

 

たとえば,日本に対しては,強烈なジャイアニズムを遺憾なく発揮するアメリカも核兵器を持つ中国や北朝鮮に対しては,非常に慎重であるように思います。

 

まぁ現政府が考えている解釈改憲は,さしずめ対米従属的という発想からだと思いますけど,それでも今後の日本の防衛に関して議論するいい機会だと思います。というか,今までぜんぜん考えてないというのが異常な状態だったと思うのです。

 

そういう意味では,集団自衛権の行使について恥ずかしながら怖いと感じることはそれなりに実感を持っているということだと考えてます。

 

なお,永世中立国のスイスにおいては,憲法にて全国民に兵役の義務を課しているそうで,そこまでやらないにしても,集団的自衛権の行使を考えるには,全国民にそれなりの覚悟が必要だと思うのです。なぜなら,民主主義国家ですから。

 

ですので,いかに考えるにせよこの機会に議論する事はいいことだと考えます。「憲法9条が日本を守る」などとうわ言を喚いて,真剣に考えること自体を放棄するよりはずっとましだと思います。

 

また,憲法の改正要件を定めた96条自体を改正する話には反対ですが,実際に憲法の条文ひとつひとつについて是非を考える事は意義のあることだと思います。

 

今のところ9条に関しては,取り急ぎ解釈改憲というところでそれはそれで良いのですが,その後おそらく96条を含め9条の条文の改正が議論されることと思います。

 

もっとも,防衛の前提の問題としてナショナリズムを喚起することは不可欠でしょうから,日本国民のナショナリズムは如何なものか,という点を憲法問題に落とし込むと,どうもナショナリズムが育つことを阻害していると考えられる憲法の人権規定についての議論から始めた方がいいんじゃないかなぁ・・・というのが私の考えです。

ものいう

2014-04-07

イワユル,“ものを言うニュースキャスター”がもてはやされ始めてから結構な時間がたったと思いますが,そのニーズは未だ衰えないばかりか,むしろ各局にひとりそういう人を置くようになりました。

 

我々は,テレビのニュース番組を見て,キャスターが力強く庶民の味方発言をする度に万歳をすることで,政治に対する不満の捌け口にしたりするわけです。

 

一方で,テレビの側も商売でしょうから,(最近かなり露骨になった気がしますが,)やはり商売っ気を気付かれずとも,商売をしなければならないでしょう。そうなると,おのずと番組には庶民の味方発言をするキャスターが多く使われるでしょうし,キャスター側もそういう傾向に自然になっていくのでしょう。

 

だから,権力に対しては実に手厳しい発言が多く感じます。

もちろん,テレビという情報を司るメディアから政治への牽制というものは,上手く機能すれば非常に有意義なものとなるでしょう。

一方で,その政治への牽制が資本の力によって大きく影響するならば,凄まじい害悪をもたらしかねません。

 

つまりは,テレビをはじめどの情報メディアも,情報という非常に公正を保つことが難しいものを商品として扱っているわけでして,その情報が売れることをもって生業としているわけです。

情報を商品と見立てると,買い手が情報を欲しがらなければ商品とならないわけですから,人が欲しがる情報を提供しなければ食いはぐれてしまいます。

なお,別にそこまでなら特別問題があるとは思いません。求める情報の種類によって層も変わるでしょうし,競争が一概に情報を劣化させるとも思えません。

 

ですが,やはり我々はストーリー仕立てのような話の方が理解し易くまた,情緒にも訴えるでしょうから,まるで演劇のように国家を敵と見立てたり,はたまた総理大臣をスーパーヒーローになぞらえたりして人気を得るのでしょう。

 

この仕立てられたいくつものストーリーのどれかを信じるか,というのがいわゆる政治観というものになっているのではないかと思うのです。

 

そのことが,どういう影響を及ぼしているかというと,例えば,『権力を握った人間はすべて心が醜く,そういう人間ばかりで構成されている国家は必ず庶民を食い物にするから,庶民は力を合わせて国家と戦わなければならない。』という人と,『稀代の名宰相である安倍首相は,その巧みな交渉力で,アメリカをはじめ世界各国と対等に交渉して,日本企業の海外進出を推し進めて,また国内においても世界で羽ばたくグローバル人材を育てることで,日本を再び世界の経済大国に押し上げるだろう』という人が,日本の政治について語り合ったとしてもまるでアナザーワールドで,ドラえもんとケンシロウが話し合っているようなものでしょう。全くかみ合わないはずです。

