佐倉簡裁からの帰り道で轢かれた猫が路上に横たわっていました。
行きの時は見あたらなかったのでその間1時間足らずのうちに轢かれたのだと思います。
その道はカーブが多く,また非常に歩道が狭いため,車で通過するときに歩行者が歩道を歩いているとドキッとすることがあります。きっと歩く方はもっと怖いでしょう。
全国での自動車による死亡事故は毎年後を絶ちません。
なぜ,殺傷能力のある危ない物体をバンバン売りまくり,そして乗り回しているのか。そもそも,高速道路の法廷最高速度100㎞を遙かに超えた速度計が付いているのか。それに排気ガスなど環境にも問題があります。
とは言うものの私もドライバーです。車が乗れなくなったら困ります。
かつて,1年間ほど自転車で仕事していましたが,はっきり言ってきつかったです。そして,今の仕事量を自転車のみでこなすのは物理的に難しいです。
私と同じように自動車がないと生活や仕事に支障を来す方は大変多くおられると思います。
完全に車社会となった日本から車を無くすということは現実として難しい。つまり車は社会生活において(もちろん人によりけりですが社会全体として)必要性があるということです。
そこでふと「必要悪」という言葉を思い出しました。
私の知っている限りで「必要悪」とよくいわれているものにパチンコ産業や風俗産業などがあります。
これらは,実際に「必要悪」なのか。そもそも「必要悪」って何なのか。
それを検証するにはまず「悪」という概念が気になるところです。
これに関しては,そもそも玉虫色のようです。ひとつの出来事を考えるにしても考える人の立場によって異なると思います。
そう考えると「必要悪」って不思議な言葉ですね。「悪」の概念が人それぞれであればその行為の正当性(悪ではないこと)を主張すればよいわけです。
にもかかわらず,いったん「悪」とみなしておいて存在の必要性を付ける理由は何でしょうか。
存在といえば,人為的に存在するもの以外の事象,いわゆる自然において「必要悪」という言葉は当てはまるのでしょうか。例えば,自然災害とか生態系とか・・・
これにはそもそも「悪」という概念が当てはまりません。
つまり,人為的に存在するものについての当てはまる言葉であるはずです。
そうすると,いったい誰が「必要悪」と言い出したのでしょうか・・・
私には,「悪」という概念について法律など明文に掲げられた法規に反する行為からさらに広げて考えることができません。人のこと言う資格ありませんし・・・
ただ,思うことは「必要悪」というからには誰かしらに何らかの圧迫があるわけで,善悪と必要性だけ考えるのでなく,配慮すべきことがあるのではないかと思うのです。
そして,轢かれた猫のご冥福をお祈りいたします。