焼き魚の食べ方をたまに褒めて頂くことがあります。
骨と頭だけ残っている食べ終わった後のお皿を見て「きれいたべるな」と言われることがあります。
褒められるのは嬉しい事なのですが,「人は色々なところをよく見ているなぁ」と思うと少し萎縮することもあります。
もともと魚は好きなので食べられる部分は残さずに食べるようにしています。だから,骨に身が残らずに食べ後がきれいに見えるのだと思います。
これを見て良い育ちというようなことを言われることもありますが,取り立てて魚の食べ方について厳しくしつけられたわけでもなく,肝心の母親にも感心されることがあります。(母親はあまりきれいではないと言われていました・・・)
特に両親から強くしつけられたのは“食べ残し禁止”と“食べ物を粗末にしない”くらいでした。
そして,ときに両親は我々兄弟に試練を与えることもありました。
父親もたまに料理をすることがありましたが,この方が大変な挑戦者でエキセントリックな隠し味をふんだんに使う料理を得意としていました。しかも,これぞ男の料理と言わんばかりのすごい量が皿に盛られてきます。ちなみに父親は味見どころか自分の作った料理を食べることさえありませんでした。
それでも私はしつけを忠実に守り続けました。おかげで大抵のものは美味しく食べることができる食いしん坊に育ちました。
食べてもあまり太らないのも偏食がないせいかも知れません。
そのような家庭環境だったため,初めての飲食店アルバイトであったラーメン屋さんにてアルバイトの初日に残飯の量にビックリしたことがありました。もったいないなぁと・・・1992年のバブルがはじけて間もない頃だったと思います。
そういえば,水戸黄門で黄門様が積んであった米俵にうっかり腰掛けて農民に叱り飛ばされ平謝りするシーンがあったと思いましたが,それくらい「食」とそれを司る農民は為政者にとって重要だったのだと思います。まぁテレビの話ですが,江戸時代の身分階級でも侍の次に農民をおいていたくらいでしたから。武士は食べないと戦ができませんでしたしね。戦が無いときは高楊枝だったみたいですけど・・・
いままで関税などの価格支持政策による手厚い保護政策により農家は守られてきましたが,今や日本の農業は国際競争力において大きく水をあけられています。
しかし,はしごを外すような形で,安い外国の食料が日本に入ってくると更に日本の農業は衰退してしまいます。自国の食糧自給率が低下するということは,すなわち外国に食糧供給の多くを委ねることになります。つまり「食」を外国に握られてしまうことになり得ません。現在,他外国との間でいくつか摩擦が起きていますが,その国に限らずとも外国に「食」を握られる事ってすごく怖いことだと思っています。