 

ストーリー仕立ての説明は,非常にわかり易い反面,非常に重要な過程をはしょっていることが,非常に多く感じます。

 

たとえば,国家は敵というストーリーについては,歴史の中では国家権力より,むしろ民衆のほうが暴発する危険を孕んでいたことから,民主主義の制度が発達したという点を踏まえなければならないし(民衆が常に正しければ国家なんていらないもんね),政権に対する盲目的なストーリーについては,日本の議会制民主主義において本来であれば選挙のときに国民に是非を問うべきだったグローバル政策について,選挙後に後出ししてきたという経過を端折ってはならないはずです。

 

このあたり,本来ストーリーは現在において進行している現実というものしかないはずなのですが,見えない敵やらヒロイズムやらで感情をあおられてしまうのは,そもそも人の主観というものがストーリー仕立てであるからなのかもしれません。

 

わりとその事は,皆知っているんじゃないかと思います。

要は,自分の人生自体をひとつのストーリーに見立てて,それぞれ違う物語があるという認識です。そうであるからこそ各々の価値観を尊重するという話になるのでしょうし,共通する出来事があれば思い出話が盛り上がるというものでしょう。

 

もちろん,それはそれでいいことなのですが,実際に時間という大きな流れはどの人にも共通であり,思考を省けばそれは一元的なのではないかと思うのですね。

つまり,同時刻に同じ世界にあなたも私も確かにどこかにいるって事です。

 

そのことが,共通認識でないと裁判も研究も出来なくなってしまうでしょうから。

 

そうであれば,それぞれのストーリーには,必ず間違いが存在するはずなので,それを逐次修正してお互い正しい認識に近づいていくのが政治論争だと思うのですが,無謬のストーリーをたがえる事になんの意味が有るのでしょうか。

 

自分の誤りを意識できない人との話し合いはあまり意味を持たないと思うのですが,そういう人がなぜか(自信満々だからか?)もてはやされるわけでして,政治の中枢だったり会社の上層部にいっぱいいるのでしょう。

 

結局,民主主義という事は,それをもてはやしている我々の責任ということになってしまうのです。だから,しっかり考えましょう。私も。

さくらまつり

2014-04-06

昨日は,千葉司法書士会の相談員の担当だったのですが,帰りすがりに地元の桜祭りに軽く寄ってみました。

 

通りは,賑わいを見せていて,気温も暖かかったため,おビールを一杯ほど頂きながら,出店が連なる路地を歩いてみました。

 

まぁやっぱり花より団子と言いますか,どんな人も,お祭りの楽しみはやっぱり食い気だなぁ・・・とつくづく思うような出店の賑わいから視点を上に向けると,見事な桜が咲いていて,中にはちらほらと葉が出ていたものの毎年この季節に目にする美しい花を今年も見ることができました。

 

まぁ祭りの日程を合わせるのもなかなか難しいのでしょうね。

今日も雨が降るみたいですし,きっと来週の今頃はすっかりと散ってしまっているのでしょう。

 

でもね。そのとき1年後の自分を見据えることが出来て,そういう機会に,将来のことに少しだけ意識をおきながら,日々の生活にいそしむというのが,季節の移ろいを感じる事でもあるようにおもえるのです。

 

きっと,桜の見ごろも今日限りでしょうから,雨降りそうですけどまた見に行ってきますよ。

真の目的

2014-04-03

先日,北朝鮮のものとみられる無人機が韓国国内で発見されましたが,なんと無人機に搭載されたカメラでは韓国大統領府の真上から写真が撮影されていたそうです。

 

これについて朝鮮日報では,もし無人機が爆弾を積んでいたとしたら,韓国大統領府は無防備だったことになると報道されたようです。

 

つまり,韓国政府に対する北朝鮮の無慈悲な偵察は,大統領府の上空まで及んでいたことになります。

 

これは,韓国政府にとっては脅威であることでしょう。

 

もっとも,無人機はデータの送信機器を搭載していなかったとのことで,撮影された画像は北朝鮮に送られていない可能性が高いとの事です。

 

つまりは,無人偵察機は本来の北朝鮮が意図した目的を果たせなかったということでしょうか。

 

私は,安易に無人機は写真撮影が目的だったと考えるべきではないと思います。

 

つまり,備え付けられたカメラはそう思わせるためのダミーである可能性が高いのです。

 

現在の北朝鮮最高指導者は,世界に名高い金正恩氏であります。

なお,父である金正日総書記の後継として現在の地位にあられますが,金正日総書記に到っては様々なエピソードをもち,ゴルフにおいては11回のホールインワンを記録し,38アンダーという驚異的なスコアをたたき出したこともあるそうです。(亡くなられた当時,ゴルフ界における多大な損失とさえ言われました?)

