鉛筆だけを使って写真と見分けがつかないほど精密な肖像画を描く画家が話題になっているようです。
その肖像画は,間近で見ても写真と見分けが付かないほど精密なのが特徴です。
しかも、描くのに用いるのは鉛筆だけだそうで,1枚およそ1万ポンド(日本円でおよそ150万円)の値段が付いており,ロンドンの博物館で1日から作品展が開かれるなど注目を集めています。
このニュースを某インターネット掲示板のニュースで知りました。世の中にはすごい人がいると感心しましたが,一方で「それなら写真でもいいのでは」という書き込みもありました。
絵を見ると確かに写真と見分けがつかないくらい精巧なのですが,それはインターネットを通してみているからだと思います。実際の肖像画を見るためには現物のある場所へ行かなくてはなりません。その人しか描けない絵であれば絵自体はその人が描く限りで存在します。どんな物にもいえると思います。ただ,欲しがる人がいるかどうかで希少性が出てきます。
人が欲しがるような絵であれば,手のかかり方が違うと思いますし時間と手間が掛かっているはずです。その時間と手間も希少性を高める要因となるはずです。希少なものには高値がつきやすいので所持していれば箔がつきます。
そうなると,次第にレプリカが量産されたりして,その絵の実写だけは大量に世に知れ渡り本物はますます価値が上がっていきます。
そこで,レプリカを購入して「部屋に飾るならこれで十分」と毎日眺めて楽しめればそれでその人にとっては十分なものとなります。それはそれでいいと思うのですが,そのレプリカ自体には現物に掛けられたアイデアだとか手間ひまだとかいうものが乗っていません。量産のノウハウ自体にはお金も人員も使われていると思いますが,量産化された数だけ希釈されているような感覚にどうしてもなってしまいます。
でも,一般の人が例えレプリカでもすばらしい絵画を自宅に飾ることができるということは芸術の振興においてもいいことだと思います。
でも,レプリカと現物は同じものではありません。
やはり,描かれた世界とともに作家の技巧や過程や葛藤や迷い等を感じるのも楽しみのひとつだと思うのです。本物と思い込めばOK!といえば確かにそうかもしれませんが,やっぱり本物はその人が描いたものだけです。
本来,何かを作り上げる上で過程というのは非常に大事なものであるはずです。しかし,流通や通信の発達でとても手軽に完成品が届くようになりました。とても便利になりましたが,あまりのスピード化になんとなく出来上がるまでの過程を見失っているかもしれないと自分自身において感じました。
絵画の例は,過程の話としてはちょっと分かりにくいかもしれませんが,美術に関するテレビ番組を見ていると描いた人の人となりを知って見た事のある絵もまた違って見えてくることがあります。
音楽は,いまや好きな曲だけをダウンロードすることができるようになりました。おかげでCDが売れなくなったとして問題となっていますが,楽曲の製作過程などをもっとリスナーにアピールすればまたアーティストへの興味が違ってくるのではないかと思いました。昨今のリスナーは出来上がった音だけを耳にして評価していると思うので技術的な面が立体的には分かりづらいと思います。
たとえば,マグロの解体ショーや蕎麦打ち実演などでお客を集めるお店もありますし,製作過程というのは結構みんな興味があることだと思います。
ちなみに我々の業界は守秘義務があるため実演はできませんが・・・