我々の仕事において大事な大事な業務として相談があります。
相談は,まず依頼を受けて業務を遂行するにあたりまず初めに行うコンタクトです。
ここで聞き違いや聞き漏らしがあったりすると業務の方針に大きく影響してしまうこともあるため,細心の注意を払ってヒアリングをします。
ここで,身近な人へ悩みを話すような相談との違いは,相談を受けている方が相談者さんに方針を示して,かつ,相談を受けている方が解決に向けて実労することにより結果として双方ともに利益となるところにあると思います。ですから,相談者さんへ多少なりとも事実関係について詳細を深く伺うことも必要となります。
身近な人への相談の場合は,とりあえず話を聞くというところから始まると思います。相談をする方としては「『自分』はどう行動を起こすべきか(若しくは行動しなくても大丈夫か)」という答えを探していることもあります。でも,悩みがある程度まで煮詰まっているのであれば,その筋の専門家に相談すると思いますし,身近な人に相談している段階ではまだ自分がどういう結果を望んでいるのかすら分かっていないこともあろうかと思います。
だから,身近な人から持ちかけられた相談というのは,まず相談者が悩んでいる原因を具現化しつつどういう解決を望んでいるのかをはっきりと浮かび上がらせることが,必要・・・というか真剣に悩んでいる相談者が潜在的に望んでいることだと思っています。
しかし,業務においてこの方法で相談を受けることは場合によります。理由は,方向性やリスク,コストなどを説明すれば,ひとまず安心される方が多いですし,なによりとんでもない時間を相談に費やしてしまうこともあるため相談者さんの貴重なお時間を割いてしまうことになるからです。
このような,自らの相談スタイル(尊大な気もしますが・・・)についてですが,「身近な人への相談にそこまでしなくても」と考える方も多いかと思います。そもそも,友人にする相談なんて愚痴から始まることが多いと思うので“とりあえず黙って肯きながら聞いて欲しい”という意見の方が多いかもしれません。
そういった話し手にとっては,事実を根掘り葉掘り聞かれることが逆に迷惑と感じるかも知れません。
そうすると,愚痴の延長のような相談においては,話す方と聞く方が一方的になりそうです。
では,誰か身近でどんなことでも話せる人を思い浮かべて,その人に対して話したいことと聞きたいこと(実際に聞ける範疇で)どっちが多いか考えてみましょう。私の場合は、圧倒的に話したいことが多いです。一般的かどうかは分かりませんが,同じ方覆いのではないでしょうか。
では,話すことと聞くことどちらが大変?
これについて,業務上において研修などで長時間にわたり講師の方のお話を聞くこともありますし,自らが講師となったこともありますが,どちらにも疲労感があります。ただ,前者はどんよりと重い疲労感であるのに対し(講師の先生すみません),後者はやり終えた充実感のようなスカッと爽やかなコカコーラのような爽快な疲労感を感じました。報酬もいただけますし。
で,ケースは別にしても,私が思うに自由に好きなことを話している方とそれを一方的に聞かされる方では,聞き手の方が負担が重いと感じます。
それでも聞き手としては,話し手に頼られている感覚が悪い気分でなければ黙って聞き続けることもできるかもしれません。では,頼られてうれしいとはどういう心境なのかというと異性間であれば,男性は自尊心,女性であれば母性をくすぐられるなどと聞いたことがあります。実際には解りませんけど。
でも,これって同性の仲のいい友人間や親兄弟を頼った場合と比べて性質がかなり違う感じがします。
というか,密接な関係にある相手ならば,私だったら黙って聞いていることはありません。ただの愚痴のように聞こえて実は真剣に悩んでいるのであれば(それは何とかしなければ)と思うので心境を探りますし,それがただの愚痴であまり長く続くようであれば違う考え方を示唆して諭すかも知れません。
また,父親が子供から相談をされて自尊心を保つというのもおかしな話ですし,母親はそもそも母性をもって子供に接しているでしょう。
まぁ,聞き手が話し手に対して求めているか,それとも与えようとしているかの違いだと思います。
きついことでも何かしら言ってくる相手の方が,少なくとも感情移入はしているはずです。
異性に対してちょっとした愚痴を言っただけのつもりが,重大な相談を持ちかけられていると相手に捉えられてしまい予期せぬトラブルになる事もあるかもしれません。
愚痴を話す方も聞く方もすこし慎重にした方がよいかもしれません。