 

そのような,優秀な一族により統率されてきた国家ですから,無人偵察機を単なるカメラ付きラジコンと考えることは,あまりに見くびりすぎですし,むしろそれは北朝鮮の術中に完全に嵌っているといえましょう。

 

私は,無人機の真の目的をこう考えます。

 

まず,冒頭を思い出していただければ分かると思いますが,無人機に搭載されたカメラは韓国大統領府の航空写真を真上から撮影しています。

 

つまりは,大統領府の真上を飛行していたということです。

 

このことが,何を意味するか。

 

 

もうお気づきだと思います。

 

 

ズバリ!無人機の本当の目的は,撮影などではなく,韓国大統領の頭を直撃することだったのです。

 

なお,この情報は非常にセンシティブであるため一切の転載を禁じることとします。

ちょっと違う

2014-04-02

桜が各地で見ごろを迎えている様子です。

 

なんか良いですね。

 

車で走っていてもそれまでの景色とは彩が変わったように感じます。

 

この季節は気温も暖かくなって気分の変わり目のように思えます。

 

ところで,河口湖の桜の枝が何者かに無断で30本ほど切られたそうです。

 

昔から(?)「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」というように桜の枝を切ると切り口から腐り易くなることから切ってはいけないとされる一方で,梅は切らないと無駄な枝が付いてしまうんだとか。

 

それぞれ違った植物だから違った手入れの方法があるのは,まぁ当然といえば当然ですけど,なんとなく訓示的な言葉のようにも取れると思います。

 

まずは,桜の枝を切るのは馬鹿との事で,“桜の枝を切ってはいけませんよ”ということを訴えたいのではないかと。

 

それに対比して,「梅は切ってもいい。というか切れ!」ということを語呂良く後付けされていますが,咲く季節がちょうど入れ替わりという感じの両者です。

 

思うに,桜の咲く頃に桜を見物に出かけると,桜の枝を折ろうとしている与太郎みたいな人がいたので注意したとしましょう。

すると,与太郎は「ついこの間,枝を切っていたのを見たぞ!」と反論したので,返す刀で「馬鹿だね,お前さんは。お前さんは梅の枝を切ったのでも見たのだろう。昔から桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿とよく言うじゃないか。」という風に与太郎にも簡単に説明が出来ます。

 

ですので,比較できるもの同士をワンセットで語呂良く合わせると,日常的な知識を非常に覚え易く伝えていくことが出来るのかもしれません。

 

また,魚の焼き方で「川は皮から海は身から」というのもあります。

 

ほかにも,「いずれ菖蒲か杜若」とか・・・ちょっと違うか。

くじらのたれは旨い!!

2014-04-01

シーシェパードの代表が勝ち名乗りを上げているようです。

 

こ・・・これは屈辱です。

 

昨日,オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)にて,日本が南極海で行っている調査捕鯨は違法として豪州政府が中止するよう求めた裁判で,「科学調査のためとは言えず,国際捕鯨取締条約に違反している」との判断を示し、現状での調査捕鯨の中止を言い渡した,とのことです。

 

ぐぬぬぬ・・・

 

詳細は分からないのですが,地団駄踏みたい気分です。

 

鯨といえば,おらが千葉県南房総市の和田浦でして,こちらは商業捕鯨が認められており,この度の調査捕鯨の中止を求める裁判には直接関係がないようなのですが,あまりいい影響はではないことと思われます。

 

また,ノルウェーとアイスランドでは,現在も商業捕鯨を続けているそうなのですが,この度の判決に関して日本は今後どういう立場をとるのでしょうか。

 

そういえば,ビートルズのジョンレノンが「ノルウェーの森」という曲を歌っていましたが,相棒のポールマッカートニーはシーシェパードに肩入れしているのですよね。

ですので,悪口を言いたいのですけど「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ。他の奴が言うのは許さない」という言葉を残してジョンレノンは死んでしまったため,誰もポールの悪口を言える人がいなくなってしまいました。

