たまに「世論が政治を動かす」と言ったりします。
世論と言うと世間一般で大多数の賛同がある意見のことだと思いますが,議会制民主主義(間接民主主義)である場合には,誰かが世論を調査してそれに多くの議員が乗っかって・・・という大まかなプロセスがあるはずです。
で,巷で世論と言われていることが実際に大多数賛同のある意見であるかどうかということは調査の信頼性に係るところでつまるところ調査機関の信頼性とか独立性を検証しなければなりません。
そして,調査機関がどのように世論を調査するのか解りませんが,例えばアンケートなどで取った場合,世代,地域などの偏りや数や期間なども影響すると思います。
しかし,アンケートを取られる方はどの情報を信じて自身の意見を表明するかは様々だと思います。
そして,現在では多様な情報ソースを入手できるため見解が分かれることは多く大多数意見とはなりにくいと思います。
ところで,情報の発信が限られていた江戸時代において世論が政治を動かしたというのが忠臣蔵の話ではないかと思います。私も今まであまり意識したことがありませんでしたが,つい最近のテレビで吉良側の立場を写した場面を見て(吉良さん,ちょっと気の毒だなぁ・・・)と思うことがありました。
しかし,「赤穂浪士=善,吉良=悪」というイメージを多くの人が違和感なく語り継いできました。この頃の世論は圧倒的に街のうわさ話だったと思いますが,要は,街のうわさ話としては,夜中の大立ち回りが画として面白ければ話が盛り上がってよかったのかも知れません。幕府がどこまで世論に流されたか解りませんが,結果,赤穂浪士の処分は軽くなったようです。切腹ですけど。
現在でも,他人のうわさ話や悪口はよく盛り上がるようですが,人づてに広まっていくにつれて尾ひれが付いてきたりと全く根拠を欠くことも多いと思います。といか噂話をしているときは真実追求など全く興味がないのではないかと・・・
そして,悪事千里を走るというように悪い話は伝わりやすい,要するにみんな好きです。そして,面白おかしく尾ひれが付けばそれが世論と言われるようになる・・・
それで政治が動いてしまうのなら真実の追求などなんの意味があるのか,と思ってしまいます。
しかし,例えば自分が冤罪事件の当事者となった場合をイメージしてみると,誰もが真実の追求に興味を失ってしまう事態は恐ろしい事だと感じます。