善人ぶる
ちょっと前に「やらない善よりやる偽善」などという言葉が流行っていました。
意味については解説がないと分かりませんが,この言葉を言った人の心理としてひとつ分かることといえば,善人と見られることへの執着です。
言い始めた人の真意は分かりませんが,「やらない善」を“思うところはあるけれど行動しない”という風に捉えてそれを「善」(とりあえず道徳的な価値と考えます。)と呼んでいます。
これについては,ありえると思います。
例えば,指導者的な立場の人が,指導される側の足りない部分に気がついてもあえて補わないことなど,一見して行動した方が良さそうな場合でも,他の利益との重要性を鑑みて行動しないときなどが当てはまると思います。
ですが,問題はこの後です。
「やる偽善」を前述の例に倣うと,指導者的な立場の人が足りない部分だけ補ってすべて自分の手柄にしてしまう感じになると思います。
そして,「やらない善よりやる偽善」は,前者より後者のほうを評価するとの事のように聞こえます。
つまり,“慎重に周囲への配慮や他人の利益などを考えた末に動かないことを善とした人よりも偽善者を評価すべし”というあまりにフザケタ意味として成り立ちます。
そして,この理屈がまんま罷り通っているのが,再生可能エネルギーの買取制度と,そこに群がる面々です。
まず,東京電力を悪人に仕立て上げ,(ある程度のバッシングは仕方ないとしても)自らが悪に立ち向かうヒーローであることを演出します。
そして,「原発は危険」「再生可能エネルギーなら安全」とのプロパガンダを影響力のある音楽家などを使って喧伝して,”原発は「癒着」とか「既得権益」だ”と,一般市民を煽ります。
そして,官僚や第三者委員会とどっぷり「癒着」し,がっぽりと「既得権益」を奪っていきました。
彼らは,世間に「やらない善よりやる偽善」と普及させる理由があります。なぜなら,利益至上主義が市民に支持されて,しかも儲かるからです。
ですが,市民は「やらない善よりやる偽善」という言葉など決して信じてはいけないはずなのです。なぜなら,偽善者に利用されるだけだからです。
今流れ出ている汚染水は,我々にはどうにも出来ませんが,それこそ再生可能エネルギーなどで金儲けを企んでいる連中が,無駄でもいいから出資して「やらない善よりやる偽善」とやらを実行すれば良いと思うのですがやりません。
なんででしょうか。もちろん,儲からないからです。
汚染水の問題は,事故後の事後処理の問題で,原発再稼動は今後におけるエネルギー安全保障の問題です。
交通事故に例えれば,一箇所で起こった事故を理由にすべての道路を封鎖するというのは理屈としておかしいわけです。
また,原発再稼動について福島の人がどう思うかというのは,TPOの問題です。はばかられるのは当然ですが,結局,事故の事後処理のためにも多量の電力が必要なのです。
ひとつの問題について早急に答えを出さずに,じっくりと考えれば問題の本質が多岐にわたっていることに気がつくはずです。それは,ひとつずつ解きほぐしていかなければなりません。
にもかかわらず,早急な答えを求めると,再生可能エネルギー買取りのようないかがわしい制度に騙されてしまいます。
そういえば,参院選のときも話題となった某居酒屋チェーンも参入を検討している様です。
居酒屋で犠牲者を出し,老人介護でも犠牲者を出し,次は電気で・・・
それでも,再生可能エネルギーの買取制度を続けますか。