 

 

なお,裁判長は,判決の理由を述べた後に「日本が今後,条約に基づく調査捕鯨を行うことを検討する際には,今回の判決の内容を考慮してもらいたい」と含みを残しているようで,南極海で行ってきた調査捕鯨の全面的な中止を求めるものではないようです。

 

もともとの訴えが,調査を目的とする捕鯨としては妥当な量とはいえない,というもののようですので,捕獲量の問題だと思われます。

 

このことで,色々ググッていましたらIFAWという組織のHPが出てきたのですが,こりゃまたえらいことになってますなぁ・・・

あまり関わらない方が良いと,危険を察知するセンサーが教えてくれたので,ここまでにしておきます。

 

でも,この訴えはそもそもオーストラリア政府からのものだそうですが,私はアボリジニの方々の方が気の毒に思うけどなぁ・・・

嘘のような本当の話

2014-03-31

いよいよ4月1日から消費税が引き上げられます。

 

うわ〜〜っ!てなってますでしょうか?

それともたかが3%とお考えでしょうか。

 

まぁいずれにしてもこれを機会に増税分の3%,若しくはそれ以上に値上げされる商品が多いようです。

 

例えば,いままでカット1000円の床屋さんが4月から1080円に値上げするというのをみて「あれ?」と思われると思います。

 

そうです。この度の増税は5%から8%に増税するのでして,上増しされるのは3%ですから,それまで1000円でやっていたのであれば,増税分を価格に転嫁するとしたら正しくは1029円となるはずなのですね。

 

また,基準期間の課税売上高が1,000万円以下などの要件を満たした消費税免税事業者も悪い言い方かもしれませんが便乗して値上げすることもあろうかと思われます。

 

事業者は,仕入れのために支払った消費税分を,売り上げから計算された消費税から控除して支払うことが出来ます。

ですが,事業者も一消費者であり,事業以外の生活にかかる部分で増す負担分については,事業における価格に転嫁するしかないわけで,ある程度の値上げ仕方のないところです。

 

そして,増した生活コスト分について更に利益を上げる必要がでてくると,薄利多売の商売であれば尚更値上げせざるを得ないでしょう。

 

また,デパートなどで駆け込みの買出しをしているようですが,その様子から来月以降の消費は冷え込みそうな予感です。

 

そうすると,小売業者の値上げ分は,ほとんどが(生活雑貨なども含めて)そのまま納税に周ることと思われます。

 

もっとも,価格を転嫁できるならまだ良いでしょうけど,実際に,納入業者・下請・運送等が取引先に増税分の値上げを出来ないことも想定され,そうだとするとかなり悲惨なことになりそうです。

当然ながら資材や経費などには増税の分負担が増すわけですが,売り上げ高(3%増税分も含めた)が据え置きだとすると,その分利益が減少するわけですので,今度は経費の方にしわ寄せをせざるを得なくなるでしょう。当然,設備投資などに回すお金は無くなるわけで,現在頑張っている企業も守りに入ることが予想されます。

 

そうすると,企業にとっては人件費,皆さんにとってはお給料にも大変悪い影響が出るように思うのです。だから,中小企業が大変そうなのを見て「たいへんだね〜」などといっている場合では済まなくなるかもしれません。

値段が高くなるのに収入は減る傾向となったら,そりゃ大変です。

 

日本の企業数の99.7%,雇用の約7割を占めるといわれる中小企業の多くが経営不振に陥れば,大企業に影響が無いわけが無いのです。

 

思いのほか,駆け込み需要も弱かったように感じますし,さてこれからどうなることやら・・・

 

すみません。。。

悲観的な話ばかりとなってしまいましたが,このことがエイプリルフールより一日早い嘘となることを心から願ってやみません。

 

そのためにも,増税分が国民の所得に還元されるような,使われ方でなくてはならないはずです。

 

そして,明日は「シーシェパードに完敗?!怒りの調査捕鯨船」の巻です。

あつい

2014-03-28

今朝は,若干冷えたのでしっかりと防寒してきたのですが,現在日中はっきり言って暑いです。

 

良い週末を

年度末

2014-03-27

年度末ですね。

 

何とかなってますよ。

会談

2014-03-26

オバマ大統領の肝いりで安倍晋三首相と朴槿恵韓国大統領との会談が実現したようです。

 

