福井県にある関西電力大飯原子力発電所の3号機と4号機の安全性を巡る裁判で,昨日,福井地方裁判所が,住民側の訴えを認め,関西電力に対し,運転を再開しないよう命じる判決を言い渡したことが大きな話題となっています。
まぁ第一審判決で仮執行宣言が付されていないそうなので,関西電力側が控訴をすれば(するでしょうけど)判決は確定しないまま控訴審に移行することになりますので,運転再開の手続を継続することは出来るのですが,他の地方に与える影響は大きいでしょうねぇ。
原子力発電所の是非については,福島事故以前からも,そして特に事故以降に,様々な意見が交わされていますが,未だにこれらの意見がまとまる様子はなく,裁判所に差し止めを申し立てるまでに至り,この度の判決となったわけですが,なんでも福島の事故以後で原発の差し止めを認める判決が出たのは初めてだとか。
まぁそう簡単に纏まるはずがないのは仕方ありません。
私の居住区の周囲には原子力発電所はありませんですが,もしあったと考えればこの度の差し止め審の原告となった方々の心情も多少は理解できているつもりです。やはり恐ろしいでしょう。
それに対して,それまで原発によってまかなってきた電力の供給が少なくなると言うのは,経済活動においても私生活においても誰にとっても重大損失でして,原発に代わる電力供給のためのエネルギーが無ければ,やはり原発を使うしかないだろう,という主張ももっともであるはずです。
そもそも事の始まりは,震災のときに例の菅政権が原発を全部停めてしまったことが始まりだったのですが,現政権に代わってからは,改正された原子炉等規制法に則り,それ以前よりも更に厳しい基準に適合することを条件に原発の再稼働を進める方針でした。
そして,大飯原発を含む全国の原発において,原子力規制委員会が運転再開の前提となる安全審査を進めているところに思いっきり釘を刺したというのが,このたびの判決だといえましょう。
なお,判決の要旨をサラッと読んだ感じだと,どうも大飯原発の耐震性を超える地震が起こる可能性についての想定が甘いんじゃないか,ということや,原子炉の冷却機能の欠陥,冷却機能が故障した場合の放射性物質の閉じ込めの甘さなど,福島第一原発事故と同様のケースを想定しているようです。
また,冒頭において,原発の事故による地域住民の(避難などの)被害と,関西電力における電力供給という経済活動の為の原発稼働について,これらの比較衡量を判決の理由として書かれています。
また,注視すべきは,主文において,大飯原発から250キロメートル圏外に居住する原告の請求を棄却していることです。
この250キロメートルというのは,『原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討した』とのことでして,原告・被告のどちらがそれを主張したのか解りませんが,裁判所自らの判断だとしたらこれについては意見が色々と出てきそうです。
また,原発から居住地までの距離を基準として,その範囲に居住する原告に限定して差し止めを認容したということは,原発の事故によって侵害される『人格権』は,大飯原発から250キロメートル圏外に居住する人に限られるということでもあるでしょう。
そして,避難する可能性として250㎞を挙げていることから,原発による人格権の侵害は行政機関からの勧告により避難を余儀なくされる範囲に限られると言うことでしょうか。
ちなみに,ご存じのとおり福島の場合は原発から20〜30キロ圏内が避難区域とされていたことから考えると,またずいぶんと広いように思いますが,そういえば250㎞といえば東京オリンピックの招致のときに聞いた覚えがありますが,関係あるのかしら?
というか,この裁判の原告のうち,大飯原発から250㎞離れた場所に住んでいる方が23人もいたと言う事実も色々と感心させられるところではあります。
で,『原発には極めて高度な安全性や信頼性が求められているのに、確たる証拠のない楽観的な見通しの下に成り立っている』とのことで,この度の判決に至った訳のようですが,これだけだと,原発再稼働容認派の方々からすれば「おいおい,関電からもっと主張することがあるだろう」と言いたくなるのでしょう。
ニュース見ていて私もそう思いましたが,いやどうも『本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながる』と主張したようなのです。。。が,それについて『当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている』んだそうです。
これは,関電側の主張に対して審理しなかったと言うことなのか・・・
しかも,電気代の高い低いの問題って・・・
また,『本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている』そうなんですよ。
憲法では,「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」とされているけれど,なんか自由すぎないか・・・
価値感の押し付けか?
