子供の頃,勉強が嫌いでして・・・
考えることが嫌だというよりあちこちに興味が移りじっとしていられないという感じでした。(今もそうか?)
ただ,読書とか映画は好きでしてハマると時間を忘れるほどでした。
いつからか,勉強が苦手というのは先入観となり「学校の勉強なんて社会に出てから役に立たない」などと生意気なことを言うようになっていました。
現在では仕事上さすがにそういう訳には行かないのでがんばっています。
ただ,好奇心をもって望むと学識というものに興味を持つことができるようになりました。
たとえば,今最優先で必要としている知識は仕事に必要な知識ですが実用するので覚え易くはあります。
それに付随して,論理的な知識については時間があれば触れる程度ですが,実はこっちの方が私は好きです。ただ,読んで考えるのに時間を要するので必要とする機会が無い限りなかなか踏み込むことができていません。本来ならこっちが第一順位だと思っていますけど・・・
あと,適当に思いついたメロディーをハーモナイズするのが好きでハーモニックセオリーは学んだというか弄りました。これは,すぐに音に出すことで感覚に訴えてくる知識なので面白いのですが,頭で覚える知識と耳から伝わる感覚を一致させるのに時間が必要です。
これと比べて実用できない知識はなかなか頭に入りません。理数系が実に苦手でして考え方の理解はいいのですが,実際に使わないのですぐに抜け落ちてしまいます。
では,せっかく一生懸命勉強して覚えた知識や経験はほとんど無駄となってしまうのか
う〜〜ん・・・
このあたりのことについて,ビートたけし氏がテレビ番組で「哲学や論理的思考を養って人生を楽しむ応用が利くように、あえて国語や数学って形でパッケージして教えてるんだよ。 」と言っていたようです。
何通りもある様々な考え方を分野に分けて学んでいるということなのか・・・
確かに楽しいことをあれこれと考えているときは,頭を働かせていることが多い感じがします。
旅行の行程などを考えるときなど与えられた時間で色々な場所を回るために時間の計算をしたり順序立ててスケジュールを作るのは数学的な思考で段取りをしている感じがします。
かつて努力した(?)成果は知らず知らずのうちに発揮されているのかもしれません。
それだと,テストの点数を取るための要領を養こと自体が(周囲の評価意外に)役に立たないわけでもないと思いますが,科目をパッケージ化した趣旨に合わなくなってしまいますね。
かつて,私は授業を無視して分数の割り算の方法について何で分子と分母をひっくり返すのか一人で考えていたことがあります。この話は,スタジオジブリ制作の、「おもひでぽろぽろ」という映画の会話の中でもあったと思います。たしか,「分数の割り算をすんなりできる人はその後の人生もうまくいく」という話です。
まさにその話の対照的な見本のようになってしまいましたが,ビートたけしさんの話にちょっと元気付けられます。
まぁ楽しければいいっすよね。あっはっは