人によっては見える人がいると聞きます。
私は,見たことないでです。
というか,本当に勘弁して欲しいです。
子供の頃は本当にダメでした。というか今もダメです。
昔話などでもかなりビビッていましたねぇ。
お盆に父親方の実家に帰省したとき布団のなかで父親が楽しそうに幽霊話を聞かせてくれました。
怖いもの見たさで耳を傾けるのですが,後遺症となり眠れなくなったりしていました。
なお,大人になってからは,実際にいるかいないかは置いておいて,人から持ちかけられた話は信じないことにしています。
非科学的なものは色々とお金儲けに利用されやすいですからね。
やっぱり,普段は「そんなものにだまされるわけない」と思っていてもずっと同じ精神状態でいられるとは限りません。心が弱る時だってあります。
そんなときでも,おいしい儲け話とか,非科学的な話とか,未来の予知だとか,誰かから持ちかけられてくるようなことがあっても断じて信じないと心に決めておけば,この手の話では足元をすくわれることはないと思います。
そもそも,自分達だけ助かろうとする発想がそもそも我欲満々といわざるを得ないし,先祖のたたりとか言われて信じるべきではありません。我々のご先祖はそんなたちの悪い人達ではありません。死んでしまった後に子孫を見守ることはあっても,祟ることなんて普通しないでしょう。
本当にいたとしても赤の他人に指摘される筋合いはありません。私の前に今まで出てきてくれてないのは,きっとそれが本望だからでしょうから。
自らの記憶にとどめている大切な人達に逢いたい気持ちを擬似的にでもかなえるというのは,心の置き所を作る上でも良いことかもしれませんが,そういう人たちを弄繰り回して不幸を予言したりするのはちょっと悪質で許しがいたいと思っています。
世の中にはそういう商売がありますので皆様お気をつけください。
ところで私の母は,父親(私の祖父にあたる)が亡くなった後にもに逢ったことがあると話していました。
そして,そういうことがあると信じているそうです。
昔からそういうことは語られていますし,別の国でも若干の違があれどそういう話はあるようです。
それは,どこかで見守っていて欲しいと願う私達の気持ちが生み出していると考えることもできますが,実際のところは分かりません。
でも,お別れをした後も旅立つ前に,お互いの気持ちが落ち着くときまで大切な人のそばにいたいと思うの心はあるのではないでしょうか。