かつて,小学校の道徳の教科書に書いてあったもので今でもよく覚えているお話があります。
それは,こんなあらすじでした。
『ある国の王女さまがお城でパーティーを催しました多くの貴族たちが列席している中,あるきっかけで招かれた一人の若者が招かれて参列していました。
そして,会食のとき,作法を知らない若者は,テーブルにあったフィンガーボールの水を飲んでしまいます。(ちなみに「フィンガーボール」 というのは、食事中に汚れた手を洗う水を入れたボール)
この若者の行為を貴族たちはひそひそと薄ら笑いしながら見ています。するとこの様子を見た王女さまは、何も言わずにフィンガーボールを飲み干してしまいました。』
というお話です。(たしか)
日本に住んでいると様々な国の料理を食べることができます。様々な料理を食べるのには(日本風にアレンジしてありつつも)様々な作法があるわけで,ちょっと,かしこまった会食などではやっぱり事前に作法は予習しておいた方が良いわけです。つまり,そのあたりも含めて「マナー」と言うことなんでしょう。
しかし,ある程度予習してきたとしても初めての場所です。緊張するでしょうし,想定外も有るでしょう。で,この若者の想定外はフィンガーボールだったのでしょう。
ただ,場面の空気を想定してみると,貴族達は列席の時点で見慣れない若者を(場違いな奴がいる)と目を付けていたような気がします。だから,会食の間さりげなくも若者に注目が集まっていたのでしょう。そして,ぎこちない若者の作法に対して蔑みの感情が有ったかも知れません。
そんなおりに若者は決定的な作法の間違いをしてしまったのでした。それを見ていた貴族達にとっては期待通りの出来事で(ほら!やっぱりやったよ!)という感じだったかも知れません。
食事のマナーというのは各家庭で様々でしょう。でも,高級な料理ではキッチリと統一されているのではないかと思います。人前で食事をするのであれば,見ている人達が不快にならない様に食事をしなければなりません。そのように不快にならない様な作法を統一したのがマナーではないかと思います。
そうであるならば,マナーを一生懸命勉強したけれど勉強不足で及ばなかった若者に対する嘲笑は,若者に対して不快な思いをさせる行為であってマナーの趣旨に反するのではないかと思うのです。
しかし,もしその場所に貴族として居合わせたとしたら若者に救いの手を差し伸べることができますか?
知識や経験など統一されたものを覚え込むことは仕事や生活の中で求められることであり大事なことですが,一方でそれが身についてない人への排他的意識が副作用として現れることがあります。これらは表裏一体ではなく心がけひとつで副作用を抑えることができるものだと私は思っています。
それでも,その時点で若者のフォローにまわったのは王女様だけでした。
物語としてみると一見してその他の貴族達が意地悪に見えますが,実際に貴族として居合わせていたら多くの人が他の貴族と同じように振る舞うのではないかなぁ・・・と思いますし,すこし抵抗があったとしても自らを正当化する言葉くらいは用意する人が多いのではないでしょうか。
だから,誰が悪いと言うよりは,その場に居合わせていながら物語の様な客観的な視点に切り替えると言うことが如何に難しいかと言うことで,逆にそれができるからこそ,位が高いであろう王女様自らがせっかくパーティーに来てくれた若者に不快な思いをさせず,かつ貴族達にいい雰囲気ではないことを気付かせるための方法をとっさに思いついたのではないかと思います。
王女様だけに周りに示し合わせる必要が薄い分心に余裕はあると思いますが,何よりも嘲笑の的となっている行為をしても,良心に従っている限り自らを貶めることはないとする気位の高さが子供時分に素敵だなぁと思いよく覚えている物語です。
そして,席を外した後でこっそりとフィンガーボールの扱いについて教えてあげると次回また招待しても同じ失敗をしませんね。
ところで,王女様を女王様と読み替えるだけで,なんでこんなに違う感じがするのでしょうか。