ここのところ,暖かい日が続いています。
昨日は,東京ではなんと27℃を記録したとか。
これからの季節は寒暖の差が激しいようなのでお体には十分お気をつけください。
そういえば法隆寺観音菩薩像に似ているといわれた件でふと(眼鏡ってあまり印象に残らないのかな)と疑問に思いました。
私は,眼鏡なしでは生活に支障をきたすほど視力が弱いです。ですから,外出時はいつも眼鏡をかけています。最近では,眼鏡をかける人が多くなりましたが,人の容姿においてひとつの特徴といえると思います。
ですので,眼鏡を常にかけている私ですが,私を見ている人にとっては眼鏡をかけていない状態をイメージできているのかもしれません。
そういえば以前にテレビで,直前に会った眼鏡をかけている人の眼鏡をかけてない状態をイメージした人相書きを子供に書かせるとちゃんと目の特徴を捉えているという実験を見たことがありました。どうも,対面した相手については眼鏡よりもその奥の目の方に意識が向くようです。
また,他人のアクセサリーなどは意識してみない限り,意外と印象に残らないような気がします。
もしかしたら,意外と一箇所の装飾というのは努力に見合うほどの印象を残せていないかもしれません。
初対面の人と会っている時にその人がどういう人物かを知るためには素顔とか性格とか実態を探るのが普通でしょうから,やはり眼鏡の奥の目の方が気になるでしょうし,社交辞令の奥に隠された本当の性格の方が気になるのではないかと思います。
もし,腕時計とか靴とかに興味を示されたら何か思惑があるのかもしれません。
日本で生活するうえでは,身体のほとんど部分が衣服などにより隠されてしまっていますし,心の部分についても言いたいことをストレートにいえる機会って限られていると思います。
だから,他人を判別する要素は結構限られてしまっているので,その人の認識できる特徴の中で似た特徴を持った人を基準にカテゴライズしてその人を印象付けるという感じで判別しているような気がします。たとえば,人を見るに当たり自分の経験をフレームとした眼鏡で見ているようなものでフレームの外は見えないような感じです。私に関して言えば。
他の人もそうだとしたら,よっぽど身近な人でない限り他人の細かい特徴は意識しない限り認識していないだろうし,したとしてもすぐ忘れてしまうような気がします。
だから,人になじみやすいキャラクターを作ったりとかファッションの先端を追うこと自体はいいことだと思うのですが,やることなすこと他人の目に委ね過ぎると次第にどうすればいいのか分からなくなってしまうのではないかと思います。こういうのって,小手先の細かい部分でしかできないと思うので。
人の目というのは,ディティールよりも全体的な雰囲気の方が印象強く残っているように感じますが,その全体的な雰囲気というのが自分には実に見えにくいということもあります。
周囲の人に「オレって,どんな感じ?」と聞くのも気が引ける(普通の人は言わないと思う)ので,たまに自分で“自分はこんなことをするキャラクターではない”ということをやってみて人の反応を窺ってみると意外と自分の全体像というのが分かってくるかもしれません。まず,勇気が必要ですけど・・・