何度も同じ失敗を繰り返す
頭では分かっているけれどどうしてもやめられない
もう既に周りの人から諦められている
そんな時,人は変われるでしょうか。
人の成長を環境に見出すことはよくありますが,どうしてもうまくいかないときというのはどこか周囲の反応に呼応してしまっている感じがします。
周りの人に「どうせあいつは・・・」と実際に言われているかどうかはともかくとして(自分はそういわれる立場であろう)という認識が人を萎縮させることはあると思います。
大きな責任を負わされることがなくなると自分の面子に傷がつく機会が少なくなりプライドは自分の中で大切に守られ肥大していきます。
そして肥大したプライドは,自分独自の偏った採点により強引に自己評価を高めていき相対的に他人の評価を落としていきます。
そうなると,自分の認識と周囲の評価が大きく乖離してしまうためもう誰も寄り付かなくなります。
だから,なるべく受動的でなるべく興奮の得られる自分の居場所を探します。
しかし,現実から逃避しやすい場所というのは,足元を見られることが多くあります。
だって,誰でもうまくやっていきたいんです。生き馬の目を抜くというのは一見快楽に満ち溢れたような場所にあると思います。
そして快楽におぼれきってもう逃げようにも逃げられないほど追い詰められたとき人は変わることができるでしょうか。
人に助けを求めようとも知っている人ほど距離を置きたがるでしょう。
そして,本当にどこにも味方がいなくなったと気がついた時,人は深い自己嫌悪に陥ると思います。
肥大しきったプライドを捨てて心を改め直すタイミングはこの時が最後ではないかと思います。同じような仲間がいたらおそらく安心してしまうのではないかと。
ただ,世間から見捨てられているという意識が自分にある以上,一人で自分を変える事は難しいかもしれません。
もう,信じてくれる人など誰一人いないと感じたとき何故か人はすべてを正直に語りだします。自分が絶対に認めたくないと思っていたことまでも人に語れるのはこのときだと思います。そして,その時,人が変わる最後のチャンスだと思います。
だから,そのときに正面から向き合う人がひとりでもいれば人は変わるために悩み続けることができるのではないでしょうか。
依頼者さんからお届け物をいただきました。
どうもありがとうございました。
ぃやっほーい!!