
私が,初めて嫉妬心を抱いたのは二人の弟だったと記憶しています。
勉強,スポーツ共に万能で周囲のバランス感覚に長けていた次男とやんちゃでわがままだけど誰からも好かれる三男に親からの愛情をすべて奪われるような気持ちになったこともあります。
それが原因でしばしば喧嘩も起きました。
しかし,嫉妬心が原因と気がついたのは,割と近年のことです。
当時は,これを嫉妬と認識しておらず,弟たちに原因があると思い込んでいました。
このように自分自身の感情や衝動が受け入れられないとき,これを抑圧して無意識下におき,意識的には他人のものと捉えることを心理学で「投影」と言うそうです。
これによって自分の嫉妬心に気付くことなく,また,プライドを守るために自分の嫉妬心を認めずに済むことになります。
自らの嫉妬を認めるということは嫉妬の相手に負けたことを認めることになるためこのような心理的回避を行うのだと思います。
女性の嫉妬も大変そうな感じがしますが,私の知っている限り男性の嫉妬は熾烈なものが多いです。
毎年「抱かれたい男ランキング」(こういうのもどうかと思いますが・・・)の上位に登場する某アイドルグループメンバーのかつての同級生から,その方が学生時代とても大変そうだったという話を聞いたことがあります。
また,知人に聞いた話ですが,自分には無い何らかの優れた才能があるとわかったら二度とそれができなくなるように 根回しまでして徹底的につぶしにかかってくる人がいるそうです。
しかし,根回しをするためにはその正当性が必要です。そこで,それぞれの心理に「投影」が生じるのだと思います。
女性よりプライドにこだわる分,「投影」が働きやすい男性の嫉妬の方が,愛憎もののドラマで描写される女性より熾烈な印象を受けます。
このように嫉妬により足を引っ張られて才能を存分に発揮できないこともあるかと思います。
この嫉妬について,落語家の立川談春師匠の著作「赤めだか」という本にて立川談志師匠の言葉があります。
本の引用になってしまうので詳しく書けませんが,人の足を引っ張る行為は自分のレベルまで下げてしまうとのことです。そして,それに同調してくれる人が多くいれば,現実を受入れるよりその方が楽ということです。
人を呪わば穴二つとは言いますが,やはり人を貶めることはすなわち自分を貶めることにもなりこれはよくありません。
人を貶める行為は道徳的な観点で問題であります。それに「投影」という心理を働かせて正当性という建前をつけて自らの嫉妬から目をそらすことは,いわばブレーキを外してしまうようなことでとても危ういことです。
マスコミが煽る公務員叩きなども,この心理が反映しているような気がします。
現状を打破する強いリーダーを求める!とか言っている割には,突出している人を片っ端からバッシングして引っ込めようとする風潮は明らかに矛盾していると思います。
本気で現状打破を願っているのであれば,嫉妬という心理により突出するものをバッシングする風潮は是正する必要があると考えます。
そしてなにより,人の批判をする前にその理由を,相手に対する自分の気持ちの部分まで掘り下げてみることが大事かもしれません。
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