たまに,ふと独り言が出てしまうことがあります。
一人でいるときであればよいのですが,公共の場など人のいるところで出てしまうと怪訝な表情をされることもあります。そりゃまぁ気持ちはわかります。ちなみに私の独り言は,何か思い出し時に「そうだ!!」とか「そうかぁ〜〜」と声をあげてしまうことが多いです。
愚痴も言いたいことはあります。ただ,聞くほうもあまりいい気分はしないと思うので愚痴はあまり人に話すことはありません。そして,はけ口を求めてこうしてインターネット上に掲載しているのですが,ストレートに自分の愚痴をぶちまけてもあまり面白くないので切り口は結構考えているつもりです。そして,考えているうちに色々な展開を思いつきそれが結構楽しくなってきて結局,元々言いたかった愚痴と無関係な話題になることも多いのですが,それはそれとして心はすっきりします。
そんなに書くのが楽しいのならノートに日記でも着けたらどうだ,ということになると実はあまり気が進みません。愚痴でも何でも誰かに見てもらい聞いてもらいたいという欲求があるのだと思います。しかも,不思議なことに返事はせいぜい相打ちぐらいで特に意見などほしいとは思わずむしろない方がいいという心理があります。「俺の話を聞け〜!」といったところです。
そして,誰も隣にいない私のすぐそばにある公共の場がインターネットなんです。私はSNS関係を現在一切やっていませんが,そのSNSを利用して人間関係の広がりを求めたり,私と同じ使い方の人もいたり人それぞれ色々な使い方がなされています。
そして,ふと最近思ったのは,「子供の頃今のようにインターネットがすぐ使える環境だったらいったいどんな風に利用しただろうか」ということです。まぁ男性であれば言わずもがなですが,その他に言葉を発する場合はきちんとできただろうかということを考えます。学生の頃はまだ大人に守られている立場というような感覚だったので今よりも言葉に責任を持っていなかったような気がします。というか,公共で発した言葉の重大性をわかっていませんでした。
ここ最近,会社の従業員のプライベートなつぶやきが,会社やその社員の人たちに損害や迷惑を与えるという事件がちらほらとあります。プライベートのすぐそばに誰もが閲覧できる公共の場があるという時点でこういう事件が起こることは想定に難くありません。というかもし自分が同じ環境だったら・・・とも思っています。
ただ,公共の場であるということを理解すれば,すくなくとも私にとってはむしろ,その制約があった方がまったく制約がないときよりも考える機会となり有意義であると思っています。普段,全然話題の無いワタクシですが意外とここでは饒舌になります。
また,見ていて心が和んだり,こちらまで楽しくなるようなブログもあり,独り言だけに利用するにはもったいないくらい色々な情報をインターネットで得られます。
だから,現代の子供には身近で公共というものを学習できるいい機会としてインターネットを利用できるのではないかと思います。しかし,その大大大前提となる基礎的な教育がなされていないと色々と困るのではないかと思います。