ここのところ徐々に寒さが和らいできています。
あちこちで梅の花が開花しているのを見かけるようになりました。
紅梅と白梅が青空の下相俟ってなんともいえない和風な情緒を漂わせていました。
木曜日から暖かくなるとの予報なのでなんだか早々に春が訪れたような気分になっています。
しかし,ニュースを見ると北海道で前例を見ないような吹雪となったそうで亡くなられた方もおられるとのことです。なんとも痛ましいことです。
関東の中でも暖かい千葉県で私がのんきなことを言っているときにすさまじい寒さに見舞われている地方があるというのは,ニュースなど見ない限りなかなか想像し難いものではあります。
同じ日本国内でもそうですから外国での生活環境というのは,口頭や映像だけでは伝わりきらないものがあるでしょう。
それでも,テレビなどで放映された機会に自分のできる限りの想像で思い起こしてみると意外と生活の中の不自由さにも喜びを見つけ出してその場所の暮らしに落ち着いているのではないかと思うことがあります。
そういう場所を見ていつも印象的なのは,幼い子供達でさえ生活における自分の役割を与えられていてそれを当然のこととして行いながら暮らしているような風景です。彼らの屈託のない笑顔には,自らが家族に頼られてそれに忠実に応えているという自負も含まれているのではないかと思います。
逆に不自由のない環境での共同生活の中では,それぞれが誰かに頼ることなく生活できてしまう結果,それぞれが自らの存在意義というのを薄く感じてしまうのかもしれません。
存在意義を感じるということは大事なことのようで,これを感じられないがためにうつになったり自分探しの旅に出たりするようですが,誰からも頼られず自分ひとり生きていても感じられるまでに達観するのはなかなか難しそうですね。
そういう意味でも,ひとりでは生きていくことはむずかしいと思いました。
だから,気候など環境による困難がありながらも,人々が寄り添って耐えしのぎながらその場所で暮らす自由を,困難の無い場所においては不自由と呼んでいるような,そんな気がします。