一人でいる時間が結構好きです。
ただ,それは人に触れ合ったりする機会もあることが前提です。
もし,誰からも見向きもされなくなったら私は必死で人の気を引こうとするでしょう。
たとえば,何かを欲しがっている人に対しては欲しがっている物を与える,若しくはそれを手に入れることができるようなことを言えば,その人は私に近づいてくるかもしれません。
めいいっぱい自分を大きく見せて人の欲にストレートに投げ込めば誰かしらは近づいてくるのではないでしょうか。
そして,寂しさを紛らわしたい私と欲を満たすために近づいてきた人とでギブアンドテイクは成立するのでしょうか。
私に近づいてきた欲を満たしたい人は私には興味がありません。私も実は代わりに寂しさを紛らわしてくれる人がいればその人でもいいと思うでしょう。
この関係を今現在で一番身近で信頼できる人との関係と比較してみます。
お互いで精神的な満足を求め合っている部分では似ているとも思えます。決定的な違いは代わりがいるかどうかじゃないかと思います。前者であれば,自分の欲という内面的な部分の満足であることに対して,後者は相手への理解による信頼であり外的な要素が多い感じがします。あと,信頼という部分で相互に持ち合わせている事が共通しているというところもあります。
孤独になるのは怖いのですが,ひとつだけでも利害を超える強い信頼があればなんとなく自信を失わずにいられる様な気がします。そのためには自分から相手に与えることも大事です。
もし,そういう強い信頼関係が存在しなかったとしたらめいいっぱい見栄を張り,時には殊更に自分の弱さを見せることでしょう。そして,周囲から人が離れていかないようこまめに連絡を取り合いながらも特定の人に感情を寄せることは無いと思います。
配慮と目的というものは実に相対的なものだと思っています。
徹底して配慮せずに目的達成に集中すれば,他の人と比較していい成果が出せるのではないかと思います。日本人は大抵周囲への配慮という感覚を持ち合わせていますので。
ただ,そういう方法により成果を出した人を持ち上げるとどうなるか。
次は,その立場を人に侵されないように他の有力者を排除したりシステムを変更したりして徹底して保身を図ることでしょう。だって,配慮しない人なんだもの。