アメリカのプレゼンスが弱まっていることが指摘される昨今ですが,日本と韓国の二国についてはまだまだ強い影響力を持っています。ロシアへはぜんぜん通じてないようですが・・・

 

会談において,互いの歴史の認識については触れなかったそうです。

 

まぁいいんじゃないでしょうか。

 

どっちにしろ仲良くできっこないでしょうし

 

お互い利用できるだけ利用するというのが,世界中の近隣国にみる普通の関係なのかもしれません。

 

ということで,最近ぜんぜんかけてませんが,今日は佐倉での相談会に行ってまいります。

春の訪れ

2014-03-25

日中は,本当に暖かかったですね。

 

車中では,暑く感じるくらいでした。

 

春が近づいてきています。

物と幸せの関係

2014-03-24

手に入れたい物と思うものを数えれば,20本の指でも足りなくなります。

 

でも,そうそう手に入る物でないからこそ手に入れたい物ですので,それを目標に貯金するなど,長期的な目標を建てるか,若しくは,あきらめる趣旨で考えないようにするわけです。

 

もし,それらを手に入れることが出来るとしたら,そりゃ頂きますわな。

 

もっとも,物というのは手に入れたら入れたで,意外と窮屈になるものですよね。

 

特に長く手元において愛着があるものや,買った当時は結構な高額だったものはなかなか手放す覚悟が出来ませんが,生活しているとどうしても物は増えていきます。

 

また,すべての物は老朽するでしょうから,いつまでも使える物というのはなかなかありません。

私が,20年前に貯金をはたいて購入したmacは,10年程度で旧式の使えないコンピューターになってしまいましたし。。。

 

ただ,買った当時はとても幸せな気分でしたし,今のパソコンとは数段スペックが劣るのですが,それでも楽しく使っていました。

 

現在においても日々新製品は開発されていますし,物は老朽により使えなくなる時が来るでしょうから,やはり買い替えというのはどうしても必要となるはずです。

 

ただ,かつて古くなった物によって自分が幸せを感じた事は紛れも無い事実でして,我々は,新しいものを手に入れるたびに喜びを感じて,それが満足できるものであったらそのたびに幸せを感じて・・・そんなことを絶えず繰り返すことが,人間として生まれて死ぬまでの幸せのひとつの要素なのかもしれません。

 

そして,物と同じように我々も老朽していずれは動かなって姿かたちも変わり果ててしまう存在ですから,だからこそ物に対して感情を注ぎたくなるのかもしれませんね。

 

そして,これはまだ先の話なのでしょうけど,執着を解いて手放してしまうことによって幸せを感じることもあるのかもしれませんね。

 

私はまだわかりませんけど。

 

そう考えると,物というのは,取引される金額以上の価値を,その人ごとに見出されることもあるのでしょう。

けど,お金は額面以上の価値は古銭とかで無い限り見出せないはずです。

 

そう考えると,お金に執着する人というのは,お金を動かしていることやお金を持っていることに関しての興味なのでしょう。

まぁ大抵の人は将来の出費に備えるという趣旨がほとんどでしょうし,それは揶揄されるようなことでもないと思います。

 

ですが,他人の所得を奪ってまでお金に執着するというのは,いったいどういう了見なのでしょう。

 

それを世間では,競争に勝ち抜いた勝ち組という風にもてはやしています。

ですが,実際の話,もてはやしている人の所得を間接的に奪っていることもあるのでしょう。

最近流行りのムリクリ経費を削減するビジネスモデルが広がれば,おのずと人件費は削られて,個人消費は冷え込み,価格競争によりお互いに首を絞めあうようなものしょうから。

 

そうなると,製品も劣化するでしょうし,そんな時代に果たして物が人を幸せに出来るのか・・・

春分の日

2014-03-22

昨日は春分の日でしたね。

 

なんでも,春分の日は,「自然を称え,将来のために努力する日」と法律で定められた祝日なのだそうです。

 

自然を称えるのは普段の心がけでしょうね。

では,将来の為に努力したかというと,努力はしているかもしれないけど,それが将来のためかどうかはちょっとわかりません。

 

まぁ休日だからいいのです。

 

皆様も良い休日を。

付加価値

2014-03-20

豊田司法書士とも笑いあったのですが,私は帳尻あわせが得意です。

 

