昨日,このあたりは明朝から大変な雪となりました。
車は使わずにモノレールで移動したのですが,高架線から見下ろす千葉の街は見渡す限りの雪景色でした。
更に上空から湿り気を帯びた綿のように降りつける白い雪は空の色とあいまってなんとなくセピアに見えました。
雪の色といえば,子供の頃からスキーをやって(やらされて?)まして,腕にはちょっとした自信がありました。
小中学校の頃は,友達などに披露する機会がなかったものの高校を卒業した位から仲間と連れ立っていくようになり,ちょっとしたヒーロー気取りでした。おそらく,鼻持ちならないやつと思われていたと思います。ほんとうにすいませんです。はい。
もっとも,向上心は全然なく子供の頃の貯金をひけらかしていた様なもので,スクールに通ったり昇級試験を受けたりすることはありませんでした。
ほどなく,流行にあわせてスノボーにも手を出しましたが,覚えは早かったもののそれまでの貯金が通用しないのが面白くなかったため,普通の男の子に戻りたいという言葉を残してスノボーも引退しました。(というか,金がなくなりました。)
その後,ずっとウィンタースポーツから遠ざかっていたのですが,近年になってやる機会がありまして古〜いスキー(自分の身長より15センチくらい長い)を持ち出して参戦したのですが,自転車に乗るがごとく意外と体が覚えていました。
で,話を戻して関東の雪を見る度に『ハ〜ア〜エ〜イヤ〜盆だてがんに 茄子の皮の〜雑炊だ〜』と新潟発のグルーヴが身体を支配し始めて頭の中で大勢のハツカネズミが盆踊りをしだすのです。
というわけで,はしゃいでしまう言い訳です。ブログを書くのも忘れるほどに・・・
地球上の大気が循環していれば,もしかしたら子供の頃に見た雪や二十歳前に見た雪が今見る雪と同じものかもしれません。
でも,やっぱりその当時は違って見えるのは,地球環境の原因もあるかもしれないけど自分が変わってしまっているのだと思います。
自分の場合だと,この仕事についてからというものの路上で生活する人達への意識が強くなり,子供の頃みたいに手放しに雪を見て喜べなくなってしまいました。(ほんとうです。)
別にみんなもそう思わなければいけないと言いたいのではなく,人それぞれ時間の経過により物の見方が変わっていくということです。
木々は四季折々姿を変えますが,四季のサイクルでまた同じ姿に戻ってくれます。
そして,それを見る我々は去年も今年も来年もまた違った情緒を抱きながら移りゆく季節を感じるのではないかと。想う人がいたり,仕事がうまくいっていたり,悲しい出来事があったりする度に・・・
まぁそんなわけで雪も程ほどにして欲しいと想った次第であります。