「心理的、感情的、精神的などの内面的なものを、外面的、感性的形象として客観化すること。また、その客観的形象としての、表情・身振り・言語・記号・造形物など。 」ということらしいです。
心理的、感情的、精神的などの内面的なものは他人が認識することできません。
ですので,それを認識できるようにするには,何らかの方法で人間が感じることができる様にするための作業が必要です。
簡単に表現する方法として言葉や表情,身振り手振りなどがあれば,より具体的に表現する方法として長く緻密な作業をすることもあると思います。
美しい情景を思い浮かべたらそれを描いたり,メロディが思い浮かんだらそれを奏でたり・・・
その作業を行っている時点では,特定の人に対して見せたり聞かせたりすることを予定していなくても,“もし,他人が見たり聞いたりしたら”ということは想定して作り上げているはずです。
そして,かつて理想であったり想像であった内面的なものが他人に見聞きできるようになります。それを人前で表現することは人にとっての喜びだと思います。
一方で,表現には常に評価(されているという思い込みも含めて)という問題がついてまわると思います。
評価されることについて自信がある人や,気にしない人(高橋岳のこと)であれば躊躇がないのでしょうが,そうでなければ人前で表現をすることをためらってしまうこともあるかと思います。
これについては仕方ない部分もありますが,人前で表現する楽しさを味わえないのはもったいない気がします。
私の業務では,あまりこのような場面がありません(千葉文化会館で寸劇やったことありますがあれは業務の範囲外です。)ので,人前で表現をする機会に恵まれることは本当に幸せなことだと思います。
そして,そういう場を提供する為に労力に費やし,また多くの方に参加してもらうための配慮欠かさない,そんな大変な仕事をされている方々に心から感謝します。