そして,原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れているという主張に対しては,『原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。』とのことです。
冒頭で『年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり』としているけど,環境汚染については様々な見解を考慮しないのか。。。
まぁ,結果としてこれらは一笑に付されたように見て取れます。
なお,冒頭には,「人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できる」とされており,このあたりが訴訟物(争いの対象)だとされたとすると,大飯原発が原告の人格権を侵害する可能性に争点が置かれるでしょうから,大飯原発にどれくらいの不備があり危険であって近隣住民の人格権を侵害するかという原告の主張(要件事実)に対して,燃料コストや貿易赤字やら環境問題等の関電の主張は,抗弁たり得なかったのでしょう。
要は,裁判所は「いま人権の話してるのにカンケ−ネー話してんじゃね−よ」と言ったところでしょうか。
なお前述しましたが,関電の権利と原告との権利との比較について『原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、(ここちょっとわかんないですよね)原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。』と判断しています。
これは,二重の基準の理論(精神的自由権と経済的自由権を対比して,精神的自由権等の重要な人権を制限する立法は,それ以外の経済的自由権等を制限する立法より,厳格な基準によって審査されるべきとする理論)の趣旨を応用しているように思えますが,実際に原子力発電所の再稼働の是非は関西電力の経済活動の不利益だけでは済まないわけです。
原発の再稼働を主張する方々の言い分は,原発を再稼働しない事によって国民が被る様々な不利益を考慮しているわけです。
例えば,我々は既に電気無しで生活することは無理でしょうから,
①原発に代わるエネルギーを探さなければならず,いくつかあがるとして
②そのエネルギーに掛かるコストを考えなくてはならず,それを無視することは結局我々の所得や税による徴収で賄わなければならなくなる訳で,それがクリアできたとしても,外国からの輸入に依存することは
③セキュリティの面で問題なのは,現在EUとロシアの問題に目を向ければ一目瞭然でしょう。
そして,最後にこれまで原子力で運用してきたからには
④使用済核燃料の処理の方法で結局再処理を施さなければ,そのまま埋めるより無くそれはむしろ危険というところです。
そして,4つ挙げたこれらの問題にたいする提案があったとしても,更に問題が枝分かれしていくでしょうから,結局の所原発,ひいてはエネルギー問題は,あらゆる部分に目を向けて論点を広げていかなければならず,民事訴訟という論点を絞り込んで(地裁では合議体でさえたった)3人の裁判官が判断を下す場で語るには絡み合う要素が複雑すぎるのです。
また,以前,楽天の薬品インターネット問題のときに書いたかと思いますが,原告対被告という二極の対立関係として,相互の権利の比較衡量をするという方法では,公共性やパブリシティが主張として評価されにくいため,本質的な問題が浮かびにくいと言うことがあると思います。この度の原発の問題はまさにその本質が審理の対象とされなかったと言うことでしょう。(裁判官によりますが)
そういえば,ここ最近(?)winwinなんて言葉がありますが,こういう事案こそ裁判外紛争解決手続を利用するのがよろしいかと思うのですよ。訴訟ほど厳格に手続が定まっていませんから,二極対立である必要も無いですし,時間をかければ様々な論点が浮き彫りになる事と思います。
大事なのは,まずどれだけ考慮すべき問題が有るのかを認識するところから始めるべきだと思うのです。
とはいえ,原発を稼働させない所謂「脱原発」が直接の目的だとしたら,そもそもエネルギーにまつわる複雑性を理解する気などサラサラないでしょうから,後先のことなど知ったことでは無いのでしょう。
そうであれば,私自身の人格権を行使してそういう人達の差し止めができないかなぁなどと考えています。