金曜日,私が成年後見人となっている被後見人(後見人に保護される方のこと)に面会に行く途中,車のキーのアクセサリーが鎖から取れて無くなっていることに気づき思い当たるところに片っ端から電話してみたところ車の点検をしていたディーラーにて発見しました。ちょうど先日,写真で撮ったばかりだったのでがっかりですが見つかってよかった。
今朝は,いつも始める掃き掃除の合間にラジオを掛けて1分間の黙祷をしました。
自在箒を持ちながら目を閉じて独り立ちつくす姿を人が見たらどう思うか・・・とは考えずに67年前の8時15分以前の人々の日常を思い浮かべました。
当時,私は生まれていませんでしたので実写のようなイメージはできません。
以前に読んだ「夕凪の街 桜の国」という漫画で描かれた情景が思い浮かびました。
目を開けるといつもと同じ日常が待っていました。
「いつもと同じ日常」これに倦むことも多々ありますが,当然にくると思っていたその時間が奪われた人々がたくさんいらっしゃったと思います。
そういえば,原爆が投下された当時のアメリカのトルーマン大統領の孫に当たる男性が、原爆を投下したB29爆撃機の乗組員の孫の男性とともに,広島市の平和記念式典に参列し,原爆の犠牲者に祈りをささげたそうです。
人によっては快く思っていない方もおられると思います。しかし,関心の有無は人と人の距離を保つ関係で大きいな影響を生むと思います。現在,兵器は人に触れずとも命を奪えるように進化しています。それは,命への関心を遠ざけているように思えます。そもそも,戦争は命への関心から起こるのではなく,利益等のために命への関心を捨てることから始まるのではないかと思います。
人はもともと優しくあるものだと思いますが,大切なことへの関心を捨てたときに変わってしまうのではないかと思っています。
自然に触れたり,音楽に触れたり,人の心に触れたり・・・
私は,そうすることで自らの感性を養って見えざるものに目線をあわせて聞こえざる声を聞き大切なことへの関心を失わぬようにしています。