大人になってから一年間が短く感じる理由は,子供の頃と比べて生きてきた時間と1年間の割合が変わっているからだとベンジーが教えてくれました。
2歳の子供にとって過ぎた1年間は生きた時間の2分の1であるのに対して,38歳にとっての過ぎた1年間は38分の1であるわけです。
なるほどなぁ・・・と。それでも,ゴールデンウィーク前や年の暮れあたりは一日一日が異様に長く感じます。
対して休みの期間や楽しいときの一日の短さは異様です。時計が狂ったかと思うほどです。
あと二日酔いの時とか,仕事が上手くいっているときとか時間の感じ方は,自分の感情とか体調とか大分変わるような気がします。
冒頭の話も2歳の子供にとっては見るもの聴くものすべて初めてで新鮮なものであることに対して,38歳にとっては既に知識があったり新しい情報にも予測がついたりするということでしょうか。
では,ミニトマト一つをそれぞれ二人に見せた場合どんな感想を持つのか。
「赤い実に青いへたがついていて触れると若干張りがあってでも強く持つと潰れて中から汁が・・・」という感想を持つか,単に「これはミニトマトだ」との感想を持つかでミニトマト一つを見る時間が違ってきます。
以前にミニトマトを見たことがあり,また知識があればミニトマトと認識できますが,実際には初めてお目見えする個体であるはずです。ミニトマトと呼ばれる物にも傷があるものや色づきが良いもの悪いものもある訳で一概に同じものといえないはずです。だから,単に「これはミニトマトだ」との感想を持つということは,初めて会う人を「これは人間だ」と思うようなものです。
もっともそうやって認識を簡略して共有化することで情報の流通をスムーズにできますし,そうしなければいけない理由もあると思いますが,個体一つに関心を失う理由にはならないはずです。
小さな事に気づいて感じ入り発見して楽しめれば時間の流れは変えられずとも老化は防げる(?)
先日亡くなった故スティーブジョブズ氏が『毎日,今日が人生最後の日かもしれない,と考えるとすれば,いつか,必ずその考えが正しい日が来る』という言葉を残したそうです。
私は,この言葉を“毎日密度の濃ゆ〜い一日を送ることを心がけよ”ということと理解しています。
『毎日,今日が人生最後の日かもしれない』という考えは真理だと思います。当然,一生の長さなんて不確かな物ですから。
ただ,なんかせっつかれているよう感じでちょっと居心地が悪いので自分流に“2歳児の気持ち”でと言い換えることとします。