故に趣味や仕事など複数のことを同時進行させることには,多少の自身がありました。

 

ですが,所詮は帳尻あわせでして,それなりの形に仕上がっているもののそれほど中身というものが無くて,その事は自分でもよく分かっていました。

 

まぁそれでもいいか,とある時期まで思っていたのですが,ひとつのことをずっと続けている人と比べると,物事の仕上がりというか結果もそうなんですけど,人格的な面でも密度が薄いということが今更ながらだんだん気になり始めたんですね。

 

そして,それはちょっとしたコンプレックスになっています。

 

ですので,ひたむきな気持ちとか頑なな心というものが,すごく大事に思えてきていました。

だから,“何か始めたらとにかく少しずつでもちゃんと続けよう”というのが今の私のスローガンでして,このブログもその一環として続けています。

 

それは,趣味に関してもそうでして,たくさんあった“一応“趣味を続けられるものだけに限定して,定期的に続けるようにしています。

 

そうしていると,継続することってそれなりの苦痛が伴うということに気がつきました。やはり,趣味でやっていることをそのままの延長で実益を得るというのは,なかなか困難が伴うことであろうなぁとつくづく感じてしまうのです。

 

プロ野球選手などもそうですが,我々にとっては草野球など趣味で興じるのが一般的な野球で高額の年収を得ているのはなんとも羨ましいと妬んでみても,あるプロ野球選手の引退時のインタビューの「野球は好きだったけど楽しいと思った事は一度も無い」という言葉の通り,好きなことを続けるためにはそのことを楽しめないほどに自らを追い込む必要があるようです。

 

まぁ,それはちょっと大げさとしても,やっぱり人が趣味でやっていることを職業とするにはそれなりの競争があるでしょうから,生まれ持った才能や環境もそうですし,ひたむきさや頑なさも必要でしょう。

 

そうであるからこそ,一般人の趣味と違って,職業人が職業としてやった結果に付加価値が付いてくるのだと思います。

 

付加価値とは,「ある「もの」が有している価値と、それを生み出す元となった「もの」の価値との差のこと」(うぃきぺでぃあ)ですから,言ってみれば付加価値の無いものとは何かしら施した結果に価値が見出されないということですから,例えば高橋が高級和紙で折った折鶴は和紙の価値(若しくはそれ以下)しかないわけですが,有名人の誰かが追ったサイン付き折鶴であれば,ヤフオクなどで和紙以上の価格がつく事はありえるわけです。

 

まぁ有名人はその知名度が付加価値の根拠となるわけですが,そう有名な方がおられる訳でもないでしょうから,有名じゃない人がどう付加価値をつけるかというとやっぱり技術や経験,気持ちとかなのでしょうね。

 

逆に言えば,技術者が有名人化してしまうことは,本来の必要な条件を満たさなくても付加価値が付いてしまうことから,あまりよろしくない傾向なのでしょう。さむら・・・とか。

まぁでも,ある程度の広告宣伝は必要なのでしょうけどね。

 

そういうことなので,やっぱり私はそういうものに魅力を感じますし,とても自然なことだと思っています。そして,日本らしさでもあると思うのです。

 

まぁそれにしても,ネットでも批判があるようですが,東京五輪組織委理事にあの人を選出すると言うセンスの悪さには,ホンっっとに目を覆うばかりでございます。

年度末

2014-03-19

年度末ということで,千葉司法書士会佐倉支部(私が所属している支部)の総会の時期が近づいてきました。

 

それに伴って,幹事である私は準備の打ち合わせのために,これから志津まで行ってきます。

 

時間が許せば,書きたいこと一杯あるんですけどね。

 

まぁ明日書けば・・・という感じだと,明日には書きたかったことを忘れているというのが,いつものことです。

 

ところで,ちょっと気になるニュースがありますね。

 

安倍首相が,ロシアへの追加制裁を明言したとの事です。
なんでも,主権侵害と非難したとか・・・・
 
ついこないだまで仲良くしてたのにこんなこと言って大丈夫ですかねぇ・・・
 
ましてや,クリミア自治共和国は,住民投票により圧倒的多数でロシアへの編入を決めたわけで,ロシアはそれを迎え入れるという立場です。
主権侵害というならむしろクーデターの方を非難した方が良さそうな気がしないでもないです。。。
 
まぁ,もうちょっと考えてみたい話題ですけど,今日はこの辺で。

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